2‐15 赤狼
リコは、自分がヒトではないことを知っていた。
この基地にいるヒトたちと限りなく同じように見えていても、本質的に違うのだろうと、幼いながらに理解していた。
それでも、ノルンと照がいればそれでよかった。生まれて初めて目覚めた時、リコには何もなかった。確かに人間の5歳前後に相当する知性はあったが、知性があったが故に自らの知識のなさと足場がないような不安に苛まれ、泣くしかなかった。
何か大事なものを全てなくしてしまった、そんな漠然とした喪失感。それを埋めてくれたのがノルンと照の二人だった。
まず初めに、名前をくれた。 リコ。ギリシャという国の言葉で狼を表す『lykos』からつけられた名前。初めて自己を規定してくれる言葉を、リコは愛していた。ノルンの苗字と似た意味だったことも、理由はないが嬉しかった。
二人は色々なことを教えてくれた。食事の取り方、箸の持ちかた、言葉、挨拶、空の青さ、海の深さ、太陽と月、星の光、柔軟剤のにおい、毛布にくるまる心地よさ、二人の温もり。
数えだすときりがない。二人は何もなかったリコに輪郭を与えてくれた。ただ存在しているだけの現象から意思を持った存在へ変えてくれた。
だからリコは、それでよかった。勿論リコがここまで詳細な思考を行っているわけではない。このテキストはリコの感情を言語化し翻訳したものであるが、しかしこれがリコの偽らざる思いだった。
この八洲軍基地は広いが、基地であるがゆえに狭い。娯楽施設は限られているし、その殆どが兵士向け、即ち成人向けのものだった。託児所はあるそうだが、ベイカントが敵対行動を取らなくなって以降、そこに子どもはいない。
故にノルンと照が二人とも仕事の時、リコは一人で留守番せざるを得なかった。一人の時、リコは決まって映像作品を見ていた。ドラマやアニメ、映画など。多くがノルンの趣味で多少偏ってはいたが、言葉や世界、ヒトに対する理解を深めるのにとてもいいものだった。同時にそれは憧れとなった。
外の世界。スターバックスやケンタッキー。ローソンは基地内にあった。マクドナルドは行くことができた。その他にも、桜やひまわりといった植物。季節という現象。特にリコは雪というものに強く惹かれた。
赤道直下に存在する八洲軍基地で、それを見ることはかなわなかったが、いつか見て、触れてみたいと思った。
いつか。未来。将来。リコにとっては輪郭を持たない概念だったが、それはきっと楽しいものなのだろう、という理解をしていた。
照が休日の時は、リコの一日は照を起こすところから始まる。朝の弱い照をあの手この手で起こすのは、ノルンからの指令だった。最近は耳元で囁くのも効果が薄くなってきた。次はどんな作戦でいこう。
リコに対する教育も多くが照によるものだった。最初こそ本能的に怖がっていたリコだったが、打ち解けるのに時間はかからなかった。照は優しい。いつも穏やかに、明るくリコの傍にいてくれた。
ノルンは普段から忙しそうにしていたが、時間があれば遊んでくれ、いつも帰ってきてからは3人の時間を大切にする人だ。リコはノルンの声が好きだった。夜はその声で眠るのが好きで、よく本の読み聞かせをしてもらった。
二人も初めて出会った時より打ち解けてきたようで、それもリコは嬉しかった。
最後にノルンと遊んだのはいつだったろうか。基地の屋上、地上ブロックに上がり二人と
ベイカント、と呼ばれるものがノルンの故郷に墜落したのが始まりだった。リコにとってベイカントは自らの体の延長線上にあるものだった。今、それがいなくなりつつある。ひとつ、またひとつと動くことをやめ、重力に引かれ落ちていっていることを、リコは感覚として知っていた。だが、それがリコが死と言う概念を得たことによる結果であることも、リコは理解していた。
だからリコは、それについて反抗しようと思わないようにしていた。自分の招いたことだから。
何より、今自分にはノルンと照がおり、3人の家族でいられるならそれでよかった。
先程照がやってきて、人間の成長について教えてくれた。分かりやすい授業で、いつか学校というものに通ってみたいと思っていたことを思い出した。
リコは再び己を作り変える。成長をする。
起きたらきっと二人がいて、またあの毎日がやってくる。少し退屈だけれどしあわせな毎日。
けれど今は眠いから、もう少し眠っていよう。
リコは眠る。明日へゆくために。
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