第32話 織田信長、ドラゴンへの道

「――というわけで、君たちが夏休みを満喫してる間に、私は長崎まで行って史料調査です。月給安いっていうのにねえ」

 ちょっとした笑いが教室に起こる。

 夏季休講も終わり、後期に入ってから初の町田ゼミである。

 隣の席には、例のアフリカ系留学生が座っている。日本まで来て戦国史の研究とか、ちょっと感心する。デンゼルなんとかいう俳優に似ていて、理知的な雰囲気だ。にこりと微笑んで、挨拶してくれた。

「あっ、その。ど、どうも……」

 なんか緊張して、遠慮がちに言葉を濁してしまう。

 こういうところはよくないと、コウ太は自分でも思う。


「何故長崎まで行ってきたかというのを、順を追って説明しましょう。ちょっと待っててくださいね。今、プロジェクターで映しますから」

 町田助教がプロジェクターを用意して、スクリーンに画像を映し出した。

 映ったのは、古めかしく、ずいぶんと汚れた旗だ。

 そしてコウ太はその旗に描かれた図と同じものを記憶がある。夢の中で。

 黄金の杯の中に、赤い十字を描かれた卵が入っており、その左右には杯を挟むように二人の天使が祈っているという図像……。

「あっ!? た、卵……!」思わず声を上げた。

「卵? おお、いい線いってるじゃないか数寄屋くん。これ、俗に天草四郎陣中旗あまくさしろうじんちゅうきって言うんだよ。正式には、綸子地著色聖体秘蹟図指物りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさしものっていうんだけど国の重要文化財。天草キリシタン館でも、年に三〇日しか公開されないんだけどね」

 この旗指し物は、島原の乱で一揆側から鍋島大膳なべしま だいぜんが奪ったものであるという。

 つまりは、キリシタン勢力の象徴である。戦利品なので実際に血痕もついている。

 その旗指し物の絵と、夢で見たものが何故重なったのか?

 何故、その卵から第六天魔王が孵ったのか?


「これね、確かに卵に見えるでしょう? でも、杯と聖体なんですね。聖体っていうのは、つまりパンです。パンと言っても、薄くて白いウエハースみたいなものなんですが。この図が表しているのは、聖別された葡萄酒と聖餅せいべいなんですね。キリスト教において、イエス・キリストは神が人間の形に受肉した存在です。『我が血、我が肉』っていうでしょ? ワインを血、パンを肉として信者が授かってその教えを継承する。聖餐せいさん秘跡ひせきといって、カトリックの儀式があるわけ。キリシタン側の精神と信仰を表しています。島原の乱でたった一人だけ生き残った、山田右衛門作やまだ えもさくって南蛮絵師が描いたという説があります」

 町田助教が旗について解説する。カリス聖体ホスティアは、キリスト教において重要な意味合いを持つ象徴とされる。

 卵じゃないと知って、コウ太は少し落ち着いた。が、それも束の間であった。

「でね、ここからが新発見です。キリスト教では卵もイエス・キリスト復活の象徴として神聖視することもあります。イースター・エッグってありますよね? 復活祭に卵を飾るあれです。実は、私も数寄屋くんと同じで、一揆側も卵を信仰の拠り所にしていたんじゃないかと考えて研究していました。そしたら、とうとう見つかったんですよ、卵が――」

「……え」

 映し出された画像が別のものに切り替わる。

 卵だ。天草四郎陣中旗の図と同じように、杯に乗せられた卵の作り物だ。

 ただし、その殻は割れている。余計に不安になる。


「……これ、なんですか?」

「はい、質問ありがとうね数寄屋くん。さっきも言ったとおり卵だよ。割れちゃってるのは、保管状況が悪かったからだと思うけど。長崎県の寺に所蔵していたのが見つかったんです。地元では、森宗意軒もり そういけんが作らせたって伝わっています」

「……森宗意軒?」

「森宗意軒は、一揆方の総奉行で、実質的に指揮を執っていたとされる人物です。小西行長こにし ゆきながに仕えて朝鮮出兵の船頭を任されたんですが、難破してオランダ船に助けられてヨーロッパで過ごしたとか、その後に中国に渡ったとか、とにかく逸話も多い人物ですね。隠棲していた彼が激しい弾圧の中で一揆方に与し、信仰の拠り所として作らせたものなんじゃないかと、私は推測しています」


 町田助教は、ここで島原の乱の解説に移った。

 島原の乱は、キリシタン一揆とされるが従来の一揆とは一線を画する。江戸時代中、最大規模の内戦である。島原は、元はキリシタン大名有馬晴信ありま はるのぶの所領であり、もともとキリスト教信仰が盛んであった。

 しかし、豊臣秀吉による伴天連追放令以降、その弾圧は激しさを増した。

 加えて、島原藩二代目藩主、松倉勝家まつくら かついえは過重な年貢の取り立てや島原城の改築などによる労役によって民衆を苦しめた。さらに折からの凶作が重なる。

 唐津藩の飛び地、肥後天草では大規模な一揆が計画された。

 小西行長や加藤忠広かとう ただひろの改易によって発生した浪人たちが加わり、当時一六歳で神童と噂された天草村の益田四郎時貞ますだ しろうときさだを総大将に決起、廃城となっていた原城址はらじょうしに集結した。

 改易で溢れた浪人、豊臣の遺臣、百姓身分となっていた元武士(天草四郎も小西行長の遺臣、益田甚兵衛好次ますだ じんべえよしつぐの嫡男である)、そしてキリシタンに一揆側に強制的に徴集された近隣の住民も合わせ、総数三万八千に膨れ上がった。

 これに対し、九州諸大名は連携が取れず、敗退する。事態を重く見た幕府は“知恵伊豆”の異名でも知られる老中、松平伊豆守信綱まつだいら いずのかみ のぶつなを総大将とした総勢一二万五千からなる討伐軍を派遣した。

 打って出てきた一揆側の腹を割いて胃を検分したところ、海藻しか入っていないことを見て、幕府側は兵糧が尽きかけているのを知る。

 乱の長期化は幕府の威信に関わるとして総攻撃を開始、原城に立てこもった一揆側は陣中旗の作者にして内応で寝返った山田右衛門作を除き、すべて殺された。

 ここまで大規模な殺戮は、戦国時代でも前例がない。


『悪魔の卵』というシナリオのテスト中に発生したダイス事故で現代に召喚された織田信長、そして魔王のような姿で卵から孵った。

 あの悪夢には、何かの意味があるというのだろうか、

 嫌な予感が重なっていく。重なっていくが、偶然の一致でしかない。

 何をしてどうすればいいのか? コウ太にはわからない。

 町田ゼミは、島原の乱についての解説で終わった。


「これ本当なの? 渋谷でドラゴン出たってさ」

「ファ――!?」

 ドラゴンという単語が聞こえてきたせいで、コウ太は奇声を発してしまった。

 いや、ドラゴンて。しかも渋谷って。

 その奇声に驚いたのか、ドラゴンの話題で集まっていた女子たちはそそくさといなくなってしまった。

 こういうとき、事情を詳しく聞けないキモオタ兼陰キャである自分が恨めしい。

 ゲームでもないのに名前も知らない相手に話しかけるとか、ハードル高すぎである。


 仕方がないので、スマホで「渋谷」「ドラゴン」で検索する。

 で、動画がすくにヒットした。携帯で撮影されたもので、しかも撮影者は一人ではなかったのか、違うアングルの動画が何件かある。

 再生してみる。確かに赤い鱗のドラゴンが渋谷の街の上空を飛んでいる。コメント欄には「ドローンだろ」とか「CGだろ」とか懐疑的な書き込みが溢れている。

 あまりにくっきり映っているから、確かに非現実的だ。

 しかし、コウ太は本物と確信してしまう。それだけの体験がある。

 あれはTRPGでよくみるドラゴンだ。まさにゲームから抜け出してきたかのように翼を広げ、空を過っていく。

 時間は数秒ほどだったが、後ろ足には、何か旗のようなものを持っていた。

 ――なんなんだ、この状況?

 卵といい、ドラゴンといい、そして織田信長といい、夢の中に現れたものが現実を侵蝕してくるようであった。

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