砂猿との戦い(2)
オルランダはこういった場合無力で黙って見ていることしかできない。
そこを二人がかりで斬撃を与えていく。
「もうやめてよ!」
思わずオルランダは叫んでいた。
「いくら野生動物だからってもう、致命傷を与えてるじゃない! これ以上ずたぼろにしてどうする気なのよ」
ぴたりとゴーシェとダオレの手が止まった。
「でも、また意味もなく襲われますよ?」
ダオレが答えた。
「お前は野生動物の習性を知っているのか? 都は本当に平和ボケしてるんだな」
ゴーシェも答えた。
「意味もなく襲われるって……」
「可哀想、か? いいか野生動物はな行動に理性がない、はるか昔にあったといわれている子供を守る本能もない。無計画に単為生殖し、無節操に殺戮を繰り返す。そんな連中にかける憐憫があるとは、都の連中は平和ボケといわれても言い返せないだろう?」
「何故彼女は野生動物のことを知ってるのです? 都とは?」
「ダオレ、どこまで知らんふりをしてるかわからねえが、カマトトぶるのもいい加減にしろ」
「私は
オルランダはぽつりと答えた。
「なるほど、ミセモノゴヤですか……! ゴーシェ! 後ろ!」
ダオレが叫ぶと同時にゴーシェの真後ろから、先ほど砂に潜った砂猿が飛び出してきた。
「チッ! 生きてやがったか、逃げるふりなんてしやがって!」
「嗅覚が鋭いのです、目をやられても死にかけは鼻だけで餌を捕食できるとか……」
「こいつぁ喉の奥を潰すしかねえか、ダオレ手伝えるか!」
「はい!」
砂猿はまた黒煙を吹き出し始めたが、もう炎を吐くことはできない。実際そうしようとして辺りは真っ黒な煤で覆われた。
「次に炎を吐く真似がチャンスです!」
「どっちがやる?」
「ぼくがとどめを刺しましょう、あなたはその黒い剣の扱いに慣れていない」
「悔しいがその通りだ頼む、ダオレ」
もう一度砂猿は炎を吐こうと口を開けた、すかさずダオレが鉈を砂猿の口に深々と差し込んだ。
肉を切る鈍い感触。
そして一気にそれを引き抜く。
同時に動脈から鮮血が溢れだしダオレの頬を染めた。
「殺やったか!?」
「手ごたえがありました」
二人が叫ぶのと同時に砂猿は、ずしりと地面に仰向けに倒れ動かなくなった。
「殺したのね……」
オルランダは非難がましく二人の男を見遣った。
「砂猿の縄張りは半径15ガラムと言われている、もう遭遇するこたぁねえよ」
ゴーシェはそう答えたが、オルランダの機嫌は直りそうになかった。
こんなとき女は放っておくに限る。
「さてダオレ……と今は呼んでおくか、お前いったい本当に何者だ? 砂猿に関する正確な知識といい、オレのことも知ってそうだし、この懐剣の紋章を知らないというのは嘘だろう?」
ダオレはまたもとの引っ込み思案な男に戻り、ゴーシェの質問には回答しなかった。
「知りません……砂漠のことを知ってるのは知ってるんですけど、自分が何者かまったくわからないんです。もちろんあなたがたのこともよくわかりません……」
「………………」
意外な助け舟を出したのはオルランダだった。
「もういいじゃない、助けてもらったんだから今度は私たちがダオレを助けましょう」
「ちょ……まさかこのまま伯爵領まで連れて行く気かよ!」
「伯爵領? 貴族の領地がこの近くなんですか?」
「それについてはゆっくり説明するわ、ダオレ。でも私の髪を見ても驚かないのね」
「ん? 髪? その色の髪が何か問題でも?」
「オルランダ、この男には常識が欠如してるか知らないふりをしている、あまり喋るな」
「常識なら身につけた方がいいのでしょうか?」
「とりあえず伯爵領に向けて出発しましょう、歩きながら色々教えてあげるわ」
そう言ってオルランダとダオレが歩き始めたので、ゴーシェは慌てて声をかけた。
「おい! 進行方向が逆だ!!」
やがて砂地は草地になりオアシスが近いことを告げていた。
もう夜になっても潮は満ちてこなかった。
三人は目測で伯爵領まで半日程度のところで陣を張った。
あまり近いと見張りに発見される恐れがあるからである。
オルランダのおしゃべりでダオレはこの世界のこと――主にがらくたの都のことはだいたい理解した様子だった。
この晩お喋りと疲労からオルランダは早々に床に入っていた。
深夜、薪を囲んで二人の男は長らく炎を見ながら、無言で座っていたが遂にダオレが口を開いた。
「して、ボレスキン伯爵とは何者ですか?」
「オレにもよくわからん、年寄りなのか若いのか、それすらな」
「オルランダさんの言うとおり都での地位や評判も判らない……」
「しかしこんな砂漠に囲まれたど田舎が領地とみると、大した人物ではないと見えるな。実際に遭遇してみないとわからない、その程度にオレは考えている――それと、」
「どうかしましたか?」
「このまま手伝ってくれるのかダオレ、一度ならずともお前を疑っていたオレを」
「今は信じるしかないでしょう、僕も解らないのです、己が何をなすべきか……」
そして再び二人の男は黙りこくった。
いつの間にか薪が燻って炎が消えかけていた。
消えるならいいだろう、少なくとも伯爵の勢力には発見されにくくなるはずだ。
夜も更け、そのまま二人は火を消すと油断して眠ってしまった。
その晩ゴーシェは夢の中でボージェスが近衛兵に殺される場面を見た。
何やら書き物をしているボージェスに後ろからひたひたと近衛兵が近寄ると今、まさにゴーシェが腰から下げている懐剣でボージェスの頸を後ろから一突き。
ボージェスにはそのとき殺された、という感覚はなかった。
近衛兵ともあろうものがなんたる卑怯な手口よ、ボージェスの無念を思うと彼を埋葬できなかった己の無力さと、復讐するにも力不足に歯がゆい思いで満たされていく。
悔しい。
無力な自分が、卑怯な下手人が、どうにもならぬ運命が。
浅い眠りは冷たい感触で唐突に断ち切られた。
頸の後にひんやりとしただが明確な殺意、ゴーシェは、はっとして目を覚ました。
――遅かった! 目の前のダオレは縛られているし、オルランダは運び出されていく途中だ!
「この懐剣は君のかね?」
背後から男の声がした。
「ちっ……ボレスキン伯の手の者か!」
「連れて行け!」
拍車の付いた革靴で思い切り蹴られるとゴーシェは再び意識を失った。
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