1-14 出立

 八洲軍基地、特殊技術研究部専用ドック内。出撃前の調整に訪れた未宙は口を開けて立ち尽くしていた。


 立ち尽くしていたと言うと語弊がある。彼女はただ眼前に存在するものを観察していた。


 ドックの照明を受け濃紺に輝る漆黒の外装。本体ほどはある巨大な一対の翼。肩部装甲に刻まれた紅のラインと銀の翼のエンブレム。


 生まれ変わった天螺あまつみが、そこにいた。


 だが、それは未宙の知る天螺ではなかった。コクピット周りに追加されたカナード翼、頭部はバイザー型のカメラアイが外周を一周するような構造へ変化し、人体でいう所の鎖骨部にあたるところに存在するエアインテークは逆ハの字型となっている。また背部の噴射飛翔翼と中央を縦一文字に切り裂くスタビライザーとの間には武装マウントが増設され、そこには小型軽機関銃が装備されていた。


 その他外装の形状も正面から見るだけで殆どが変更されていた。一週間前、目覚めてすぐにドックへ足を運んでからというもの、未宙は一度もここに来ることはなかった。それでも未宙はそれを天螺だと確信できた。


天螺あまつみ弐型にがただ」


 整備スタッフが未宙に話しかける。


「以前の天螺の機体内疑似神経系をベースに機体出力を15%向上、以前からあった改修計画を基に機体外装もほぼ総とっかえして機動性能を限界まで引き上げてある。超短期間での改修だが仕上がりは完璧だ」


 そう語る整備スタッフは、表情こそフルフェイスヘルメットに隠れて見えないものの誇らしげだった。


「その分更に武装も色々積んだ文字通りの決戦仕様――まあそこはいい。未宙中尉、あんたは乗れば分かるよな」


 天螺・弐型を見上げる整備スタッフに倣い、未宙も見上げる。磨き上げられ傷一つない、宇宙のような黒を湛えるその躰の中に、リザがいる。


「自分たちにできるのはここまでだ。早くお姫様を目覚めさせてやれ」


 差し出された拳に未宙は応え、コクピットへと向かおうとした時、司令がそれを制止した。


「なんですか」


「――これを」


 司令が何かを投げる。黒く四角い、手のひらほどの大きさの物体。それは重力が軽減されたドックを間延びするほどゆっくりと浮かび、未宙のもとへと飛んだ。


「――なんですか」


 見たところ小型の液晶がついた、何かの端末だった。色は天螺の外装と同じ濡羽色。


「餞別――というやつだ」


 八洲軍基地の司令は三年前に着任した元日本の官僚――いわば政治将校だ。だからリザやクレイドルシステムには一切関わりがない。だが何かしらの後ろめたさがあったのだろうか。未宙はよく司令が技研のドックに顔を出していることを知っていた。だから、素直に受け取っておく。


 作戦開始前の忙しい時間にここまで出張った上に士官とはいえ実質一兵卒にわざわざプレゼントを渡すというのだから、無下にするのも悪いと未宙は思った。


 機体に乗り込む。クレイドルシステムを頸椎のジャックに接続。機体データの確認と照合を行う。異常がないことを確認し接続深度を一段階――潜る、と表現するのが適切かもしれないが――上げる。脳と機体コンピュータが待機状態で接続。自己の存在が広がる感覚を覚える。


 この時点で未宙は生まれ変わった天螺の変化を体感として理解した。最早別物だと考えるべきだろうと思った。


 意識して深呼吸を行い、接続深度を更に一段階上げる。視界接続のダイアログ。景色が機体頭部から見たものへ変化する。視界が広い。以前の天螺ではワイヤーカッターや装甲の影になっていた部分がなくなり、ほぼ上下前後三六〇度の視界がある。自由に焦点を移動させられる。最早死角は無かった。


 接続深度を機体を動かすために必要なラインまで上げる。クレイドルシステムの起動ダイアログが視界に展開、戦術情報をはじめ機体の全てと一つになる。パイロットの生体情報はすべて見る前に削除、接続先として天螺の疑似神経回路のコピーを作成、接続。シミュレーターモードで機体を起動する。


 それと同時に未宙は一人の人間の存在を感じる。


「おはよう、リザ」


 視界の中央にリザが構成されてゆく。十四歳のリザを基に、四年分の成長をシミュレートして生み出されたリザの肉体。未宙の知る頃と同じ、女性から見ても細いと思う腕と美しく伸びた白い髪。リザが振り返る。銀の翼の髪留めが輝く。


『おはよう、未宙』


 気恥しそうに、少しばつのわるそうに、透き通った声でリザが言う。以前までの簡素なワンピースではなく、気品のある、主張の激しくないドレスを纏って。


「――似合ってる」


 未宙は見惚れていた。いやまったくリザが美少女なのは当然でこういうのも似合うと思っていたがいざ実際に見てみるとここまでになるかと驚いてすらいた。


 リザ曰く、機体改修の折に整備スタッフの一人が容量の空いたスペースに服のデータを入れてくれたとのことだった。普段常に軍の制服しか着ないファッションには疎い未宙でも、そのスタッフのセンスは信頼できると思った。今度何かリクエストでも出してみようか、などと考えつつシミュレーターで約一時間、自らの半身である機体の調子を確かめた。




 出撃の時間が来る。一度クレイドルシステムの接続深度を下げ、接続先を天螺本体の疑似神経回路へ変更。機体を再起動。メインジェネレータに火を入れる。


 コクピット閉鎖、内部は非常灯のみとなる。接続状態をスタッフに伝達、コクピットブロックへのDDL注入を開始。未宙は自身の体が浮かぶ感覚を覚える。武装接続開始。突撃砲二門を両手に保持。掌のコンソールが武装のグリップと接続、残弾数、残り弾倉等の情報が未宙の記憶領域に表示され、武装のマニピュレーター保護装甲に設置されたセンサーと機体を同期。視界にガンサークルが二つ現れる。


 翼を畳んだまま床がスライド、電磁加速式緊急発進砲塔スクランブルドライバへと移動を開始する。


「なあ、リザ」


『何?』


「この作戦が終わったらさ、二人でどこか行かないか」


『それって、天螺を外に持ち出すってこと――』


「あーいや、何て言うかさ」


 未宙はポケットから先程司令から渡された端末を取り出す。


「これ、基地の回線を経由して機体と繋いだら、これのカメラが未宙の目になってくれるらしい。中から文字も打てるって言ってた」


 端末を弄ぶ未宙。リザは驚いたような嬉しいような、何とも言葉にしにくい表情で未宙を見つめている。


「他の国やベイカントのネットワークが云々でこの基地だけでしか使えないらしいけど、この基地もすげー広いし、休暇用の施設もあるらしいしさ」


『未宙――』


「ここのことは、リザの方が詳しいかもしれないけど」


 リザが、未宙に抱き着く。触れた感覚はない。重さも感じない。ただ、そこにいる。その実感だけがあって、未宙は、ただそれだけでよかった。


「どうした?」


『もう、一緒に飛べないかと、思った』


 震える声。かつて救世主と言われた第一世代クレイドル搭載型セヴンスライダーに名を連ねた少女は、年齢相応のただの少女だった。


「約束したろ? あたしが勝手に繋がっててやるって。――行くか?」


 リザが頷く。


「決まりだ。二人で行こう」


『うん。二人で』


 電磁加速式緊急発進砲塔スクランブルドライバ発進ゲートに到達。天井からカタパルトアームが降り、天螺のインテーク上部のハードポイントと接続、固定。脚部の固定ロックボルトが外れ床がドックへと戻っていき、先程通ってきたエレベーターは封鎖。DDLが注入され砲塔内は疑似的な無重力状態となる。


 折りたたまれていた噴射飛翔翼を展開、翼部エンジン始動。右から回転数を上げてゆく。酸素発生装置起動。FCSテスト、動翼、機体各部動作、スタビライザー――異常なし。フラップは下げない。高度警報を二○○フィートで固定。その他自動化されている点検項目もすべてマニュアルで行い、終了。各種最終点検終了のアラーム。管制室に発進許可を求める。


 『Runway X3 Cleared for takeoff』のダイアログが視界に表示され、砲塔内のシグナルが赤から緑に変化。エンジン出力最大。アフターバーナー点火。


『未宙』


「リザ」


 握る手に熱は感じない。実体もない。それでも二人は何度もその手で互いを確かめ合った。


 発進。大空へ躍り出る。


 再び空に、生まれ変わった黒が往く。青空の彼方、赤黒い雲の渦巻く戦場へ。

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