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 考えてみると、自分も高校に入学した頃はそれなりに未来に期待してはいたと思うのだが、いつの間にかすっかりやる気をなくしてしまった。特に何かつまづくような事件があったわけではないのだから不思議なものだ。そもそも自分の学力からしてこの学校に合格できたのが奇跡である。受験の勉強をしているときは確かに後がないという気持ちで努力をしたもので、振り返ってみるとあっという間だが充実した日々だった。これも合格したからいえることで、不合格だったなら今よりもっと世間や己を敵にしてやさぐれた毎日を過ごしていたことだろうと思うと、今の平穏な時間も尊いものなのかもしれない。理屈は正しいが、だから心が晴れるかといえばそれは別問題だ。これはわがままでもなんでもない。しかし、繰り返し、折に触れ、毎日心のなかでこのように思い込ませることでだんだんこの理屈がぴったり心に合わさる日がやってくるような気がする。


そんな自分ではあるがやっぱり昼になれば腹が減る。たいして動いているわけではないのだが、もともと朝飯を食う習慣がない。ちょうどよく昼が近くなれば腹が減ってくるのだから人間の体はよくできている。

 高校生の昼飯事情とはいってもたいしたものではない。弁当を持ってくるものもいれば近くのコンビにに買いにいくもの、購買で適当にパンやおにぎりを買ってすますもの、そして食堂で食べるもの。これを一週間のローテーションでぐるぐると回していく。だいたい値段的には五百円から千円か。よくよく考えてみると結構な金額ではある。なぜと言って、これは一日だけの話ではないからだ。つくづく親というものは偉大である。好き嫌いにかかわらずこれは徹底的に尊敬し感謝するべきことなのだ。自分は恵まれた方である。これについても何の不満も持ちようがない。着るもの住む場所食べるもの、全て人並みにそろえてもらっている。改めて考えてみると、自分は両親がどんな仕事をしているのかよく分かっていない。それでいて金だけはもらっているのは、考えれば考えるほど居心地が悪くなってくる。だからといって家計を助けるという理由でいきなり働きだしたら「お前はいったい気でもふれたか」とさわがれかねない。なによりも学生にとって一番重要なのは学生らしくすることであるはずだ。働くのもあくまで青春の一ページ的なものだろう。それでも、何の特徴もない学生だからこそ、せめて金銭的に負担をかけないようにという気持ちが大きくなってくる。やる気のないくせにいっちょまえな話で、やる気のないのをこれで埋め合わせでもしているような気になっているのかもしれない。


 考えごとをしている時は回りが騒がしい方が頭が澄み切ってくる。あるいは、周りの騒がしさが好きでないから内面に没頭することで頭が澄み切ってくるのか、どちらでもよいのだが、とにかく自分は騒がしい人間ではない。とにかく、自分はにぎやかな人間ではないが、にぎやかな場所は嫌いではなかった。そして、これは自分の昔からの癖というか習性だが、いったん気に入った食事はほんとうに飽きるまで、あるいは食いすぎて嫌いになるまで同じものを食べるというものがあった。とにかく一度気に入ったらとことんというのが特徴である。

 そんな訳で五日連続で学食の焼肉カレーを食べていた。周りがにぎやかであればあるほど、言葉の一つ一つが複雑にからまりあい意味をなさない音のかたまりになる。それはちょっと轟音にも似ていて、口から発せられた言葉の音が具現化した黒いゴミの塊のようにも思えてくる。まるでいつのまにか複雑に絡み合った電化製品のコードのかたまりをいらだちながら投げ合っているようだ。

 

 食堂には一年の姿はなかった。いくつかの部活動は一年に食堂を使うことを禁じているらしい。人が多すぎてあふれるのが理由だそうだ。いわゆる裏ルール的なものである。この学校はほとんどの生徒が部活動に加入しているので、一年が食堂にいることのほうがめずらしいのだろう。


「三上君今日も焼肉カレーかよ。飽きないなぁ」そう言って対面に座ったのは一学年上の楢本さんだった。 

 楢本さんは短髪に日焼けした顔がよく似合う、幼い顔が印象的な人だがとても社交的な人だった。白いポロシャツのシワまでかっこよくみえる人である。そんなに大きな体格ではないのにサッカー部のレギュラーどころか年代別の日本代表にも選ばれているというのだから、この体のどこにそんなパワーが潜んでいるのか不思議なくらいだ。部活に参加していない自分でも、学校の有名人ぐらいは知っている。これは高校に入ってから気づいたことだが、高校生といえど、一芸に秀でた人たちには間違いなくオーラというものが存在することだ。何もオカルトな話ではない。オーラが実際に黄色だとか赤だとかそんなことではないのだ。同じ種の集団にあって必ず目を引く存在というものはある。ゆっくり吟味すればその根拠だってはっきりすることだろう。とにかく、瞬間的に人々はその種の中において頭一つ抜けた存在をはっきり認知することができる。これは本能だ。本能で我々は同じ種の集団の中で優秀な個体の存在を認める。それが味方になればいいなと思うものだ。


 自分は無視したわけではないが、口の中にたくさんはいっている状態で返事をするわけにもいかず首をうごかして返事したつもりがどうも首をひねっているようにみえたらしい。

「三上君なんで自分の食ってるメシも分かんねんだよ。おかしいだろ」

 それでもなかなか飲みこめないでいるので楢本さんはにやけながらこちらが飲み込むのを待っていた。

「いや、これうまいっすよ。ほんとに」

「知ってるよ。そーじゃなくて、何日連続? さすがにそろそろ飽きない?」

「これがねー飽きないんですよほんとに」

「ほんとにほんとにってさ、食いすぎだろさすがに」

「俺、ほんとにって口癖みたいなんですよ」

「あーよく言ってる気がする」

 自分は楢本さんの口癖がさすがにというのをなんとなく言ってやろうかと思ったが、もう少し観察してからでも遅くないと考えた。「あー腹減った。さすがに腹減りすぎだわ」と言って楢本さんは食い始めた。銀色のスプーンも心なしか光って見える。すでに飲み干した水に気づいて自分は楢本さんのコップに水を足してやった。楢本さんは感謝を述べた後、自分のことを気が利くとほめてくれたが、それはいたって普通のことだとそっけなく返事をした。

「三上君、なんかバイトとかしてんの? ファミレスとか? すげー自然だったよ」

「いや、ファミレスとか無理っすよ。バイトしてないですしね。なんかすげー楽な仕事とかないかな、ちょっと働いてみようかなとかは思ってるんですけど」

「なんだよ、楽したいなんて、そんなキャラだったの? すげーがっかり。今からそんなんじゃ将来、雑な悪事に手を染めて警察につかまっちゃうんだよきっと」

「きっとってなんですかきっとって。そもそも雑な悪事ってなんですかほんとに」

「えー痴漢、恐喝、ゆすり、たかり、万引き、詐欺」

「俺そんな印象なんですか。」

「いや。だけど人間何がきっかけでどう転ぶか分からんということだね」

 うんうんとうなずきながら榎本さんはメシを食っていた。それは確かにほんとのことだが、ほんとのことを学生が言うのは少し説得力に欠けるというか、滑稽に見えてしまう。いかにも大人や世間で流布している言葉をそのまま借りて皿に盛ったように見えてしまう。榎本さんが少し幼稚に見えたのは事実であったが、こんな瞬間瞬間のことで人間のことすべてが分かる筈がない。同じ制服を着た同じ年頃の人間でも天と地ほどの違いがあることもあるのだ。個性というものははかりしれない。あるいは榎本さんも普段はこんなことは他人に話す人ではないのかもしれない。こうしてたまに会う自分のような人間を選んで普段では言えないような感想を漏らすことというのは、自分に置き換えていかにもありうるシチュエーションだと思えた。

 さっきまであんなににこやかな二人がいつのまにか無言でメシを食っていた。どちらも沈黙を苦にするタイプではないということは、榎本さんと何度が一緒にいて分かったことである。


「なんかしんみりしちゃったな」笑いながら榎本さんが水を飲んだ。

「いえ、なんかヘンですね。まーたまにはいいんじゃないですかこーいうのも」自分が再び水をつぐと榎本さんは笑って「あざっす」と言って一気に水を飲み干した。自分は安心してメシの続きをした。昼休みはまだ始まったばかりで、次から次へと食堂へ人がやってくる。

「なんかいいことないかなー、さすがにないか」まるで退屈な女が口にするようなことを楢本さんが言った。

「榎本さん何ですか突然。漠然としすぎですよ」

「だけど、いいことあったらいいだろ? 突然でもなんでもいいんだ。いや、いいことは突然の方が意外といい。だってそうじゃん。突然宝くじとかさ、いいことはいつだって突然なんだよ」

「言われてみりゃ確かにそうですね。しかし宝くじか。宝くじって突然かな? 一番漠然としてますね。ほかにないですかほかに、宝くじ以外で」

 榎本さんのような人でもまだまだ生活に物足りなさを感じるものなんだと思ったが、それを強欲だとは思わなかった。これは榎本さんに限らず人間全体の問題といっても言いすぎではない。何かはっきりとした目標や成果のようなもの、分かりやすい金銭的なことや地位名誉、あるいは女を好きなように扱うことなど。仮に全てを手に入れても漠然としたものが残ったら、そのときの嫌な気持ちを想像しただけで憂鬱になるというものだ。

「なんとなく憂鬱ですね」

「何、三上君憂鬱なの?なんでなんで」

 榎本さんの話から想像をしてみた結果憂鬱にたどりついたのに当の本人はなんとも無邪気であった。

「いや、いろいろ想像してみたんですよ。そうしたらなんか憂鬱に」

「なんだそりゃ。ずいぶんはしょったな。途中経過を報告しなさい途中経過を」

「つまり、お金を手に入れたら次にまたお金で手に入れることのできない何かを手に入れたくなる。例えば、名誉とか。名誉さえも金で買えるといえるかもしれませんが、やはりそれにだって満足いかなくなる。結局延々と何かを手に入れたくなるんじゃないかと。何か何かで生きていくのはそうとうハードな気がしますね。疲れちゃいそうで。どっかであきらめることがきればいいんでしょうけど、そいういう人は周りがいくらいったって自分が納得しなきゃすまないから、結局治療のしようがないでしょう。」

「三上くんは何かほしいものがあるの?今のパターンは世の中の誰かの話であって三上くんのことではないでしょ。高校一年生なのに無気力キャラなんてかっこいいマンガの主人公みたいじゃん」楢本さんもさっき自分が感じたような心の動きをしたのかもしれない。つまり、自分が世の中でパターン化されている感情をそのまま述べているように受け取ったのかもしれない。弁解するとまではいかないが、ここはゆっくり自分の感想を続けてみようと思った。

「それがこう見えて内心はほしいものだらけなんですよ。なぜか無気力キャラになってるのでもう訂正もしませんが。ずっと何かないかなと思ってるとこなんです。部活ではないし恋愛でもない。そんなわけで今は労働のことを考え中です。とりあえずお金かなって。でも、労働って大変そうじゃないですか。でも仮に今突然大金持ちになっても楽しいのかな。あれば安心だけど。それよりも何か夢中になれるものがあればいいなーとは思ってるんですけどね」

「結局宝くじが一番だな」

「高校生か宝くじが一番って最低ですよね。じじばばでも言わんですよ」楢本さんは話を聞いていたのかめんどくさくなったのか、正直自分もこの話を止めるつもりだった。

「ほんとだな。わしらも歳だよ三上くん。俺も今は部活があるからいいけど、これだって将来ずっとこれでやっていけるわけじゃないし。これがだめになったら逆にそこから何かを探すことになるんだから、逆にこれがハンデになる可能性のほうがある。きっとそうなる。上には上の世界があって俺の実力的にはここらへんだろーなってのはある。スポーツ選手が夢はあきらめなければ叶うと言うけれど、そりゃ無茶だよ。あの人たちだって分かっていってるわけだから、誰もそれを批判しないけどさ。高校生だってそんな野暮なことは言わないほうがいいって分かるよな。現実は現実と」

「おかしいですね。高校生ってもっと楽しいはずですよね。昼飯のトークの内容ひどくないですか?」

「こんな日もある」榎本さんは腕をくんでしかめつらを決めていたので「大御所じゃないですか」と突っ込んでおいた。


 メシを食い終わってもなかなか席を立つ気にはならなくてそれは榎本さんも同じだったらしい。食堂はますますにぎやかになっていて、笑い声はまるで小さな爆発のようだった。窓の外は伸び放題の緑が熱帯雨林さながらに生い茂っている。榎本さんはちょくちょく行きかう連中と目であいさつしていた。自分はとりあえずもう少し具体的な何かについて考えるつもりで見当がついたら榎本さんに報告すると話しておいた。榎本さんは楽しみに待っていると言ったが、あまり期待してくれるなと釘を刺しておいた。報告はいつになるか分からないとも付け足した。

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