80.鈴の効果
痛む体を押して俺は塀の上に駆け上がった。
こうして動けるのも身体強化のお陰だろう。
また怪我を押して無茶なことをしていると自覚しつつも、ここで止まる訳にはいかない。
決意を噛み締め、俺は眼下へ目を走らせた。
霧は徐々に消え、代わりに現れたボス猿の姿が目に入った。
しかし、モフモフの姿が見当たらない。
体格的にはボス猿に引けを取らないほどの体躯。
いくら体毛が黒だとしても、日も明け辺りを照らしてる。
見つけられないはずがないのだ。
モフモフを探して回りたかったが、ボス猿の存在がそれを邪魔した。
霧が消えた事で明るみに照らされたボス猿が唸り声をあげる。
どよめく村人達をボス猿の鋭い眼光が射貫いていく。
単独になろうが、村を襲う事を飽きらめる気はないか。
張り詰めた空気が漂う中、鈴の音が響いた。
いつの間に現れたのか、グリュイがボス猿の前で鈴を掲げていた。
ゆっくりと手を揺らす度に高く澄んだ音を奏でる。
その鈴を鳴らすと落ち着くのだとグリュイは言っていた。
俺に変化は感じられないが、ボス猿がグリュイを目の前に襲い掛からないのは、効果があるからだと見て良いだろう。
もう片方の手を挙げたグリュイは何かを招くように指を曲げる。
招かれたのは腰まで届くほどの黒髪の男。
髪はぼさぼさで跳ね上がり、筋肉質な体躯に絡まっていた。
ばねの様なその身のこなしは、鍛え上げられたものだと一目で見て取れる。
ムクロジ。直感的にその名が浮かんだ。
その直感は村人によって裏付けられる。
口々に名を声にする村人に歓迎の感情はない。
そうだ。ムクロジはもう過去に死んでしまった存在。
素直に受け入れられるはずがない。
ムクロジはどう受けっとっているのだろうか。
この状況を理解しているのだろうか。
俺の中で何とも言えない感情が渦巻いた。
ムクロジはグリュイに詰め寄り、鈴を掴もうと手を伸ばしていた。
鈴はそれより先に上空へと放られる。
投げられた先は、ボス猿の頭上。
グリュイは役目を終えたと言わんばかりに後ろへ下がり、ムクロジは方向を変え飛び上がる。
鈴に向けて拳を振り下ろす。いや、ムクロジの拳には小刀が握られていた。
ボス猿が打ち上げた拳と、打ち下ろされた小刀が打ち付けられる。
拳と小刀の間には、グリュイの持っていた鈴が挟まっていた。
鉄の弾ける音が耳を激しく打ち、俺は思わず耳を塞いでいた。
頭を貫くような音の激しさで、立ち眩みのような感覚に陥るのを塀に捕まり何とか耐えた。
村人たちも悲鳴や苦鳴をあげ、次々に蹲っていく。
頭を押さえながらムクロジを探す。
音の影響がないのかムクロジはボス猿と戦っていた。
このままムクロジに加勢すればボス猿を倒せるか。
俺は塀に置いた手に力を込めた。
「もしかして加勢しようと思ってない?」
下から声が這い出てきた。グリュイが塀を登って来ていたのだ。
「グリュイか。今ならムクロジと一緒にボス猿を倒せるだろ」
「どちらも敵味方の区別なんかつかないのに、お兄ちゃんが行っても鈴と同じ運命だよ」
巨大な拳とスピードに乗った小刀に挟まれる無残な姿を想像し、俺は口をぱくぱくさせた。
その間にもグリュイは体を回転させ、高台へと降り立っていた。
「今だって鈴の力で二匹を引き合わせたから戦っているだけで、気が逸れればああなるよ」
グリュイがあらぬ方へ顔を向ける。
向けた先には、地面に蹲るシュロさんと肩を貸すクメギの姿があった。
シュロさんの服は至る所が破け、血が滲んでいる。
ムクロジも無傷とは言えないが、どちらがダメージを負っているのかは一目瞭然だ。
シュロさんを凌ぐムクロジならば、ボス猿も手を焼くに違いない。
しかし、加勢しに行くのは危険だという。
巻き添えになるのは嫌だが、このまま手を拱いて見ているだけというのも嫌だ。
何か手はないだろうか。
鈴による誘導で戦うのなら、違う鈴を鳴らせば戦いに加われないだろうか。
俺は考えをグリュイに説明する。
「そんなに都合のいい鈴がある訳ないでしょ。それに鈴はさっき壊れたからもうないよ」
「ん? ちょっと待てよ。あの鈴は落ち着かせるために鳴らしてたはずだよな。さっきの鈴は落ち着かせるっていうより、注意を引き付けている感じだったぞ」
「僕はあの鈴の音が好きで落ち着くんだけど、なぜか蘇った屍はあの音を嫌うんだよね。何でだろうね」
「何でだろうじゃねえよ! じゃあ、ムクロジがここで二人を襲ったってのも嘘じゃねえか」
「嘘じゃないよ。鈴を鳴らす僕の前にいた二人をムクロジは襲ったんだよ」
「間にいたから巻き添え食ったんだろうが!」
「そんな、僕が悪いみたいに言わないでよ」
グリュイは当初の作戦がルアファによって崩されるのが嫌で鈴を使ったのだ。
ボス猿にはモフモフと俺が当たっていたから動きようがない。
身軽なムクロジガ音に誘われ、シュロさんとルアファが言い争っていた場を荒らす。
他の村人が巻き添えにならないように、シュロさんがムクロジを引き付ける事を読んでの行動だった。
ルアファの話を聞こうともせず気絶させたまま俺に押し付けて行ったのも、聞く必要がなかったからだ。
「お兄ちゃんがあの鈴を聞いても落ち着かないからって、効果がないとは言い切れないでしょ。僕はあの音を思い出しただけでも心が安らぐよ」
「詐欺師みたいな口上垂れてんじゃねえよ!」
俺は思いっきりグリュイの頭上に拳骨を落とした。
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