閉架図書室の男

「フフフ……ゴーシェ、君がそろそろここへ来るころだと思っていたよ」




「で、王立図書館ってのは此処か――」


 この日は国王、アルテラ25世の市街への行幸のため人はほぼ出払っていた。

 通行人もまばらだ。

 無理もない、皆アルテラ25世を一目見ようと目抜き通りへと集まっているのだから。

 ゴーシェは図書館というだけで蔵書を想像しては、勝手に舞い上げっている節があった。

 養父と一万冊の本に囲まれて地下の庵で育っただけはある、知的好奇心は人一倍なのだ。

 アルチュールの屋敷で使用人に問い質し、あまり屋敷からは離れていないこの図書館にやって来たのだが……


『流民、奴隷の立ち入りお断り。利用者は戸籍を提示のこと』


 の、貼り紙の前で固まってしまっていた。

「差別だな、差別野郎がここの管理者か!」


 確かアルチュールは奴隷として登記したが、戸籍まで用意しているとは言わなかった。


「畜生! このしみったれた国の身分制度とやらでオレは目的の本に辿りつけないのかよ!」


 叫ぼうと門番は固く門を閉ざすばかりだ。


「奴隷だか何だか知らぬがお前の身分ではここに入れるわけにはいかぬ、早々に立ち去れい」


「オレはアルチュール・ヴラドの従者だぞ……今のところは、それでもダメってか!」


「証拠がないではないか、確かに良い身なりをしてるがお前には戸籍がない。入りたければ戸籍を提示せよと言っているのみだ」


「チッ、こちらから願い下げだぜ、じゃあな」


 ゴーシェは踵を返すと図書館の正門を後にした。

 こうなったら正面が駄目ならこの図書館の周囲を回るしかない。

 とりあえず建物を囲む塀の切れ目を探しゴーシェは歩き始めた。

 塀は高く所にっよって6プロム(5m)、低くても4プロム(3,5m)ほどもあった。

 おまけに切れ目がない、だが――丁度裏手に窓のある隙間があり、そこからゴーシェは入れそうだった。


「罠か? まあいい虎穴に入らずば虎児を得ず、入るしかねえ」


 大分無理やりだがゴーシェは己で穴を塞ぐようにしてその窓へ入って行った。


 そこは無人の執務室であった。

 樫材の机の上に書類の束が山のように置かれている。

 生命なきものの王の国で使われている文字は50、これをゴーシェが読むのは容易なことであった。


「なるほど、閉架図書の閲覧願いか」


 その他には、利用時間の延長や戸籍に替わる図書館パスの新設に至るまで様々な要望がっあったが、殆どに『確認済み、不許可』の印が捺されていた。


「――ここは、図書館館長の部屋?」 


 だが館長は現在不在らしい。

 椅子にお仕着せの上着が掛けっぱなしだ。

 まあいい、ここからその古文書とやらを探しに行くとするか。


 窓と反対側のドアを開けると廊下に出た。

 無人で全く音がしない。


 すると直ぐに『閉架図書室』のプレートのかかった部屋が目に入った。


 アルチュールが言うには消えた神々の話の本は禁帯出という、それなら閉架に相場は決まっているのだ。


 ここに当たりをつけたのは間違いなさそうだった。


 ゴーシェはその扉をそっと開けた、鍵はかかってない。


 ふん、内部の警備はだな……


 内部は暗かったが一部灯りが漏れている個所があった。

 しまった! 人がいる!

 だが、時すでに遅くその人物にゴーシェは気取られてしまっていた。


「フフフ……ゴーシェ、君がそろそろここへ来るころだと思っていたよ」


 低く、甘やかな声が呟く。

 名前を呼ばれたので、ゴーシェは心臓が飛び出しそうになるほど吃驚した。


「オレの名前を知っているということは……」


 姿の見えぬ相手に凄まじい憤怒を燃やしながらゴーシェは言った。


「俺は君の養父を殺した下手人ではない、断じて」


「そこまで知っているなら洗いざらい吐いてもらおうか」


「おっと、ここは図書館だ声は小さく」


「貴様、何者だ。姿を見せろ」


 だが、返答の替わりに軽やかな笑い声のみが聞こえてきた。


「君が捜している本はここにはない」


「なんだと?」


「あれは焚書された。愚かなことだ」


「………………」


「俺はその内容をそらんじてるが、君に教える義務はない、さらばだ


 言うが早いか漏もれていた灯あかりは一瞬のうちに消えた。


「待て!」


 己も知らぬ真の名前を言われてゴーシェは狼狽したが、部屋が真っ暗になった以上何もできなかった。



※※※



「それで、どのようにして王立図書館から出たのだ。さっぱり記憶に無いとは言わせぬぞ?」


 国王の警護から帰還したアルチュールに詰問されようと、答えられないものは答えられなかった。


 ゴーシェの記憶からはあの閉架図書室での一件から記憶が全くという程なく、気が付いたらボレスキン伯爵邸へと戻されていたのだ。


 アルチュールが怒り心頭になるのも無理はなかった。


 それは敵かも知れない勢力に、少なくとも自分たちの居場所がわかってしまったということだ。


「逆に訊こう。閉架図書室にいた男に心当たりはあるのか、アルチュール?」


「わからぬ、ただそこまで自在に王立図書館に出入りできる者となると限られてくるが――そしてその男は件の古文書は焚書されたと確かに言ったな?」


「言った、そしてオレをまたあの名前。デュランダー・カスパルとも」


「ふむ、本人が否定しようとお前の養父の下手人の可能性は高いかもしれん」


 そこでダオレが声を上げた。


「ちょっとゴーシェさん、アルチュールさま二つほど忘れてませんか?」


「何をだ?」


「何をだね?」


「例の下手人の紋所は狼の乳を飲む赤児だったはず、アルチュールさまは本当は心当たりがあるのでは?」


「………………」


「それにもう一つ、オルランダさんがゴ―シェさんを探すと言って帰ってきてません」

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