第二章 動き始めた悪夢

悪夢の蔓延


 少し開いた窓から、暖かな陽の光と心地良い春の風が入ってきて、穏やかな時間が流れる。森に住む鳥達のさえずりを子守唄代わりに、ソファーへと倒れ込むようにして眠っていた直樹は、手に握られたままのスマホの着信音と振動に叩き起こされた。


「……うーん、誰だよ……」


 透明の液晶に映し出された文字を、寝ぼけ眼でじっと見つめる。着信の主は、直樹にとってはあまり嬉しくない人物だった。

 渋々通話の表示をタップする。液晶が光って、髪をオールバックにした30代位の男の顔が空間に映し出された。


「……はい。また仕事ですか」


 開口一番無愛想な言葉を投げつけた直樹の態度に、男は豪快に笑った。


「あっはっは! いやぁ、疲れてるねぇ。こっちからじゃ額しか見えんけど、またソファーで寝てるだろ? 風邪ひくぞー」


 この男の名前は笹山聡ささやまさとし。鉄の街ことアイエンスシティと呼ばれるこの街の総管理局自然保護課で責任者を務めている。所謂お国の人間だ。

 総管理局とは様々な区画で仕切られたこのアイエンスシティを、区画ごとに課を分け管理、制御している機関のことだ。様々なルールを取り決めるのもこの機関で、犯罪を取り締まる警備隊も、総管理局の管轄である。

 笹山が室長を務める自然保護課は、森林保護区内の動植物の管理などが主な活動だ。


「世間話するためにかけてきたわけじゃないでしょう。さっさと用件言ってください」


 少し苛立ちながら、相手を急かす。そんな直樹に頓着することもなく、笹山はにやにやと笑いながら話し出した。


「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。西川玲子の娘に取り憑いてた獏を削除デリートしてからもう一ヶ月経つだろ? あれから、堰を切ったように獏の悪夢を見る人が増加してる。ここ数週間かなり忙しかったはずだ。んで、これを機に管理局との連携をしっかりしといた方がお前の為にもなるんじゃないかと思って連絡してやったんだろうが。あんまり不貞腐れるな」


 二年前、あの"事件"をきっかけに獏が姿を消すまでは、様々なフォローを管理局から受けていた。どんな人物にでもスムーズに依頼を受けられるように、全ての区画を出入り自由になる通行許可証として、D.D専用のブローチを発行してもらうなど、何かと世話になっている。

 胸元に着けているブローチを取り外して、手の上で転がすように弄ぶ。金の装飾をあしらった十字架の中央にはトパーズが埋め込まれており、陽の光に照らされて輝いていた。


 このブローチを発行するという話が持ち上がり、どういうものにするかという会議の時に、トパーズをあしらって欲しいと言ったのは風花だった。

 トパーズには"希望"という宝石言葉があるらしい。みんなが希望を持てる世界にしたいという、なんとも風花らしい理由だった。父である大門秀樹が遺した功績のおかげで多少のわがままを聞いてもらえ、このブローチが完成したというわけだ。




「それはご親切にどうも……」


 彼の言う通り、英理の中から獏を削除してから一週間が経とうとした頃から、徐々に依頼の電話が増え始め、今ではほぼ毎日のように電話が鳴り響いている。

 突然の獏の再来。獏に取り憑かれる人々の増加量に関して異常だと感じる部分も多い。情報の提供という点において管理局の連携は確かにありがたい提案だった。


「近いうちに管理局の方に顔出せ。そんときはつかさも連れてこいよ。あいつ、俺からの電話にちっとも出なくてな。余程嫌われてるらしい」


 あっはっはと豪快に笑い飛ばしたあと、「それじゃあな」と通話が終了し、スマホから映し出されていた映像も空間から消えた。


「つかさかぁ……そういや、一ヶ月前に連絡とったきりだなぁ」


 そんなことを呟きながら、自然と発信の表示をタップしていた。


 ワンコール、ツーコール、スリーコール……。四回目のコールでようやく相手が応答した。


「久しぶりだな。なんかあったか?」


「たまには笹山さんの電話に出てやれよ」


 にやっと笑いながらからかう直樹のその言葉に、映像の男が心底嫌そうな顔をする。


「あの人は騒がしいから苦手なんだよ」


 銀縁眼鏡のフレームを目の間でくいっと持ち上げて位置を直す。困った時の彼の癖だ。そんな様子に直樹は懐かしさを感じた。


 真面目な優等生――という言葉がぴったりな、気難しそうな顔をした目の前のこの男の名前は、結城ゆうきつかさ。三人の弟子の最後の一人、現D.D。仲間だ。


 生真面目な仲間を少しからかったところで、直樹は本題に移した。


「そっちはどうだ? 依頼相当増えてるだろ」


「……ちょっと異常だな。二年前より手当たり次第取り憑いてるって印象を感じる」


「……お前も感じてたか」


 獏が取り憑くのは人の心の隙間のはずだ。つまり、精神的不安を抱えている者、豊かな心を忘れてしまった者、そういう者が取り憑かれることが多かった。けれど、一ヶ月前から現れた獏はどれだけ豊かな心を持っていようがお構い無しに取り憑いているような気がする。その分、被害者の数も異様なほど増えていた。

 夢の中で対峙する獏は、以前にも増して全てを喰い尽くさんとするような、何かに対して激しく怒り狂っているかのような、そんなえも言われぬ狂気を感じるのだ。


「まぁ、その事についてもまた話したい。来週辺りにでも時間作ってうちに来てくれ。笹山さんとも時間調整する」


「了解。カレンにもよろしく。ジルが、あの子がお前に迷惑かけてるんじゃないかって心配してるってな」


 つかさの少し緩んだ会話に、直樹にしては珍しく声を上げて笑う。そんな様子を見て、つかさも少し頬を緩めた。


「伝えとくよ。じゃあ、またな」


 直樹の言葉につかさは軽く手を上げ、通話は終了した。部屋に静けさが戻る。

 持っていたスマホをテーブルに置いて、身体を伸ばす。ぽきぽきと関節のなる音が耳に届く。


 さっきまで晴れ渡っていた空に、黒い雨雲が広がり始めていた。

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