第11話 愛の立ち位置
それから、時はさらさらと過ぎていった。
ジョシュアは車を着々と直していき、ジェイニー達も曲を書き始めていた。
ジェイニーは、パメラとなるべく口を利かなくなっていた。
この人は俺の大切な人の奥さん。
俺が好きになってはいけない人なんだと、自分に言い聞かせなるべくパメラと目を合わせなくなっていた。
初めての恋に、ジェイニーは戸惑っていた。
普通の人ならば、そこで普通に好きな人と接し、なるべく自分の本心を気付かれないように演技をするものだが、彼はそれをする事が出来なかった。
その為、パメラはジェイニーの突然の変化に戸惑うばかりだった。
しかし一人だけ、ジェイニーが誰を好きなのか分かっている人物が居た。
それは、ブレッドだった。
ブレッドは、ジェイニーとパメラの二人を見て彼のある日からの突然の変化に、パメラに恋に落ちたことを悟った。
だが、そうだからと言ってブレッドはジェイニーに対して、嫉妬するような器の小さい男ではなかった。
パメラのことを信じて居たし、なによりも、ジェイニーがパメラの後ろ姿を見て溜息をついて居ることを知っていたから簡単に予想は出来た。
ジェイニーがパメラに何かすることは考えられなかったし、何よりもアーティストとして彼が成長出来ればそれでいいと思っていた。
だが
パメラは違った。
突然の、ジェイニーの心の変化が分からなかったのだ。
何故、急に自分のことを避けるのか、目を合わせないのか、そんな思いを今までしたことがなかったので分からなかったのだ。
そこで、ジェイニーが次に自分に用事を頼んだ時その真意を聞いてみようと思ったのだ。
そして、あのことが起きてしまったのだ。
「パメラ・・・。ブレッドは、何処へ行ったんだ?」
その日は、朝からブレッドが居なかった。
いつもリビングに居るのに何処へ行ったのか。
「ブレッド・・・知らないわ。何処へ行ったのかしら?」
パメラは、ブレッドが本当は何処へ行ったのか分かっていた。
しかし、それは二人だけの秘密だった。
ジェイニーが諦めたようにパメラに話した。
「そうか。分かった・・・。」
言うが早いか、ジェイニーはパメラの元を離れた。
そこをすかさず、パメラがジェイニーに話かけた。
「ジェイニー!」
「!・・・」
ジェイニーが振り向く。急いで歩くジェイニーにパメラが息せき切って走って来た。
「最近、あなた私のこと避けているみたいだけど何故避けるの?私、何かした?」
何でパメラは、いきなりこんな事を言うんだ!?俺、どう答えたらいいのか分からない。
「別に・・・避けてないよ・・・」
「嘘!食事の時だって、わざと目を合わせないし、私とすれ違った時にも目を反らすし。どうしてそんな意地悪をするのよ!私がブレッドに似ているって言ったから?」
違うよパメラ。
それは・・・
言えなかった。
君が好きだと。
だが、あなたはとても大好きなブレッドの妻。
だから裏切る訳にはいかない。
たまらなくなったジェイニーは、階段を駆け上り二階に上がろうとした。
しかし
パメラがジェイニーの手を掴んできた。
そして言った。
「答えなさいよっ!逃げてばかりいないでっ!!」
その言葉がジェイニーの中の何かを『パーン』と壊した。
ジェイニーは階段のところで、いきなりパメラの体を激しく手すりに押し付けた。
そして、自分はパメラの顔の近くに手を激しく置くと彼女の瞳を見つめた。
パメラは、驚いたようにジェイニーを見た。
パメラの茶色の瞳が、怯えたようにくすむ。
ジェイニーは堪えた。
この場で、パメラの服を全部脱がしてしまいたい。
あの時のように、パメラをあられもない姿にしてしまいたい。
そして思いっきり、この場で感じさせたい・・・。
ジェイニーは我慢出来ずに、パメラにキスをしかけた。
唇が近付く。
パメラはそのまま立ち尽くしていたが、ジェイニーの唇が後何cmかになると、無意識に口付けを避けた。
そして「ブレッド・・・」っと思わず口に出してしまった。
ジェイニーは彼女のその姿を見た途端、思いとは反対のことを言った。
「・・・大嫌いだ。」
その一言を。
そして、パメラから体を離すと外へと出て行った。
言いようのない苦しみ。
全身が凍り突き喉が渇く。
溜まらなく体が硬くなり、強張る。
そして次第に、身体全体が震えてきた。
一体、俺は何をこんなに怯えているのか?
そうだ。
俺は、自分自身が一番恐ろしいんだ。
パメラをあんなに怯えさせてしまって、また心とは反対のことを言って。
そうだ、俺は自分自身が怖いんだ。
誰かに自分の本当の姿を見てもらえないのが、溜まらなく寂しい。
ほら、こうやって考えている自分自身にも、何か拠り所を求めようと一生懸命寂しさを凌ごうとして居るのが良く分かる。
今まで分かろうとしなかった。
こんな似た様な状態になっても、こんな思いになった時の対処方法を、いつも知っていたからだ。
そう・・・自分を楽にする方法。
この苦しく痛く、背中も、胸も、脳も、瞳も・・・全ての自分の身体の機能が、自分ではなくなるこんな一瞬をたちまちのうちに天国にしてくれる、そんな時の対処方法。
それは、見ないことだ。
こんな自分ではないことをこんな風に考えて感じている自分の気持ちを、自分という存在価値を見ないこと。
そして、心は別の方向へと向ける。
別の次元へと魂を動かす。
スーパースターになった自分を感じるのさ。
すると、ほら・・・酒を飲んだ時みたいに、フワッ・・・っとした気分になるのさ・・・。
けれど・・・駄目だ。・・・何でだよ・・・!?何で、今日に限って出来ないんだ!?
そうさ、何を考えたって駄目だ。
だって俺は、パメラを傷付けてしまったからさ。
どうして・・・あんなことをしてしまったんだ?
今まで、あんなに必死に俺のことを心配してくれた女性は居なかった。
あの時のパメラの悲しそうな瞳。
体全体で表現していた苦しいことが・・・そして・・・沈黙を守っていた、あの唇。
何か言ってくれたほうが、罵倒を吐いてくれたほうが・・・どんなに休まったか!あの女!
はずみで外へと飛び出したジェイニーは、自分の拠り所を探そうと愛車のポルシェを探したが見付からない。
チクショー!どうしてだ!?っと思った途端、ジェイニーは思い出したのだ。
自分の赤いポルシェは事故があって、今ジョシュア爺さんの所で修理中だった。
フウッ・・・っと苦しい溜息を一つ吐いて、髪を掻き揚げると、ジェイニーは宛てもなく歩き出した。
そう言えばここのところ、彼は一人で歩くという行為をしなかったことを思い出した。
空は、雨が降ったような様相を呈していた。
地面は濡れており、しかし何処までも続く不気味な色の黒雲はまた、激しい雨を降らせるかに見えた。
しかし今、自分のことしか頭に無い彼にとって、そんな空模様は無意味にすぎなかった。
ただ、彼は歩きたかった。
そして、ジェイニーは初めて自分から逃げなかった。
暫く行くと、一軒の古びたBARがあることに気付いた。
そこから流れる音楽に吸い寄せられるようにジェイニーは入った。
そこには、バーテンの他にカウンターに座る一人の老人が居た。
ランプを灯した、薄暗い室内には1960年代を思わせるダーツとピンボールゲーム、その脇のテーブルには一組の髭をはやした大男達がジョッキを片手にバカ笑いをしていた。
しかしそのカウンターに座る老人は、その大男達の騒ぎに入る訳でもなく古びたターンテーブルから流れるレコードの曲に酔いしれる様に、ただウィスキーの水割りを少しづつ口に含んでいた。
ジェイニーは、その老人の隣に座るとバーボンをストレートで注文した。
そして、カウンターに肘を付きながら、その老人の横顔を見た。
その男はジョシュアであった。
ジェイニーは見てはならないものを見た様な気分になり、パッとジョシュアから目を反らした。
そして、横目でチラッ・・・っとまた見る。
ジョシュアは、相変わらずジェイニーの方に気付かない。
それどころか、静かに目を瞑り、遠い記憶を呼び起こすかの様にひたすら音楽に集中して居た。
するとバーテンが拭いていたグラスが、ツルッと手元を滑り『カシャーン』っと床に散らばる。
その音を聞き、ユックリと目を開けるジョシュア。
フッとジェイニーの方を見る。
「あれ?お前はジェイニー!」
「やっ・・・やあ・・・。」
努めて明るく振る舞うジェイニー。
その顔は苦笑そのものだった。
「ワシに気付いたなら、声を掛ければ良かったのに。知らぬ仲でもあるまいし。」
そう言ってジョシュアは、水割りを口に含んだ。
しかし先程の様な哀愁を思わせる影は既になかった。
「バーボンお待ち」
カウンターからワイルドターキーのストレートがジェイニーに渡された。
ジェイニーは、それを一口、口に含むとフウっと溜息をついた。
それからジョシュアの方を向き、語り始めた。
「良く・・・此処には来るのか?」
「ああ・・・。此処は地元の奴らには、有名な所さ。いつもカラカラ元気な奴でも、此処へ来れば、建前を忘れて仲間同士飲み明かすのさ。俺達野郎共の、ノスタルジーに浸れる、唯一の場所ってとこさあね。」
そう言ってグラスをコトンっと置くジョシュア。
その拍子に、ウィスキーの中の氷がカランっと鳴る。
「ノスタルジー?あんたみたいな万年元気爺さんでも、そんな考えをすることがあるのかよ?」
鼻で笑う様に、ジェイニーが言った
「馬鹿にしなさんな!男はいつでもノスタルジーの塊よ。まあ、結局は、かみさんと喧嘩したとか、商売が上手くいかなくて、クサクサしまくるとか、動機はえらく現実的だがな・・・。けれど、男はいつでも、ロマンや夢を持ち続けるのさ。現実世界にはな、それがなけりゃあどんな苦しい状況にも、耐えて行く事なんて出来ないのさ。」
何も言わずにバーボンを口にするジェイニー。
ジョシュアの話は、更に続いた。
「例えばな、私は夢なんて持っていません。そんな子供騙しは、とっくの昔に捨てました。なんて看板を掲げている野郎でもな。そいつの心の中を見て見りゃあ分かるさあね。夢だらけさ、そいつの腹は!もっともっといい生活がしたくて、金が欲しくてウズウズして居るのさ。男なんてものは所詮 そうだ。ワシを含めて皆、ロマンの塊なのさ・・・。それを理性という仮面で覆って居るだけでね。ところでジェイニー、お前さんは何で此処に来たんだ?やっぱり何か訳が合ったんだろう?お前さんも、ノスタルジーに浸りたかったんじゃないのか?」
「あんたと一緒にするなよ・・・。」
そうすごんではみたが、図星を指されたジェイニーは悔しかった。
ジョシュアは更に続けた。
「ブレッドに何か言われたんだろう?」
冷やかす様にこずくジョシュア。
「・・・何もねえよっ!」
ジョシュアの顔を見ずに、答えるジェイニー。
「ふうん・・・。まあいいさね。お前の問題だからな。」
とジョシュアが他人事と言う様に上に向かって声を投げた。
その言葉を聞いたジェイニーは何故だか一瞬、悲しさを感じたのだ。
それは先程、パメラが傷付いた顔をした時に感じた思いと似たようなものだった。
しかしジョシュアは、ジェイニーのそんな張り裂けんばかりの気持ちに、気付いているのかいないのか相変わらず自分のペースを崩そうとしなかった。
彼は徐にバーテンに声をかけると、レコード曲をリクエストする。
その問いに答える様に、バーテンは今までかかっていたレコードの針を上げ、古びたターンテーブルから黒いドーナツ盤を取り出すと、大事そうにほこりを払って、レコード立ての中に入れた。
そして代わりに別のドーナツ盤をユックリ宝物を慈しむかの様に取り出し、古びたターンテーブルの上に乗せた。
その針を落とした瞬間、レコードは生き物のようにクルクルと早回りをし、聞き覚えのある曲が店内に木霊した。
「『イッツ・ ワンダフル ワールド』。ルイアームストロング。ワシの一番好きな曲さ。」
そう言ってジョシュアはユックリ目をつむった。
木々の緑
赤い薔薇
僕らの為にある
美しい物を見ると
こう思うんだ
なんて素晴らしい世界だろう
青い空 白い雲
輝く美しい昼も
暗く聖なる夜も
僕は思う
なんて素晴らしい世界だろうと
空に掛かる虹の色は
本当に美しいけれど 行きかう人達の顔にも
美しい虹が掛かっている
握手しながら
「元気かい?」っと言う人達はね
本当は
「愛してるよ」っと言っているんだ
泣いている赤ちゃん
君達の成長を見守るよ
これから僕が 想像出来ないくらい
たくさんの事を知るだろう
僕は思う
なんて素晴らしい世界だろう
僕は思う
なんて素晴らしい世界だろう
ジェイニーは、ジョシュアに続いてユックリ目をつむってみた。
すると、色々な情景が彼の脳裏に浮かんできた。
小麦畑の南風に揺れる風景、何処までも広がる草原、人々の笑顔、自分が捨ててきたロスアンゼルスの街並み。
そしてクリスや友達たち・・・。
「ワシはなあジェイニー、この曲を聞くと人間はもっと自由に生きられるんじゃなかって改めて感じるのさ。片張って生きていたってしょうがない。コリが増えちまうだけさあね。それよりも、自分の話したい事を話て、泣いて、笑って、怒って、喜んで、自分を解放させてあげたいといつも思うのさ。そして、それこそがルイが生み出した、いや、ワシが住んでる国、アメリカが生み出した『自由』だと思うのさ。」
ジョシュアが呟く様にジェイニーに話した。
しかしジェイニーはジョシュアの問いには答えず、ただ黙って聞いて居た。
レコードの曲は何かを語り掛けるかの様に、まだまだ続いた。
それは、まるで終わることのない時の流れを思い浮かばせるかの様だった。
ルイの声は、過去から現在、そして未来までをも見通しているかのごとく、個性的だが透明感を感じさせる声であった。
そう。
風を感じる声であった。
ジェイニーは、ジョシュアの言葉を噛みしめていた。
そして、家に帰ったらまずパメラに謝ろうと素直に思った。
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