八、にきはだ

「……それで、こんな小さな女の子を連れてきたと」


 笑顔の八重ちゃんが手に持っているのは、我が家の固定電話の受話器である。入力済みの数字が出る画面には既に「11」までが表示されており、受話器を持っているのと反対の手は「0」へと伸びていた。


 「十六歳少年、幼女誘拐事件」、「乱れる若者、その性意識の背景には……」不吉な見出しの新聞記事が脳内でひらひらと舞う。


「流石に信じてもらえないかな?」


「だってあまりにも現実離れしてるじゃありませんか。この家が世界一のパワースポットだなんて」


 それはもっともだ。俺だってそう思う。でも、八重ちゃんの存在も俺からすればオカルトの領域なのだ。


「それ神社の娘さんが言いますかね……」


「神社の関係者って、意外とオカルトには一歩引いて見ているものなんですよ」


「そうなんだ……」


「とにかく、その子の正体を明らかにするべきでしょう。尊さんのお父様に連絡してみては?」


 確かにここは親父に確認をとるのが手っ取り早い。景久の密告のせいでお袋に刺されてないといいが……


「わかった。もう時間も遅いけど今回は非常事態だ。かけてみよう」


 ヤマコをソファーに寝かせ、早速親父に電話をかける。今回もワンコールで出やがった。これ旅行楽しめてるのか?


「もしもし俺だ。生きてるか?」


「おう我が息子よ! 父は今日も健在だ! 今日も女の子の話だろ!」


 相変わらずでかい声で応答した親父。元気そうで何よりだ。


「分かってるなら話は早い。今日、梅村景久って男とヤマコって女の子と会った。ヤマコは今うちにいる。梅村が言うには親父とお袋にヤマコのことは伝えたらしいが、親父、あんたはこの件どこまで知ってるんだ?」


「おお! 景久君とも会ったのか! 恐らく! 俺の理解している範囲はお前と大して変わらんぞ! 逆にお前はどこまで知っているんだ!?」


「うちが強力なパワースポットで、色んな宗教の人間が狙ってるってことと、そいつらから俺と家を守るために梅村やヤマコ、そしてもう一人女の子が派遣されたってことくらいだよ」


「結構知ってるじゃないか! というかそれが全てだ! がっはっは!」


「もっと色々あるだろ……親父が梅村たちとどこで出会ったのかとか、ヤマコちゃんの経歴とかさ。あんな幼い子がどうしてあんなに日本語話せるんだ?」


「ふむ! 母さんたちが待っているから簡潔に答えよう! 景久君はな、ざっくり言えば父さんの恩人だ! とにかく父さんは彼の頼みは断れん! これについてはまた今度な! がっはっは!」


「……まあいい、ヤマコについては?」


「そうだな! 我が息子よ! ヤマコちゃんの扱いには十分気を付けるんだぞ! あの子はああ見えてマフィアの本場、イタリア仕込みの暗殺者だ! 機嫌を損ねると冗談抜きに取られるぞ!」


「取られるって……命(タマ)を?」


「命(タマ)を!」


「あはは……」


 乾いた笑いが零れる。それってさっきヤマコを責めた時、俺の命危なかったんじゃないか?


「そんなの信じられるかよ……だってこの寝顔見てたら人を殺せるようには」


 視線をヤマコに向けると、ヤマコは依然穏やかな表情で眠っていた。こんなにも無邪気な寝顔の女の子が人を殺せるなんてとても思えない。


「じゃあ、頬でも突いてみると良い! すぐに分かるから!」


 言われたままに、ヤマコの見るからに柔らかそうな頬に手を伸ばしてみる。ちょっと八重さん違うんですってば。そんな虫を見るような目で僕を見ないでください。


「……触るんですか?」


 八重ちゃんは再び受話器を手に取り、いつもより一オクターブ低い声を出した。でも良い声なんだよなあ。


「だって親父がやれって」


「駄目です。私がやりますから、尊さんはヤマコちゃんから十メートル以上離れてください」


「壁にめり込むんですが……」


「めり込めばいいんじゃないですか?」


「ええ……」


 冷酷に言い放つ八重ちゃん。どうしたんだ、昼間までとキャラが違うぞ?


 八重ちゃんは一度咳ばらいをした後、受話器を戻してヤマコに近づく。そしてその頬に細く綺麗な人差し指を伸ばした。


「な!?」


 一瞬の間だった。八重ちゃんの指がヤマコの頬に触れ、その柔らかな皮膚をへこませた瞬間。ヤマコはその碧眼を大きく見開き背中で跳ね上がると、空中で半回転して着ていたコートを脱いだ。


 コートの下から現れたのは、シスターが着ている修道服だ。ヤマコは着地と同時に八重ちゃんの喉元へと飛び掛かる。


 これに対し、八重ちゃんは一瞬驚いたような表情を見せた後、すぐさま冷静さを取り戻して、ヤマコの振りかざした右腕を掴み、柔道の一本背負いの体勢に持ち込んだ。


 そういやこの子、武道も仕込まれてるんだったか。


「ちょっ! ま!」


 八重ちゃんが投げ飛ばしたヤマコが俺めがけて飛んでくる。俺は日頃の運動不足が祟ったか一歩も動けず、正面からヤマコミサイルを受け止める形になった。


「あいたたたた……一体どうなったんだ?」


 一瞬視界が真っ暗になったが、気を失うほどの衝撃ではない。数秒間天井と見つめ合った後、下半身にかかっている重みに気づく。


「おにいちゃん、いたいよぉ……」


「!?」


 下半身の重みの正体は……ヤマコであった。俺の下腹部にちょこんと座り、不思議そうな顔でこちらを覗くようにして見ている。あ~ロリコンになる~。


「変態!」


 八重ちゃんの声が聞こえた直後、頭部に先ほどのものを遥かに超える衝撃が走り、俺は今度こそ気を失う。まるで一日一回のノルマである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます