そう考えると、人間だけが地球上にわらわらと増え続け、死んだ後は火葬して、他の動物の糧となることもなく、生態系を荒らし続けているのですよね…
作者からの返信
そのような意味で、鳥葬とか自然に還るみたいでいいですけどね。
それを見る人がいなければですが。死んだあと、何かに食べられるのはなんだか嬉しい気がします。
あなたに食われる生き物は、だいぶ納得していると存じますよ。
私はダメなんです。
「うまい、また食お」って思うひとに食われることが、そいつが
生きてきた意味だと思います。
作者からの返信
英すのこさん
そうだといいですね。
僕だったら健康な時に絞められたら、なんでお前にくわれにゃならんのだ。と徹底的に反抗すると思っているのも事実……
生き物が平等であることはありえないので、食べるのを止めようとも思いませんが、せめて美味しく食べてあげたいと思います。しかし、料理は一向に上手くなりません。でも、そいつがそもそも美味しいから良いんですよね。
いつからか、都会に生きる人も、命をいただくということについて考える機会が増えた気がしますね。
生々しい現実にショックを受けることもあるでしょうけど、感謝して、無駄なく美味しくいただくのがよいと思っています。
とはいえ、自分でさばける域に達するには、まだまだ修業が足りない私です。
作者からの返信
僕らは「切り身が海で泳いでいる、と思っている」と揶揄されて育った世代でした。今の子ってお肉があの姿のまま生産されていると思っているんでしょ。って。
>いつからか、都会に生きる人も、命をいただくということについて考える機会が増えた気がしますね。
そんなことを言う年長の方がいたから、こんなことを考えるようになったのかもしれません。反骨心もたまにはイイですね。
屠殺するの? じゃあ、僕がやりたい。そして僕が食べたい。
こんなことを言うと、あのテレビの年長者は「残酷なゲームの影響だ」とか「物騒な子供が多い」とか言うのでしょうか。
皮肉が過ぎましたね。(笑)
>感謝して、無駄なく美味しくいただく
これだけだと思います。何かの可能性を奪わないと生きて生けないのですから。
僕も捌きたいと言いながら、挑戦心も調理の腕も未熟です。
誰に倣えば良いのでしょうか。