魔物の叫び


「主人をよろしくお願いします」


 眼鏡をかけた大人しそうな雰囲気の女性は、そう言って頭を下げた。


 その日もいつも通り依頼をこなすため、アイエンスシティの住宅区を訪れていた。

 時刻は真夜中。近年では獏の悪夢を知っている人も多いため、目が覚めなくなってしまう前に依頼してくる者が多い。そのため、こうやって夜中に依頼者の自宅を訪れ、患者の寝ている間に夢の中に入るのだ。


「じゃ、早速始めます……」


 小声で言いながら、隣に控える隼人に目で合図する。隼人は頷き、手際良く準備を始めた。

 数分後には、カレンと直樹は夢の世界へ入っていた――。





 依頼者の主人であるこの男の夢の中はとても綺麗だった。白い空間に並んでいる窓の扉がいくつか開いているが、向こう側は色鮮やかな情景や人々が見える。

 まだ喰われていないようだ。ほっと安堵の息をつく。


「まだ取り憑かれたばっかだな。喰われてないようで安心した」


 そう、後ろから付いてきているはずのカレンに声をかける。しかし、なんの返答もない。珍しい事もあるもんだと、 立ち止まり後ろを振り返ると、何やら難しい顔をして左目のレーダーの側面をいじっている。


「どうかしたのか?」


「うーん……レーダーが全く反応しないんです。自分の位置さえもよく分からなくて……どうしたんでしょうか」


 今まで何回も夢の中に入っているが、こんな事は初めてだった。カレンのメンテナンスも定期的に行っている。自分の腕に不備があるとは思いたくない。だが、現実問題レーダーが反応しないのだ。何かしらの異常がある事は確かだろう。


「隼人、ちょっと問題発生だ」


 現実世界で待機している隼人に、ヘッドフォン越しに声をかける。何故だか応答は無かった。


「隼人? 聞こえるか? おーい!」


 やはり反応は無い。雑音すらも聞こえない。そもそも接続してないのではないか?


「なんか様子がおかしいな。これじゃいつ獏が襲ってくるかわからない。1度出た方がいい」


 レーダーが壊れ、隼人とも連絡が取れない以上、これ以上留まるのは危険だと判断した直樹は、ヘッドフォンの側面についている、心への介入アクセスをオフにするボタンに手を伸ばした。

 その時、レーダーに気を取られていたカレンがはっと目を見開き、大声で叫んだ。


「ご主人様!! 後ろ!!」


「え?」


 直樹が後ろを振り返ったのと、身体に激しい痛みが襲ってきたのはほぼ同時だった。

 いつの間に後ろに迫ってきていたのだろう。1m弱しかない小柄な獏の鋭い爪が腹部に突き刺さっているのを、直樹ははっきりと見た。白いシャツにじわりと赤い染みが広がっていく。


「……あ、くっ……そ」


 あまりの痛みに言葉が出ず、頭が混乱して何が起きたのかも分からない。

 気付けば、カレンの腕が鋭い刃物に変形され獏の腕を切り落としていた。

 耳を塞ぎたくなるような魔物の絶叫。血飛沫が舞い、服を真っ赤に染めるこの血は、自分の血なのか獏の血なのか直樹には判別できない。


 意識が朦朧としていく中で、カレンが大声で直樹の名前を呼ぶ声と、もう一つ。聞き慣れない獣のような声が聞こえた。


 ナツメヲカエセ……ナツメヲカエセ!


 その言葉が何を指すのか、何の声なのか、直樹には分からなかった――。

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