五、かたくなはし

 無事参拝を済ませ、折角なので八重ちゃんの家族にご挨拶しようということになった。


「緊張するな……今の宮司さんってまだ八重ちゃんのお爺さんなんだっけ?」


「はいそうです」


「お父さんは継がないの?」


「そうなんです。父と母は私たち三姉妹をお爺様に預け、イタリアに移住してしまいましたから」


 それはそれは……子どもを置いて遠出しちまう親なんてうちの親だけだと思っていたが。


 もっとも八重ちゃんの場合、両親はイタリアに旅行に行ってしまったというわけではなく、完全に移住してしまったというから大変である。きっと何か複雑な事情が……


「なんでそんなことを」


「お爺様が『神社を継ぎたくないなら海外にでも行け!』と言ったら、本当に行っちゃったんです。」


 ……ただのアホだった。確かに、そもそも父親が継いでいればまだ俺に声はかからないだろうからな。


「お姉さんたちも出ていったって言ってたよね? じゃあ今は八重ちゃんだけが?」


「はい、お爺様とお婆様と私の三人でここに住んでいました」


「んで更に八重ちゃんもうちに来てしまったと……お爺さんとお婆さん寂しいんじゃないか?」


「お婆様はともかく、お爺様は全く……私を送り出す時にも、ただ約束を果たしてもらうようにとだけ」


 悲しみを含んだ笑顔を浮かべ、八重ちゃんは少し下を向いた。


***


「あらあら八重ちゃん、境内のお掃除は終わったの? 後ろにいるのは……もしかしてお婿さん!?」


 境内にある社務所と隣接した一軒家に入ると、元気なおばさんが出迎えてくれた。外見から察するに三十代前半くらいだろうか。


「はいお婆様。こちら宮守家の長男、宮守尊さんです」


「随分と冴えない男じゃない、これは鍛えがいがありそうだわ」


 ……お婆様? このおばさんが? もはやお姉さんと言っても差し支えないレベルだぞ? 


「あ、紹介しますね尊さん。私の祖母の神宮司多江(じんぐうじたえ)です」


「お、お若いですね!」


 そう言うしかなかった。だってこれ凄いもん。全然孫いる感じじゃないもん。


 八重ちゃんが十四歳ということは、お母さんと多江さんがそれぞれ二十歳で子どもを産んだとしても現在五十四歳。


 俺は壁に掛けられた『神宮司多江還暦祝い』と書かれた写真を極力視界から外すよう心掛けながら、意味のない計算を行った。


「上手じゃない、丁度お爺さん共々退屈してたのよ。さ、奥へどうぞ」


 多江さんについて長い廊下を進んでいくと、十畳ほどの和室に出た。柔らかい畳の香りが鼻に侵入し、どこか懐かしい気持ちになる。


 部屋の中央辺りには、センスのいい木製の卓を挟んで座布団が二枚ずつ配置されていた。


「お爺さんを呼んでくるから、二人はそこでくつろいでてね」


 大人しく従い、手前の座布団に八重ちゃんと正座する。


「お婆さん凄く若いね、おいくつなの?」


 このまま二人で黙って座っておくのも気まずいので、お婆さんが既に部屋から離れていることを確認した後、勇気を出して聞いてみた。


「先日古希を迎えたと言っていましたので……七十歳ですかね」


「マジかよ!?」


 多江さん、あんたは凄いよ。実年齢のおよそ半分には見えるね。


「町内会では『伊部乙の魔女』って呼ばれてるんですよ。本人曰く、若さの秘訣は二日に一回とんこつラーメンを食べることだそうです」


「り、りにかなってりゅ……」


 駄目だ、突っ込みどころが多すぎて混乱してきた。


 そんなやりとりをしているうちに、多江さんが戻ってきた。共に入ってきたのはガタイの良い老人、八重ちゃんのお爺さんだろう。


「……ようこそ」


 お爺さんが低く重厚な声で空気を揺らすと、先ほどまでの柔らかい空気はまるで、上官に「気を付け」を命じられた新兵のように固まった。


「ど、どうも」


 あまりの迫力に一瞬声が詰まる。お爺さんは茶色の着物に身を包み、所作の一つひとつに威厳を宿していた。


「お爺様、事前の連絡なしに申し訳ありません。滝山神社前宮司、宮守斎庭(みやもりゆにわ)様のお孫さんをお連れしました」


「よい。今日ここに来ることは分かっておった」


「……え?」


 お爺さんは咳ばらいをした後、腕を組んで俺の正面の座布団に座った。


「伊部乙神社宮司の神宮司大和(じんぐうじやまと)だ。尊君といったか、この度は我ら過去の者の契りによくぞ応えてくれた」


「はい、まだ右も左も分からぬ若造でございますが、八重さんと共に精進してまいります所存でございますです」


 やばいぞ、怖すぎて頭が働かない。元々敬語は得意じゃないが、今回は明らかにおかしいと自分でもわかる。


「緊張せずとも良い。孫には学業はもちろん、武道全般とあらゆる家事を仕込んである。君が我が後継者となるための支えとして、好きに使いなさい」


 ……違和感があった。昨晩八重ちゃんに感じたのと同質のものだ。


 どうも、八重ちゃんは口では「共に」と言いつつも、あくまで俺のサポートに徹そうとしている節があると感じていた。その根源はここにあったのだ。


 きっと、幼い頃から妻は夫に尽くし、家庭を支えるものという価値観のもとに育てられてきたのだろう。


「あの、八重さんはそんなんじゃなくて」


「なんだ?」


「現代では家庭での役割に男も女も無いっていうか……その、上手く言えないんですけど」


 言葉を紡ぐことを、こんなに慎重に、丁寧にやったのは初めてだった。一つ間違えたら一瞬で命を落とす。そんな緊張感がこの空間には漂っていた。


「何を言っている。そのように無責任な主張を軽々しくする輩がこの国の衰退を招いてきたのだ。日本には日本のやり方がある。わしは君たちからすれば過去の者かもしれんが、我が国の長い歴史を見ればわしとて赤子同然。従来のやり方がどうしてつい最近まで通用していたのか、君は考えたことがあるか?」


「でも、男女平等は今の世界では」


「尊君」


 大人しかった多江さんが冷たく、少し強い口調で俺の発言を遮った。


「若い人はすぐに『世界では』って言いますけどね。世界と違うことがあって何が問題だというんです? 『よそはよそ、うちはうち』よ」


「尊さんやめてください。お爺様とお婆様の言う通りです」


 八重ちゃんが俺の袖を掴んで制止してきた。衝撃だった。世間では多数派であるはずの俺の主張は、価値観が違うとこんなにも全面的に否定されるものなのか。


「君はまだ若い。次に顔を見せる時には幾分マシになっていることを願うよ」


***


 あの後軽い世間話をしたが、内容は全く覚えていない。


 俺は何とも言えないもやもやを抱えたまま、八重ちゃんと帰路についた。


 いつの間にか傾いた夕日が狛犬の笑顔に影をつけ、不気味な表情を生み出していた。

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