純潔篇 魂の在処

■1 少女という毒

 澄んだスカイブルーの瞳が印象的な男だった。

 異文化交流だがそんなラベルを張られたイベントで、でも結局のところ合コンじみた中身になっていた。女は悪友に連れられて半ば強制的にそのイベントに参加させられた。

 ドレスアップして、化粧をバッチリ決めて夜の戦場へと赴く女たち。自分も同じように見られているんだろうなと思うと、周囲の視線は棘のように不愉快だった。


 男女が向かい合って座る長方形の座席ではなく、結婚披露宴のようなラウンドテーブルに案内された。男女がフォークダンスを踊るように交互に座らされて、その配列の均一化が女には吐き気を催すほど邪悪に思えた。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪くてたまらない! 将来のために異性にがっつこうとする人間が、それと同一視されることが、女には不快でならなかった。

 女にとって人間とはどうでもいい存在であった。社会に敷かれたレール通りに生きることはとうの昔に諦めた。肉親の膨らませた借金を背負わされた時点で人生だと悟ったからだ。自己破産は最後の手段にしたいと思いつつも、たかだか女一人で億単位の借金をどうにかできるほど現代社会は甘くない。だからせめて己の負債を担わせる犠牲者はんりょを探そうと、思っていなかったわけではないが。


 そこに愛なんていらない。金だけを置いて干渉しないでほしいと女は望んでいた。


 ラウンドテーブルで互いに自己紹介をし、できるかぎり目立たないようにフェードアウトしようと思っていたのに、運命は女に優しくなんてしてくれない。「――さんって前科マエあるってほんと?」と、その男は聞いてきたのだ。

 スカイブルーの瞳。しかし鼻は低く髪も黒い。アンバランスな日本人の顔立ち。瞳だけは異質で澄み切った空のように爽やかなのに、どうして聞いてくる質問はこんなにもえぐいのか。


「……それ、誰から聞いたの」

「うわ、怖い怖い。別に脅すわけじゃないから安心してよ」


 睨みつけてやったら男は大袈裟な身振りで身の潔白を証明しようとした。羽虫を追い払うように手を振ってみせたが、露骨な拒絶にも男は屈しない。苛立って女は身の上話をする羽目になった。


「私じゃないわ。父親がやらかしただけ」

「それで君に借金が? 災難だねえ」


 全然災難な風でもない飄々とした物言いに、女はストレスが溜まる一方だった。


「よし決めた!」


 そして、あろうことか男は女に軽い口調でをもちかけたのである。


「君の借金を背負うことはできないけど、俺が君のスポンサーになってあげよう!」

「……どういう意味」

「君に、割のいい仕事を紹介してあげるってこと。知り合いに研究者がいるんだけどね、若い女の子に手伝って欲しい案件があって」


 水商売はやらないわよ、と即答してやったが、違うんだと男は首を振るばかり。そのとき、こんなうますぎる話に耳を傾けるべきではなかったのだと、女は病院の屍の上で回顧する。


「まあ治験みたいなものだから、どうか手伝ってくれないかい? 『デーヴィスの紹介で』と言えば、大抵話は通るようになってるからさ」


***


 身体を駆け巡るのは、いつだって痺れるような渇望だった。もし、クロユリにという機能があって、さながら人間のようにすることができたなら、そんな比喩的表現もしてみせたと推測する。リコリスには本能がある。動物よりも野蛮で人間よりも致命的。その業からは逃れることはできないのだ、否、その欲望にしか従えないのだ。クロユリの中に燻っていた炎は、いつだって斬り合う誰かを求めていたのだから。

 雀を一羽斬ったところで、なんの満たしにもならなかった。己の身体の一部と化した黒百合がどんなに血を注がれても、心臓の奥は空虚だった。この渇きを何と呼称すべきかクロユリは最後の最後までわからなかった。それを求めて斬り続けた。強いものを斬っていけば己は満たされるはずだと。


 烈火のリコリスは、強くもなんともない少女だった。目立つ赤い髪と爆音のチェーンソー。頭のネジが何本か飛んでいるのかと思っていた。隔絶絶命都市トウキョウにおいて目立つことは死に繋がる。他のリコリスに捕捉され捕食されるリスクが高まるからだ。海浜公園で壊れたゴンドラに乗ってはしゃぐ姿を直視していたら、当時のクロユリは気をおかしくしていたかもしれない。

 それなのに、あろうことか餌であるはずの人間の女を連れて、愛だの恋だのと馬鹿騒ぎし、下手な挑発をしてくる。許せるはずがなかった。敗けるはずがなかった。そういった享楽的なリコリスは切り刻み、血肉の一片すら残したくないと。黒百合が啜り、この世にいた痕跡さえ奪ってみせようと。そんな憤怒がどういうわけか去来した。


 ――扉の奥で情事に耽る女を思い出す。


 あの家はなんだったのだろう。師の教えに従い、道を突き詰め、刀とともに受け継ぐはずだったソレは高潔なものだと信じていた。清廉潔白、ただ刀の道を真っ直ぐに。邪念を捨て高みへ至る。快楽というのは邪で憎むべきものだと、思っていたのに。


 ――どうして、あんな色狂いの腹から産まれてしまったのか。


 クロユリはどこで何を間違えたのか。そもそもこの結果は過ちと言えるのか。もうわからない……だってクロユリには、


「なん、なの」


 震える声。ああ、腐った臭いがする。生肉を常温で放置してしまった、やってはならない失態だ。それでも目の前で横たわる男女を見るよりはずっとマシだった。交わった後の独特の臭いを、排斥すべきだと脳髄が告げる。


「純潔のリコリス、捕捉」


 クロユリの声はまるでデーヴィスのそれだった。肉声のはずなのに機械仕掛けの電子音のよう。不正確なイントネーションが彼女をそうさせているのかもしれない。

 クロユリの鼓動と照応していた黒百合の蠢きは、規則的なものに変わっていた。化物じみたグロテスクな脈打ちはしないし、ことはすっかりなくなった。その代わり一切の感情の欠落した、残酷でしかない鋭利な刃物へと堕ちている。


「マダムより指示を再確認。『必ず殺せジェノサイド』――遂行する」


 クロユリは一切の躊躇いなくくすんだ白銀を振り上げた。モノトーンの乙女にあって唯一の「色」だったそれは、かつてと異なり鈍い輝きになっている。それでも切れ味に変化はない、これは道具なのだ。使い方を間違えなければ呵責なく命を奪うだろう。

 そのためにかつてのクロユリはみっつのプロセスを経ていた気もするが……忘れてしまった。

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