断章

歪んだ愛


《直樹にあいつが言ってたこと、言わなくていいのか?》


《マスターキーを佐久間に渡したのが直樹じゃないなら、残る人間は一人しかいないでしょう。それに気付かないあいつじゃない。今はあちこちで獏が暴れ回ってますからね。下手に心を乱したくない》


《そりゃそうだな。直樹の奴、あいつのこと信頼してるしな……》



「信頼してる……か」


 耳に差したイヤホンから聞こえ続ける彼らの声を、耳障りに感じた俺は耳からイヤホンを引き抜いた。必要なことは全て確認した。もう聞く必要も無いだろう。


 今夜は月が綺麗だった。いつもならこの時間の街はネオンライトで華やかに彩られ、人々の笑い声や話し声が絶えない。けれど今夜のアイエンスシティは、避難警報の甲高い音と、悲鳴と、獣の唸り声で支配されていた。


 黒いマントで頭まですっぽりと覆われた、怪しい姿の俺のことなんて、逃げ惑う人々は誰一人気にすることもなく、警備員の避難誘導に従って泣きながら走り通り過ぎていく。誘導する警備員ですら、俺のことは視界に入っていないらしい。

 このマントがステルス機能を搭載してるなんて話を聞いた時は半信半疑だった。いや、疑いの方が強かったが、周りの反応を見る限りどうやら性能は確かなようだ。


「……うう…ん」


 背中から、か弱い呻き声が耳に届く。こいつをおんぶするのなんて何年ぶりなんだろう。母と父が死んでから二人で一所懸命に生きてきた。どんな壁でも二人なら乗り越えられるくらい、強い絆で結ばれていると思う。

 けれど、"彼女"を失ってしまった心の穴は埋まることが無かった。会いたくて、会いたくて、彼女を奪った獏の存在が許せなかった。なのに。


「……あーあ。俺はもう戻れないところまで落ちちゃったんだなぁ」


 誰に言うでもなく、呟いたその言葉は街の喧騒の中へと吸い込まれるようにして消えていった。



 周りのことなど全く気にも止めず、ひたすら正門へと向かって歩き続けた。歩くうちに悲鳴や警報音は遠ざかり、巨大な正門が見えてきた。警備員が不在になった詰所を通り過ぎ、少し開いた門の隙間から外へと出た俺は、正門の外の森の中に隠すようにして停めてある車両へと、真っ直ぐ向かう。

 後部座席のドアを開け、背中に背負っている唯一の"家族"の眠りを邪魔しないように、ゆっくりと彼女を背中から車へと移し替えた。

 気持ちよさそうに安心して眠る顔を見ると、罪悪感で押し潰されそうになる。でも、そんな生半可な覚悟でこんなことをしたわけじゃないだろと、必死に自分に言い聞かせた。俺は誤魔化すように首を横に振った。



「ごめんな。兄ちゃんのことは許さなくていいから。ごめん、彩」



 ぐっすりと眠った大切な妹の髪を、優しく撫でる。矛盾だらけの涙が、俺の頬を伝ったのを感じていた。

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