仮面の騎士ふたたび(1)

 今のところあの奇妙な本の全容は杳として知れなかった。

 ゴーシェだけがあの黙示文学を教養の裡に小耳に挟んではいたが、その意味までは測りかねていた。

 いったい団長たちは何の目的であの本を渡したのか――


 西へ砂漠を進むこと二日。

 そろそろ補給が欲しくなってきた頃であった。

 特に体力の無いオルランダやセシルに疲労の色は濃かった。


「そろそろ村の一つでもあっておかしくない頃なんですが……」


 ダオレは馬上で首を傾げた。


「ええい、わたしが見てくる! 貴殿らはそこに居ろ」


「アルチュールさん、先走らないでください! もしまた正規軍がいたら――」


 だがアルチュールは馬を駆り土埃上げ、あっという間に西の果てへ消えてしまった。


「莫迦が――!」


 ゴーシェは苦々しく呟いた。

 だが直ぐにアルチュールの馬は戻ってきた。

 アルチュール自身もひどく冷や汗を掻いている。


「どうしました? アルチュール?」


「騎士だ!」


「騎士?」


 ゴーシェは何を慌てることがあると訊き返すが、アルチュールの焦り方は尋常ではなかった。


「仮面の騎士が村落を襲っていた形跡がある!!!」


「わかりましたけどアルチュール、声が大きいです……」


「騎士がまだそのあたりに居るぞ!」


「へえ、丁度いいじゃねえか。あの仮面野郎をぶちのめすいい機会だ」


 騎士が火に弱いと知っている、仲間の中でもゴーシェは余裕綽々だが、間近に騎士の痕跡を見てしまったアルチュールは動揺を隠せない。


「わたしはあいつの非道の証を見てしまったのだ! 嗚呼、情緒不安定になる……」


「伯爵様がそれくらいの事で動揺してどうする?」


「ゴーシェ! あの騎士は女性の……いや、なんでもない――」


 アルチュールは急にオルランダに目線を向けると押し黙った。

 余程酷いものを見てしまったのだろう。

 彼女の前で話せるはずも無かった。


「それでアルチュール、まだ騎士は近くに居るのですか?」


「恐らくは、この周囲をうろついている筈だ」


「じゃあ、ここにオルランダ達を置いていくのは危険じゃねえか」


 ゴーシェの提案も尤もであった。

 オルランダ達を置いていって騎士の襲撃を受けたらひとたまりもないのだ。

 ここは村落まで連れて行くしかなかった。


 一行はゆっくりと先ほどアルチュールが偵察してきた村落へと馬を進めた。

 徐々に近づいてくるのは死の匂い、退廃の匂い。


「ゴーシェ、怖い」


 オルランダは男物の旅装束を掻き抱いた。


「大丈夫だ、何も怖いことはない。オレがここに居る」


「見せつけやがって……」


「アルチュール妬くのはみっともないですよ」


「わたしは妬いてなどいない」


 濃密な死の瘴気がその村を包んでいた。

 かつては慎ましくいも活気があった砂漠の村、それは見る影も無かった。


「アルチュールの言った通りですね、ひどいものです」


 ゴーシェは馬上からオルランダの目をそっと塞いだ。

 そこにはまず内臓からがつがつと食べられた形跡のある、手足のない遺体ばかり転がっていた。

 残った皮膚も騎士の瘴気に侵され黒死病のごとく黒く変色している。

 顔も食べられたのか老若男女の区別もつかない。


「これがあの騎士の遣り方だ!」


「アルチュールさま、怖いです……」


 オルランダ程ではないにしても、セシルも怯えていた、無理もない。


「この分だと騎士はまだ近くに居る……?」


 ダオレは訝しがった。


「これは全員で纏まって騎士を捜した方が良さそうだ」


――そのとき生存者とおぼしき者のか細い呼気が聞こえた。

 だが直ぐにそれは絶叫に変わる。


「畜生! 仮面の騎士だ!」


 アルチュールは叫んだ。


「声の方向へ急げ! 未だ助けられるかもしれん」


 一行は馬から急いで降りるとその方角へと走りだした。

 そこは村の目抜き通りで沢山の死骸が転がっていたが、確かにその犠牲者はまだ生きていた、いや既に絶命しようとしていたが――


 ゆらり。

『食事』の邪魔をされた騎士はゆっくりとした、所作で立ち上がるとこちらを見遣った。

 総員、怖気が立った。

 騎士は背が高くぼろぼろに腐った異国風の鎧具足、以前ゴーシェが三番叟と呼んでいた翁の面で触手でしかない顔を隠している。

 二刀の新月刀を操りながらも、体躯は女のように華奢だ。


「貴様ら、邪魔をしたな……」 

 

 意外にも騎士は言葉を発した、これには一行は面食らう。

 ぞっとするほど昏く、低く冷たい声だった。

 その呼気は口のあるべきところではなく騎士の左の首元から、呼気と一緒に漏れ出していた。

 一方、犠牲者は絶命していた、騎士の『食事』が致命傷になったようだ。


「以前にも遭ったな、


 騎士はゴーシェを知っていた。


「何故オレの名を!? 答えろ仮面野郎!」


 ゴーシェはグラムを抜いた。


「いけません、ゴーシェ! 一対一で騎士と闘っては――」


 ダオレは叫ぶが一瞬遅かった。

 ゴーシェはグラムが躍るに任せて身を翻すが、やはり騎士の一撃は重く受け止めるのがやっとであった。

 グラムと騎士の新月刀は鍔迫り合いで白刃火花を散らし、何者もそこに立ち入ることは出来そうにない。

 だが騎士の大きな足がゴーシェの胸板を蹴ると、ゴーシェはひどく吹っ飛んだ。

 砂地に倒れ込むと薄い唇から喀血する。


「ゴーシェ!!」


 オルランダの悲痛な叫び声が響くが、騎士は再びゴーシェに迫って来ていた。

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