■6 虐殺人形

「お前の言葉は虚言であると判断した」


 何故なら、とクロユリは息を詰める。……殺気。先ほど踏み越えたはずのひとがきが動き出すのが見えた。それは紫煙のリコリスを守る最終兵器トラップ。黒百合が蠢いた。凶悪な赤い螺旋を紡ぎ、クロユリはその肉壁を断ち斬る。日本刀の域を超えたそれは、群がる人々の胴体を大きく裂いた。


 ――ああ。線が見える。死線だ。


 クロユリの目は感じる。その終わりを、くりぬくべき心臓への太刀筋を。ふたつ、みっつ、やりあうこともなく、ただ骸へと還っていく兵隊しろうとたち。怯えきった表情を更に蒼白くして、紫煙のリコリスはその場でもんどりうった。逃げようとしたが腰が抜けてしまったらしい。


「死を恐れ、己のみが生に固執する性格であることは事前のデータで理解している。故にこの期に及んで無策とは判断しかねる。それは的中した」

「あ……あ……」

「たとえ、生きているだけだとしても。マダムはお前を不要と判断した。。故に私は殺すのみ」


 クロユリの唇からはするすると言葉が落ちてきた。こんなに饒舌である必要はないのだが、恐怖に揺れるリコリスを前に何を雑談しているのか。どこかがアラートを鳴らす。時間の無駄、機械たるべし――是だと。


「なっ、な、なんでえ!」


 裏返った声で最後の抵抗を試みる。紫煙のリコリスは涙をぼろぼろと溢して隠し持っていたナイフを突きだした。しかしそれは構えですらない。自衛のため、生存のため、本能が抵抗を示しただけ……カタカタと震えた切っ先には微塵の脅威も感じない。

 何故。殺されることに理由が必要か? 生かされることに執着する理由は何だ? マダムが決め、マダムが選び、マダムがすべてを踊らせる。はそのための駒に過ぎないというのに。


「――――?」


 ジジッ、と。

 視界に砂嵐が走った気がした。違和感。クロユリは異変に眉をひそめる。だがそれは目の前のリコリスを殺すに当たっての障害とはなりえない。一瞬止まった怪しの刀が、今度こそ標的を斬り飛ばした。


「……なん、だ。今のは」


 転がる死体を気に留めず、クロユリは茫然と繰り返す。何だ。何だ。この違和感は何だ? 瞬きを何度か繰り返せば、もう砂嵐は発現しなかった。マダムの治療の後遺症でも出ているのだろうか。彼女は「うまくいった」と言っていた。「心を奪ったのだからあなたはデーヴィスも同然の虐殺人形ね」とも。その意図をクロユリは理解しない、しようとも思わない。脈打つ黒百合の波長が、僅かに乱れた。


『――リ。クロユリ。何をしてるの!? 応答なさい!』


 データとして脳内に叩き込まれた音。マダムの緊急通信だ。デーヴィスはマダムとの通信手段を持たない。だが改良された身であるクロユリは試験的にその機能が実装されていた。いわく「あなたはイレギュラーにも対応できる機械であってほしいから」と。

 焦燥にかられたマダムの声を聞くのは初めてかもしれない。通信越しにも動揺と、早口で捲し立てているのがわかった。焦っているということは緊急事態、予期せぬことが発生した可能性。クロユリは応答する。


「マダム。命令は遂行した。三体のリコリスとも抹殺」

!』


 戻れと。マダムはクロユリに帰還命令を出した。


『すぐにトチョウに戻ってくるの! 最優先に、早く!』

「……了解」


 マダムの怒号の意図を推察する時間は取らなかった。戻れと言われたから戻る、それだけでいい。クロユリは飛散した血を顧みることなく廃墟を後にした。

 三日目の、夕方の話である。


 ***


 過去というのは、あまり好きではない。昔々、誰もが歩んできた足跡。相手と関われる時間なんてほんのひとときで、自分が伺い知ることのできない歴史がある。人間は歴史の積み重ねだ。幼少期、青年期、数十年の人生のなかでどんな経験をし、歩んできたか。家族は、恋人は、成功は、挫折は。それらを積み重ねた果てに、目の前の人間は立っている。

 リコリスも人間に擬態して生きてきたようなものだから、同じように歴史を持っているはずだった。たとえばあの瑠璃のリコリスのように。彼女には北上有栖としての過去があって、覚醒して、今がある。人間からリコリスへと変生した彼女たちには、そんな生き物になるだけの関係性が存在していたのだ。


 ドロシーはまっさらだ。ドロシーに過去というものは欠落している。

 意識を獲得したとき、すでにドロシーはドロシーでしかなかった。真っ赤な髪と白いブラウス、チェックのスカートとローファー。かつての日本でオーソドックスだった女子高生の出で立ちだ。それを気にすることはなかった、そんなものはなくても問題なかった。自分がドロシーという名前で、リコリスという生き物で、人間を喰らって生きればいいとわかっていたから。それ以外になにか必要とは思わなかった。記憶というものに固執することもなかった。


 ――里砂を見ていて、時折胸がざわざわするのは何故だろう。


 ドロシーにとって、里砂は初めての恋人だった。愛したひとだった。ドロシーに食べる以外の執着を教えてくれたひとだ。物事の善悪、人間とリコリスの違い、愛し方を触れながら学んでいった。ドロシーの真っ白だった部分が、少しずつ色鉛筆で書き込まれていくみたいだった。

 里砂の「過去」に触れたとき、ドロシーはよくわからないモヤモヤを感じる。観覧車も砂浜も、並んで見ているのはドロシーなのに、どうしてか里砂の視線がこっちを見ていないときがある。知っていた。左の頬をさするように撫でる癖も知っていた。それは彼女の過去に巣食う男が原因で……里砂は、今もその男に囚われているのだと。


 にドロシーは届かない。塗り潰してやりたいのに、里砂の頬を撫でても彼女の顔が晴れることはない。心の奥に眠っているという傷口が、トラウマが、彼女を今も苦しめる。ドロシーはそれを治せない。まっさらなドロシーにはない過去というものが里砂をいかに苦しめるものか、ドロシーは理解できない。

 ……過去なんて要らないが、届かないことは歯痒かった。

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