終わりの始まり


 周囲に鬱蒼と木が覆い茂る砂利道を、白のワゴン車がひた走る。月明かりが微かに照らすだけの真っ暗な森の中で、タイヤが砂利を踏みつける音が響いては静寂の中へと消えていく。


 この日は珍しく、自動運転を使わずに直樹自らハンドルを握っていた。一人走り始めてから、もう一時間は経っているだろう。重い空気が、車内を支配していた。


 事の始まりは、数時間前。つかさと笹山が総管理局本部へと出向いてから随分と経ち、夕日が赤く染まりだした頃、異変は起きた。





「ジルさん達遅いですねぇ。全然連絡来ませんけど、ちょっと様子見に行った方がいいんじゃないですかぁ? 隼人さんも今日は彩さんとお出かけですし、つまらないですぅ」


 久しぶりに依頼も無く、溜まっていた屋敷の掃除や書類の整理などを全て終えてやることが無くなったカレンは、退屈そうに直樹に問いかけた。


「笹山さんだけならともかく、つかさとジルがいるのに連絡が何も無いのは珍しいよなぁ。ちょっと電話入れてみるか」


 二人掛けのソファーで寝そべっていた直樹は、そのままの姿勢で、目の前のテーブルの上に置かれたスマホに手を伸ばす。


 つかさの連絡先をタップしてスマホの画面見つめる。ワンコール……ツーコール……スリーコール……。いつもならそろそろ出るはずだか、電話口の向こうで呼出音が虚しく鳴るばかりで、つかさは一向に出なかった。


「うーん、コールは鳴り続けるから電源が切れてるわけじゃ無さそうだけどなぁ」


 直樹が諦めてテーブルの上にスマホを置いた途端、スマホの液晶が光り、バイブレーションの振動がテーブルを微かに震わせた。


「あ、かかってきた」


 置いたばかりのスマホを手に取り、液晶画面を確認する。電話の相手はつかさではなかった。


「お疲れです、笹山さん、つかさはどうし……」


 空間に映し出された笹山は直樹の顔を見るなり言葉を遮って、大きな声で怒鳴るように叫んだ。


「呑気に家でくつろいでる場合じゃねぇぞ! 本部が大変なことになってる! 今すぐカレン連れてこっち来い!」


 突然のことに、状況を理解するのに数秒を要した。なにかまずいことが起きたのだ、と理解した時、笹山の額から血が流れてこびりついていることに、直樹ははたと気が付いた。嫌な予感が直樹の脳裏をよぎる。


「笹山さん、その怪我……大方予想がつくのが最悪ですけどね。今からすぐ向かいます。今の状況となにが起きたか詳しく聞かせてください。つかさとジルは無事ですか?」


「二人ともとりあえずは無事だ。けどジルは身体にかなり損傷を受けてる。つかさも腕をやられたが、無事だ」


 笹山が説明を続ける後ろからは、人々の怒号や叫び声が響いていた。笹山の言うように本部はパニック状態になっているらしかった。


「ちょっと、直樹と話させてください。俺から説明します」


「代わるか?」


 少しくぐもった声が画面の向こうから聞こえると、映像がぐるりと回り笹山が見えなくなった。次に空間に浮かび上がったのは、額から大粒の汗を流したつかさだった。


「つかさ! なんとか無事そうだな」


「あぁ、すまない。少し不覚をとった……。ジルと音声が全く同じアンドロイドを連れた、佐久間修一さくましゅういちという男にやられた。ジルは手足が損傷してて動けない状態だ」


「……佐久間修一? 聞いたことない名前だな。アンドロイドを連れてたってことは同業者みたいなもんか?」


「笹山さんも見たことがないらしい。だから本部の人間じゃないことは確かだ。それで今の状況だが……」


 言いかけたつかさの言葉を遮るように、画面の向こう側から激しい銃声と聞き覚えのある醜い獣の咆哮がスピーカーから響き、鼓膜を震わせた。


「……まぁ、今ので分かったと思うが一応言っておくと、獏が現実世界に溢れ出して暴れてる。佐久間と名乗った男が持っていた球体の機械から突然飛び出してきたんだ。その上、本部のシステムが佐久間に乗っ取られ、俺達を含む本部の人間全員が人質だ。全てのゲートがロックされてしまってる。ここからじゃ外の様子が全く分からないのが心配なんだ。あの男が本部だけで留まらせるようにはとても思えない。だから、直樹とカレンにはシティの方に向かってもらって、もし最悪の事態になっていたら、警備アンドロイドを生産、管理している民間企業に協力を仰いで、市民の避難の指揮を取ってもらいたい。お前しかできる奴がいない」


 つかさの真剣な眼差しを受けて直樹は深く頷き、


「分かってる。任せろ」


 そう短く答えると通話を終了した。すぐにでも出発しようと、準備をするため地下への扉に手をかけた時、玄関の扉が勢いよく開いた。と同時に、カレンのよく通った音声が部屋に響き渡った。


「ご主人! その準備は不要です。必要であろうものは全て車に積みました。すぐにでも出発しましょう。街の人達が心配です。 シティには隼人さん達もいます」


「やっぱりお前、最高の助手だよ」


 直樹はカレンの迅速な対応に、にやりと口角を上げる。お互いの横を通り過ぎざま頭の横で二人は力強くハイタッチをした。パンッと掌同士がぶつかり合う小気味いい音が響いた。



 アイエンスシティへと車を走らせるその道中。日はすっかり沈み、森の中は暗闇と静寂で包まれていた。けれど、シティへと近付くほどに森の中にまで喧騒が聞こえてきて、心の中で膨らんでいく不安を抑えることができない。無意識のうちに、ハンドルを握る力が強くなっていった。


 三十分ほど車を走らせた頃。ようやく、アイエンスシティの巨大な正門が見えてきた。


「よし、この辺で車停めて、シティへは慎重に歩いていくぞ」


 直樹は正門から少し離れた所に車を駐車した。運転席のドアを開け、片足を車外へ出した、その時だった。


「ご主人!!」


 カレンが叫んだのとほぼ同時だった。開いたドアを掠めるように、金色に光る"なにか"が直樹の目の前を通り過ぎた。


「お気を付けください。いつ襲ってくるか、この暗闇では判断しにくい。常に周囲に警戒を怠らぬよう」


 どこかで聞いたことのある声だった。直樹は辺りを警戒しながら車外に出て声の主を探す。車から2mほど先。スーツに身を包んだ細身の男性が、眼鏡の位置を直しながら、ゆっくりとこちらへ向かってきている。


「あなたは、西川さいかわさんの……」


「覚えていただいて光栄でございます。月島つきしまと申します」


 月島と名乗った彼は、流れるような動作でお辞儀をした。

 そう彼は、二年ぶりに獏と対面した数ヶ月前のあの日。直樹達を屋敷へと車で案内をしてくれた、西川玲子さいかわれいこの執事であった。あの時は獏のことで頭がいっぱいで、あまり彼に関心が無かったが今改めて姿を見ると、細身で背も高く整った顔立ちをしていて、容姿端麗という言葉がお似合いだ。


「まさか、対人用のこの道具で獏を捕まえることになるとは夢にも思っていませんでした。これが悪夢ならばどれだけいいか」


 そう言いながら月島は、砂利道に転がる金色に光り輝く半透明の球体を拾い上げた。手のひらに収まるほどの"それ"の中には怒り狂う獏の姿があった。たまよりもさらに小さくなって、内部に閉じ込められている。


「ちょうど良かった。Micro Roseliaのその技術力を見込んで、頼みたいことがあります。こんな場所に獏が現れているのを見ると、シティの中の様子は想像できます。一刻を争います。民間人の避難の誘導の協力を……」


「その必要はないわ」


 凛とした、意志の強さが感じられる女性の声。その声の主を乗せた巨大な鉄のドラゴンが、上空を見上げた月島と直樹の前方の地面へとゆっくり降り立った。

 鉄のドラゴンを従えるその女性は、月島の主人である西川玲子、その人だった。


「わぁ!!こんなに大きなドラゴン初めて見ました! 新商品なんですか!?」


 いつの間にか直樹の隣に立っていたカレンが、場違いなほど明るい声で嬉しそうにドラゴンを見つめている。そんなカレンを見て玲子はにっこりと笑った。


「いえ、これは残念ですが非売品です。こういう時のために造っていた対獏用の戦闘ロボットですわ」


 玲子は月島に手を引かれながらドラゴンから降り立つと、カレンに向けていた笑顔を消し、真剣な面持ちで直樹に向き直った。


「ほかの企業にも協力を仰いで、民間人の避難はもう終わってますわ。今は使える全ての技術を使って獏の拘束に動き出しているところです」


 玲子のあまりにも的確かつ迅速な対応に面食らった直樹だったが、ふと玲子の言葉に違和感を覚えた。


「こういう時のために……ってどういうことですか? 現実に獏が現れるとなぜ思ったんです? 境界が曖昧になっている可能性があったのは確かですが、それは総管理局の人間以外知り得ない情報のはずです。……あなたは何者なんです?」


 直樹の鋭い指摘に玲子は空を仰いで目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして、覚悟を決めたようにまた直樹の目を真っ直ぐ見つめて問いに答えた。


「私は大門秀樹の……助手として、マインドリカバリー、カレンの開発に携わった、元総管理局所属の科学者の一人です」


 突然の告白に驚き言葉を失う直樹をよそに、玲子はさらに続ける。


「カレンは少しお借りします。彼女の削除デリート機能は獏にとても有効です。シティのことは私達に任せて、あなたには向かって欲しい場所がある。全ての悪夢の始まりである、枢木くるるぎ一族の森へ。そして、獏のヌシを探してください。なぜ二年前、突然獏が消えたのか、そしてなぜ今になり復活したのか、それは私には分かりません。けれど、そのヒントは必ずその森に、ヌシが持っているはずです。……あなたに全てを託します」


 アイエンスシティの正門の向こう側から、少しずつ世界の均衡が崩れ始める音が聞こえていた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます