平和の中の犠牲


 ここはどこだろう。真っ白な空間の中で、俺はただ一人立ち尽くしていた。


 そうだ、俺は確か獏に後ろから刺された。血で赤く染まるシャツを思い出して、そっと腹に触れてみる。傷も血も、跡形もなく消えていた。痛みも何も感じない。俺は死んだのだろうか?


 全く状況が掴めない中、激しい振動と騒音がこの静かな白い世界を支配した。

 反射的に後ろを振り返る。いつの間にこんなことになっていたのだろう。二体のアンドロイドと二人の男女が、一際鋭い爪を携えた獏を取り囲むように対峙していた。


「リュウ、カレン、気を付けて! 私と直樹でサポートするわ!」


 美しく透き通った、けれど凛とした声。あぁ、懐かしい。

 白のセーター、花のようなシフォンスカートに身を包んだその可憐な女性は、仲間の三人に強く呼び掛けた。

 間違いなく"あの日"の光景だった。忘れられない日。"忘れてはいけない日"。


 ――二年前、風花が削除デリートされた日。



「リュウ! 後方支援を!」


 両手を剣に変形させたカレンが、もう一体のアンドロイドに声をかけ、獏に先制攻撃を仕掛けた。素早い攻撃を繰り出していくが、図体の割に獏の回避能力が高く避けられてしまう。

 そこへ、端正な顔立ちをした少年姿のリュウと呼ばれたアンドロイドが、すかさず片腕を銃へと変形させ、声を張り上げた。


「カレン! そこから離れて!」


 声を受けて、後方へと下がるカレン。入れ替わるようにリュウが間合いへと踏み込み、銃口を向ける。横に拡がるように放たれた散弾銃ショットガンの弾が、獏の脚を確実に捉えた。

 この時その場に居た全員が、これで動きを止められる、そう思った。それが一瞬の油断に繋がったのだろう。その些細な油断が全ての始まりだった。


「これで……!」


 至近距離で脚を撃たれ、怯んだ獏の姿に思わず声を緩めるリュウ。それが命取りだった。

 傍で呆然と立ち尽くしていた俺は、この先に起こる悲劇から目を逸らすように強く瞼を閉じた。


 目の前に闇が拡がった。姿は見えずとも声だけは聞こえてくる。思わず耳を塞いだ。けれど耳を塞いでも、頭に響いてくるこの声達からは逃れられないようだった。



「リュウ! だめぇぇ! カレン離して! 」


 風花の悲痛な声。続くようにカレンの声が重なる。


「風花様、ダメです! 今の獏に近付いたらこっちまで殺られます!」


「でも……! リュウが、リュウが!」



「そこでじっとしてろ。俺が行く。カレン、援護してくれ」


 自分の声にはっとして、閉じていた瞼を開いた。

 カレンに押さえ付けられながら、顔を涙でぐちゃぐちゃにした風花。

 そのはるか前方で、獏の鋭い爪に鉄の身体を貫かれ、バチバチと電気の火花を散らしているのはリュウだ。まだ意識はあるようで、なんとか逃れようとするが深く突き刺さった爪は、簡単に逃すつもりは無いらしい。

 前脚を散弾銃で撃たれ血塗れになりながらも、唸り声を上げながらゆっくりと、だが着実にこちらへと向かってきている。

 そんな状況でカレンと、あの日の"俺"が言い合いをしている。


「ご主人! ダメです! 行かせません! 手負いの獏がどれだけ危険か分かっているでしょう!? 近付かず遠くから攻撃するのが得策です!」


 いつもとは比べ物にならない剣幕で食ってかかるカレン。あぁ、そうだ。お前が正しかった。


「だから、見捨てろってか! リュウは俺達の仲間だろ! お前の仲間だろうが!」


 感情的になり、カレンの胸ぐらを掴んで怒鳴る"俺"。もうやめろ、お前のその行動のせいで、あいつは――。



「私達がなんの為に造られたか分かってて言っているんですか! 私達は自らの肉体を犠牲にしてでもあなた達を守るように組み込まれているんです。そこに英樹様のどんな想いが込められてるか、分かってて言っているんですか!」


「……自分を犠牲にしてまで守ってくれなんて、誰も頼んじゃいねぇんだよ……!」


 お互い感情的になっていた。だから、獏がすぐ目の前まで迫ってきていることに気付いていなかったのだ。

 そう、このくだらない言い合いが"あの日"の悲劇を生んだ。自分の子供じみた馬鹿な考えが風花を犠牲にした。


「二人とも! 危ない!」


 風花の声でやっと獏の存在に気付き、咄嗟に風花を守ろうと伸ばした"俺"の腕を身体を、誰よりも速い動きで跳ね飛ばしたのは風花だった。


 ドスッ!!


 重く、生々しい音が鼓膜を震わせた。そばで言い合いをしていた二人の顔に生暖かい滴が飛び散り、足元に赤黒い水溜まりが広がっていく。


「……二人とも……大丈夫?」


「……なんで、なんでお前が……」


 こんな状況でも、お前は俺達の心配をするんだよな。


 弱々しい笑顔を向ける風花。彼女の身体には、リュウと同じように獏の鋭い爪が深く突き刺さっていた。

 風花を捕らえた事で両爪が塞がった獏は、邪魔だと言わんばかりにリュウの身体を地面へ投げ飛ばした。

 残りの獲物を殺そうとさらにその爪を振り上げる。しかし、今度はカレンの方が速かった。あまりの出来事に戸惑う"俺"の襟元を掴み上げ、後方に回避する。


「……やっと……捕まえた」


 残された風花は息を荒らげ、額から大粒の汗を流しながらも、不敵な笑みを浮かべそう呟いた。


 右手に握られていたスティック型の機械を獏に強く押し当てる。その瞬間光の鞭が機械から飛び出し、風花の身体ごと獏を縛り付けた。強い力で縛られることでさらに爪が深く突き刺さり、風花の細い身体から血が噴き出す。ヴヴ……と鈍い機械音が微かに響き、風花の身体の一部が歪み始めた。


「くっ……あぁっ!!」


 痛みで苦痛に歪んだ顔。愛する人のその表情を見た瞬間に頭に血が上り、冷静な判断は出来なくなっていたと思う。"俺"は、出来得る限りの力を振り絞ってカレンの腕から逃れようとしている。


「離せ! 離せっつってんだろ! このくそロボットが!!」


「絶対に行かせません。少しじっとしていてください」


 いつもとは比べ物にならないほどの低く真剣な声。片腕を取り外し、その腕を暴れる"俺"の身体へと強く押し付けた。すると瞬時に腕が鎖に変形し、瞬く間に身体を縛りあげ拘束した。


「お前……主人にこんなことしていいと思ってんのか……! 」


「主人だからこそです。みすみす死にに行こうとしている主人を野放しには出来ません」


 そう冷たく言い放ったカレンは、地面に投げ飛ばされ、なんとか立ち上がろうともがくリュウのそばへと素早く移動した。


「カレン……ごめん。風花姉ふうかねぇの所まで連れて行って貰えるかな。これじゃ動けないみたいだ」


 申し訳なさそうに悔しそうに、切ない笑みを浮かべながら発したリュウの言葉に、カレンは黙って頷く。穴が空いてしまった鉄の身体を抱きかかえ、言われた通り風花の元へと向かう。

 光の鞭の拘束力は強く、さらに脚に致命傷を負っている獏の体力も限界に近付いているようだった。暴れる気力も失っていた。風花の身体も同じようで、半分以上が歪んで消えかかってしまっている。


「……リュウ、お願いできる……?」


 今にも消えてしまいそうなか細い声でそう言ったのは風花だ。その声を受けて、カレンはゆっくりとリュウの身体を風花へと近づけた。


「おい! お前ら何する気だよ! いい加減にしろ! これ外せよ! おい!!」


 叫び、もがきながらぼろぼろと涙を零している"俺"。何も出来ない、守れない自分が無力で、ただただ悔しかったことをはっきりと覚えている。

 風花は、叫ぶ"俺"を静かに見つめてゆっくりと口を動かす。


(ありがとう。さようなら)


 もう声も出ていなかった。けれどそう言おうとしていたのははっきりと分かった。分かった瞬間、もう彼女には会えなくなるのだということも悟った。そして、それがどうしようもない結末だということも。



削除デリート



 その言葉で、風花の身体に押し当てられたリュウの手が淡く光りだし、優しい光が獏と風花をゆっくりと包み込んでいく。徐々に光は強くなり、最後の一瞬、一際強く光り輝き、ぱっと弾け、そしてあっけなく消えていった。


 あの日の惨劇を、まるで他人事のように見ていた俺の視界が、徐々に暗くなっていく。世界が完全に闇に支配される頃には、感情も感覚も何も感じなくなっていた――。

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