22.花火と図書館

「あれ、アリス?」


 午前九時。凪人がアリスと出会ったのは意外な場所だった。

 凪人の姿を視界に捉えたアリスは抱えていた本を取り落しながら目を輝かせる。


「すごい、珍しいところで会うね。凪人くんも本借りに来たの?」


 図書館中に響きわたる大声だったので何人かが顔を上げた。


「ば……声でかい」


 凪人は慌ててしゃがみ込み、利用客らと視線を合わせないようにした。ついでにアリスが落とした本を拾う。題名を見て驚いた。


「花火の図鑑?」


 アリスが持っていた本はいずれも花火やその種類を解説した本だった。


「実はね、テレビ中継のゲストに呼ばれたの」


 アリスも同じようにしゃがみ込むと「第●回納涼花火大会」と書かれたチラシを広げる。


「女性ゲストがひどい風邪で出られないらしくて、予定が空いている私が急きょ呼ばれたの。やっぱり浴衣着た女の子がいるほうが画面は華やかだからじゃない?」


「ふぅん……でもアリスで代わりの役目が果たせるのか?」


「だから一つでも多く種類を覚えるために本を借りに来たの」


 付け焼刃とは分かっていても仕事である以上は知識を深めたい。それがアリスの思いだった。


「画面を華やかに飾るだけなら私じゃなくてもできる。若くて可愛い子なんていくらでもいるもん。そうじゃなくて、私しかできないことがしたいの。私が必要とされる理由が欲しいの」


 鼻息荒く熱意を語ってみせるが凪人は迷惑そうだ。


「分かった。分かったから声のボリューム落とせ。おれだって本借りに来たんだから追い出されたら困る」


「そういえば何を借りに来たの?」


 空いている席に向かう凪人についていくと、可愛らしい表紙の本が広げられた。並んで座ったアリスは一つ一つの題名を目で追う。


「『ヘルシーで美味しいおやつ』、『豆腐・寒天スイーツ』、『女の子が喜ぶ低カロリーレシピ』。お菓子の本ばっかりだね。どうしたのこれ」


 凪人は一瞬ためらいを見せたが「店で出すスイーツの参考」だと答えた。


「うちの常連客がカロリーを気にしているからさ、美味しくて低カロリーな新しいスイーツを開発しようと思って」


 恥じらうように告げられた言葉にアリスは目を瞬かせた。


「――もしかして……私のために?」


「ち、ちがう。愛斗さんのためだ。店だってオリジナルのものがないと客足が伸びないからな。それだけだ。絶対にアリスのためなんかじゃないからな!」


 ついムキになって叫んでしまった。

 はっと気づくと大人も子どもも皆、凪人を見ている。


「か、帰る」


 凪人は慌ただしく貸し出し手続きをとって図書館を出た。ほっと胃を撫でたところでアリスが追いついてくる。


「これポケットから落ちたよ」


 差し出された書類を見て凪人の顔色が変わった。丁寧に折りたたまれていたのは「第●回納涼花火大会」と書かれたチラシ。そう、アリスが持っていたものと同じだった。


「凪人くんも行くつもりだったの?」


「たまたま図書館の入口に置いてあったから貰っただけだ。それにほら、イベントがあると客足も伸びるし」


 チラシを奪い取った凪人はポケットに収めつつも落ち着きがない。自転車置き場に向かって足早に歩いていくのでアリスも慌てて追いかけた。


「でも花火は六時半からだよ。それに今日は桃子さんお友だちと泊まりの温泉旅行じゃなかったっけ?」


「なんでアリスが母さんの予定を知ってるんだよ!?」


「だってアドレス交換しているもん。お店に行きたいときに予定確認してるんだ」


「う――」


「だから今日はお店も休みで凪人くんはフリーだって言ってたよ。ぼっちな凪人くんは一人では花火大会に行かないだろうけど、友だちと一緒なら行くかもしれないって」


 アリスの笑顔と母の笑顔が重なる。凪人は苦虫をかみ殺したような顔になる。


(だから母さんはおれにチラシを寄越したのか、アリスの予定も承知したうえで)


 いまごろ旅行先で『恋ねェ』と笑っている母の顔が思い浮かぶ。

 そんなこととは知らないアリスは悲しそうな目蓋を落とした。


「できれば一緒に花火観たかったけど、だめだね、仕事になっちゃったし」


 さも残念そうに肩を落とした。花火の本を握りしめる腕が震えている。

 そんな姿を見せられた凪人の心も穏やかではない。


「……行くよ花火大会。どうせ暇だし」


「えっ? でも人ごみすごいよ」


 凪人は人酔いする。熱気にあふれた花火会場なんて頼まれても近寄りたくないのが本音だった。けれど。


「薬を飲んでおけば我慢できるし、それに、アリスがどんなトークするのか興味あるから」


 アリスの動きがぴたっと止まる。不審に思った凪人がどうしたのかと顔を覗きこむと同時に左腕をぐっと掴まれた。


「ありがとう。私、トーク苦手だけど、がんばるね」


 腕を引いてできた隙間に自分の手を差し込み、まんまと腕を組む。はっと気づいたときには完全にホールドされていた。計算づくとは思えない満開の笑顔が咲く。


「ね、このまま腕組んでこの辺りをデートしようか? それでもお茶でもしに行く? 私お腹ぺこぺこなんだ」


「なに言ってるんだ、花火の勉強するんだろ?」


「あ、そうだった……」


 いかにも残念そうに目尻を下げる。あまりにも分かりやすいので凪人は笑ってしまった。


「うちに来いよ。店はやってないけど軽食くらいなら用意できるから、そこで勉強すればいいだろ」


「ぃやったーぁ!」


 アリスの喜びようといったら、餌をもらえると知った犬がブンブンと尻尾を振っているみたいだった。

 と言うのも、アリスの目的はもう一つある。憧れの自転車の二人乗りである。不安定な体勢で密着すれば、否が応でも心の距離は縮まるものだ。



 しかし。



「じゃあおれ先に行って準備しておくから後からゆっくりこいよ」


 凪人は自転車にまたがると自分とアリスの本を前かごに入れて颯爽と走り出した。


「え、ちょっと、ええええーーーー」


 てっきり二人乗りで店に向かうものとばかり思っていたアリスは絶叫しつつ追いかけてくる。かなりの俊足だ。


「待って待って待って! 後ろに乗りたいー!!」


 髪を振り乱しての大絶叫にたまらず凪人も自転車を停める。


「なんだよ。二人乗りはしないぞ。目立つし不安定だし法令違反だ」


「くっ真面目か……!」


「ダメなものはダメだ。ったく、モデルなのにそんな髪乱して」


 おもむろに伸びてきた手がアリスの目蓋にかかった髪を払いのける。

 それだけでドキッとした。彼の方から触れてくることはそう多くない。


「……ふふ」


 顔を赤らめるアリスに気づいて、凪人も恥ずかしそうに目蓋を伏せた。

 そして諦めたように自転車を降りる。


「分かったよ、店まで一緒に歩いて行こう。そのかわり大したもの出せないけど文句言うなよ」


「うん」


「あと、Aliceだって気づいて人が近づいてきたら悪いけど先行くから」


「分かった。日傘と帽子で顔を隠しておくね」


 目立つことが嫌いな凪人とでは白昼に堂々とデートもできない。

 それでもいい。そんな制約も含めた彼のことが好きで、一緒に過ごせる時間がなによりも幸せなのだから。


 カラカラと鳴る自転車にあわせ、二人はゆっくりと歩き出した。


「あ、そうだ。凪人くんに言いたいことがあったの。今日、私――」







「キスしたいな」







(…………え?)


 凪人はびっくりして顔を上げた。

 アリスは照れくさそうに毛先をいじっている。


「そんなに驚いた顔しなくてもいいのに。キス、したくないの?」


 後ろ手に組んだアリスがゆっくりと迫ってくる。

 桃色の唇がアップになり、すぐ間近で花弁のように開く。吸い込まれそうなほど瑞々しい。


「目、閉じててよ。そんなに見られたら恥ずかしい」


 胸元にそって手を這わせて爪先立ちするアリス。

 もうどうやっても逃げられない。


 覚悟を決めて体を強張らせた凪人だったが、寸でのところでアリスが体を離した。

 人差し指を唇にあて、おかしそうに笑っている。


「やっぱりだめ、歯磨きしてからじゃないと」


(……は?)


 凪人は呆気にとられながらを見ていた。

 

 CMの内容はこうだ。

 ひとりの少女(Alice)に恋した男子高校生が思い切って遊園地デートに誘う。その帰り道、いい雰囲気になったところでキスをしようとして冒頭のセリフを告げられる。


『キスしたいなら歯もキレイじゃないと。○○○(メーカー)の歯ブラシなら色も種類もこーんなにたくさんあるんだよ、迷っちゃうよね』


 そう言ってカラフルな歯ブラシをネイルのように見せつける。


『歯磨いたら、今度こそキスしようね』


 そして満面の笑顔を浮かべ決め台詞を告げたところでCMが終わる。


 図書館前で聞いた、初めて出演したCMが今日から放送されると言うのでテレビをつけていたらコレである。どんなCMか聞いていなかったが、まさか因縁の歯ブラシとは。


「Aliceの初CM、なかなか面白いだろう」


 けらけらと笑い声を上げたのはカウンターテーブルに腰かけている愛斗だ。

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