崩れ始める平和 (1)


 薄暗い地下の階段を上りきり、木で出来た重厚な扉を押し開ける。扉の隙間から少しずつ陽の光が溢れてきて、そのあまりの明るさに直樹は思わず目を細めた。ずっと地下にこもっていたからだろう。目が陽の光に慣れるまでは、少しの時間を要した。


「直樹、お客さん待ってるよ」


 なんとか光に慣れてきた目を声のする方へと向ける。声を掛けてきたのは、茶髪に軽くウェーブのかかったボブヘアの若い男。直樹の幼馴染である、中島隼人なかじまはやとだった。スラッとした隼人がエプロンを着け、ティーカップが二つ載ったお盆を片手に乗せていると、まるでどこかおしゃれなカフェの店員のようだな。と直樹はなんとなくそんなことを思った。


「客間で待ってもらってるから、早く早く!」


「あぁ、分かってる分かってる」


 隼人が先頭になり、直樹、カレンが後に続いた。有名な外国人作家が描いた絵画が数枚飾られた廊下を、客間へと向かって進んでいく。この絵画は全部直樹の趣味だ。芸術作品を眺めるのも直樹は好きだった。


 客間の扉の前に着くと、隼人は中の人物に向かって軽く二回ほどノックをした。中から「はい」と落ち着いた女性の声が返ってくる。その声を聞き、隼人はゆっくりと扉を開いて、流れるような動作で直樹とカレンを部屋へと招き入れた。

 隼人は接客の応対に関しては完璧だな。と他人に対して厳しい直樹でも感心せざるを得ない。


「失礼します。お待たせして申し訳ない」


 声をかけながら部屋の中へと入る。ソファーに腰掛け待っていたのは、30代前半くらいの端正な顔立ちをした女性だった。とても落ち着いた雰囲気で、上品そうなブラウスと、ベージュのロングスカートというシックな出で立ちだ。


「あなたが……かの有名な大門直樹様ですね。お忙しいところ、お邪魔しています」


 直樹の姿を見て、女性はスっと立ち上がり頭を下げた。そのかしこまった雰囲気に思わずむず痒くなる。「いえいえ、そんな恐縮なさらずに…」と手を振り、直樹も対面の二人がけソファーへと腰掛けた。隣にはカレンがちょこんと座る。

 一番最後に部屋へ入ってきた隼人は扉を閉め、お盆に載せたティーカップを二人の前へと差し出し、直樹達が座るソファーの横に備えられた、一人がけソファーへと腰を落ち着かせた。

 その一連の動きを見届けたのち、女性もゆっくりとソファーへと座る。先に口を開いたのは直樹だった。


「こんな辺鄙なところにどうされましたか?あなたのような層の方が、こんな森の中の洋館に来られるのは珍しい」


 皮肉とも取れる直樹の毒のある言葉に、女性は少し苦笑する。直樹がそんな皮肉めいたことを言ったのは、無神経だったからではない。わざと毒のある言い方をしたのだった。直樹は彼女のような裕福な暮らしに恵まれた人間が好きではなかった。

 自然を必要ないものと切り捨て、科学だけをなんの考えもなしに推進し、獏が襲来すれば手のひらを返したように父に縋った。そんな無責任な人間達の筆頭が彼女のような富裕層の人間だった。とはいえ、彼女に罪がある訳では無い。その行き場のない感情を目の前の彼女にぶつけるのは、あまりにも幼稚である。

 言い終わった後、彼女の困ったようななんとも言えない笑顔を見た直樹は、自分の未熟さに少しだけ嫌悪感を抱いた。


「今日はどうしてもあなたにご協力をお願いしたいことがございまして……。申し遅れました。私、こういう者です」


 そう言って膝の上のバッグから一枚の名刺を取り出し、直樹の前へと差し出す。


 Microマイクロ Roseriaロゼリア代表取締役社長

 西川玲子さいかわれいこ


「あ! この会社知ってます! 有名なおもちゃ会社ですよぉ! 最近新しいおもちゃを開発中だってニュースで言ってました!」


 宣言通り"お利口"にしていたカレンが、名刺に書かれた社名を見た途端、突然喋り出しきゃっきゃと喜びだした。


「私、いつもここのおもちゃで遊んでますよ! ご主人様がこの前買ってくれました!」


 どこから取り出したのか、いつの間にかカレンの手には卵型の鉄の塊が握られていた。サイズは鶏の卵くらいだ。それを横目で確認した直樹は、血の気が引くのを感じた。


「おまっ……それは家の中で出すなとあれほど……!」


 言い終わる前にすぐに取り上げようと手を伸ばしたが、カレンが側面のボタンを押す方が数秒早かった。まるで孵化が始まるかのような亀裂の光が卵の表面に現れたかと思いきや、卵の形をしていた"それ"は瞬く間に変形し、手のひらサイズのドラゴンへと姿を変えた。


「ピキャァァァァ!!」


 鉄のドラゴンが甲高い鳴き声を上げた時には、何もかもが手遅れだった。

 カレンの手のひらに載っていたドラゴンは、室内であることなどお構いなしに翼を広げ、あちこちにぶつかりながら飛び回り、部屋に飾られた花瓶や置物を次々と倒していく。

 とりあえず客人を一旦外へと避難させ、三人がかりで鉄のドラゴンを捕獲し、なんとか卵へと戻すことが出来たのは一時間後のことだった。


 この後、カレンが部屋を追い出されたのは言うまでもない。

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