96.物差し

俺が投げつけた痺猿ひえんが空中でボロボロと崩れていく。

これはグリュイが何かしたのかとグリュイを睨むが、グリュイが投げた痺猿も崩れていた。

グリュイではなく虫の仕業だと辺りに視線を飛ばす。

火玉に照らされた痺猿らしき残骸。それは虫に食われた痕だ。

地上に転がっている痺猿は既に虫に食い尽くされたのだろう。

痺猿の欠片は数には含まない。

ならば、地中に埋まっている痺猿を探さなくてはいけない。

それも虫に集られる前にだ。

痺猿の数が急激になくなり、痺猿一匹に群がる虫も増えている。

見つけたら虫に集られる前に投げつける必要がある。

先ほどまで歩けば躓くほどいた痺猿が嘘のように消えていた。


Uの字に動いた俺が悪かったのか。

グリュイのように奥から攻めていれば、変わっていたかもしれない。

頭の中で弱気な考えが渦巻く。


「こちら二十六匹、向こう二十六匹」


追い打ちをかける様にナビの声が響いた。

諦めてたまるかと歯を食いしばり、壊れた柵に手をかける。


「これで逆転だね」


グリュイが勝ち誇ったように痺猿を投げつけるのを横目に、俺は埋もれた柵を引っこ抜いた。

まだだ、諦めるなと繰り返し念じる。

グリュイの痺猿が空中で崩れていく。

グリュイとの距離はもう目と鼻の先だ。

柵を投げ捨て、空いた穴に火玉を落とす。

痺猿の片腕が見えた。埋もれた痺猿だ。

グリュイは崩れた痺猿しか探し出せていないようだった。

引き摺りだした痺猿をモフモフに投げつけながら、俺は勝利を確信した。

悔しそうに虫たちが羽ばたき、俺は笑みを浮かべかけた。

しかし、その微妙な笑みはすぐに凍り付く。

グリュイに貰った指輪が砕け散ったのだ。

突如として重みの増した痺猿を体制を崩しながらも、ゴルフスイングのように上空へ投げ放つ。

ぎりぎりモフモフまでは届きそうだが、スピードが乗っていない。

振り払った虫たちが弧を描いて飛んでいく痺猿へと乱舞する。


「ナイスキャッチ」

「ナイスキャッチじゃねえよ! 俺が投げた痺猿だろうが!」

「ルールはモフモフの口に多く投げ入れた方の勝ち。ということは、僕がこのまま投げ入れれば勝ちだね」

「せこいぞ! この野郎!」


俺の罵声を涼風のように躱しながら、グリュイは痺猿を投げつけた。

痺猿は見事にモフモフの口の中に……


これで俺は負けるのか。


……入らず、弾かれ地面を転がった。

信じられない思いで俺とグリュイはモフモフを凝視した。

モフモフは地面に座り込み、満足そうにお腹を叩きながら言う。


「もう、お腹いっぱい」


これは助かったのか。

既に地面を転がっていた痺猿は、虫たちによって形を成していなかった。


「どうやら引き分けみたいだね」


グリュイがやれやれといった感じで頭の後ろに手を回した。

これは痺猿を拾いつくしたら終わりのゲームではなく、モフモフが食えなくなった時点で終わりのゲームだった。


「まあ、僕にとっては負けなければよかったから引き分けでもいいんだけどね」


俺は事の発端をもう一度思い浮かべる。

発端は意見の違いだった。グリュイの考えを改めさせる勝負だった。

この勝負、俺は絶対勝たなくてはいけなかったのだ。

対してグリュイは俺の意見などどうでも良かった。


「くそ! 最初から不利な条件だったのかよ」

「この勝負に有利不利なんかないよ。たまたま引き分けただけだし、僕が勝ってもお兄ちゃんに僕の考えを押し付ける条件でもなかったしね」

「そう考えると俺の方が有利だったのか」

「お兄ちゃんは、こんな勝負で人の意見を簡単に変えれると思ってたの?」

「簡単には変えられなくても、切っ掛けにはなると思ってた」

「お兄ちゃんって、若いね」

「恰好からいってお前の方が若いだろうが」

「人の物差しで測れば、僕はお兄ちゃんより若くて馬鹿な考えの持ち主なんだろうね。でも、その物差しの目盛りは大雑把で歪なんだっていつ気付くのかな」

「俺の物の見方が間違ってるって言いたいのかよ」

「一方から見ればお兄ちゃんの意見はあっているよ。でも、角度を変えてみた時、それは全く見当違いだったりするんだよ。全ての人が善人じゃない事ぐらいわかるよね」

「良い人に見えても悪い人もいるって事だろ」

「違うよ。良い人だと思ってお兄ちゃんが力を貸していた人が悪人だったとしたら、お兄ちゃんはどう責任を持つの? もし人が悪だとしたら、お兄ちゃんは人を殺せるの?」


急にグリュイの声のトーンが変わり、思ってもいなかった言葉を突き付けられた俺は返す言葉を失った。

さっきまでの喧騒が嘘のように、静寂が支配していた。

火玉が一つ。また一つと消えていく中で、俺は口を開く。


「俺の考えがすべて正しいとは思ってねえよ。だから、俺は迷って考えて考え抜いて答えを出してんだよ。その答えが間違っているかなんて考えていたら俺は一歩も動けなくなってしまう。俺は頭が良くないのは自覚してるし、この世界で未熟だってのも分かっている。足を一歩前に踏み出すなんて恰好良い進み方なんか出来ない。だからジタバタ足掻いて進んで行くしかないんだよ」


俺の言葉にグリュイが俯く。


「なんだよ、なんか言い返して来いよ」


急に照れ臭くなった俺は、顔に熱がこもってくるのが分かった。

俺の言葉の返事は、グリュイの笑い声だった。

そして、一頻り笑ったグリュイはこういったのだ。


「変わってるって思ってたけど、ますます気に入ったよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る