1‐17 白銀
天螺のアイカメラの光が紅から青に変化する。機動に鋭さが増す。青の光の尾を蒼穹に刻み駆け抜けてゆく。
同時刻、八洲軍基地は動きを止めたベイカントの解析に追われていた。戦隊機が収集した情報は一度各管制機に収集され、そこで処理された後に基地へと送られる。
その中でも最も多くの情報を処理している機体が、ノルンの乗る Gleipnir《グレイプニール》だった。
「こちら八洲軍基地。グレイプニール、状況報せ」
『こちらグレイプニール! 八洲軍基地。応答を!』
双方が同時に声を出した。
「落ち着いて、何がありましたか」
オペレーターは普段と声色の異なるノルンに何かがあったと推察し現状の説明を求める。
『機体が操作を受け付けません。空中に静止したまま動かない!』
クレイドルシステムの不調だろうか、とオペレーターが再起動の指示を出そうとした時、隣の席に座るオペレーターからも同様の症状が戦隊機で見られるという報告があった。
その報告を聞いた司令が戦況マップを見ると、八洲軍だけではない。すべての基地から出撃したセヴンスが動きを止めており、その範囲はなおも広がり続けている。
何かが起こっている。そう司令は判断しデータを解析班に回すよう指示を出した時だった。ドックから連絡が入る。
『ドックで整備中の天雷が複数起動! エレベーターも勝手に動いてる。反応弾を抱えて
ドックで作業中だった整備班長の怒号が司令室に響く。
「誰が乗ってる!?」
『無人だよ! 天雷自体まだ開発段階の試作機で調整も済んでないんだ!』
「パイロットコードはどうなってる」
『今確認する――』
その次に整備班長が発した言葉に、司令と居合わせた特殊技術研究部のメンバーは凍り付く。
『未宙――未宙中尉だ』
何が起こっているのか。何をしているのか。理解するには情報が不足しすぎている。しかし確かに言えることは、それは不吉なことであるということだった。
「海上基地群より報告、現在同様の事象が――爆装した待機中の機体が無人のまま起動しているとのこと」
「本部コンピュータにアクセス要請! これは――
やはり、天螺が何かをしている。現在地上で唯一稼働している第一世代クレイドルシステムを搭載した機体が、この状況の中心にある。司令の直感がそう告げていた。
「アクセス承認。解析急げ」
アクセスを承認した途端、基地の電源が落ちる。数秒で予備電源に切り替え、復旧。アクセス解析作業に入る。しかし進行が遅い。
「オンライン状態の基地コンピューターのメモリ使用量が一〇〇%で張り付いてます!」
しばらくして、解析班のセクションから連絡が入る。
「これは――天螺がグレイプニールと接続、グレイプニールのシステムを起点にして他の機体や基地のコンピューターと接続。戦闘演算のためのメモリとして使用してる――!?」
「ベイカントも同様に動きを止めている以上、今戦っている天螺とフェンリルが同じように他の機体の力を借りて戦っていると考えるのが妥当だろう。ならばこちらのコンピューターも多いほうがいい。――しかし」
「そんな出鱈目、パイロットの脳が耐えられるはず――」
「今はベイカントの動きを監視しつつ天螺とフェンリルを最優先でモニターしろ」
次の瞬間、司令室前方に浮かぶ戦域情報を映す巨大なモニタに、天螺とパイロットとのクレイドルシステムによる接続が切れたことを示すダイアログが表示された。
それでも天螺が戦い続けていることを、戦域マップを駆ける天螺のアイコンが示している。
高度二万五〇〇〇メートル、戦闘空域を遥か下にのぞむ高空で、 Gleipnir≪グレイプニール≫は静止していた。
「動け、動け……今動かなきゃ先輩を見失っちゃう……ッ!」
ノルンは一通りの復旧法を試し、一切の操作を受け付けないことが分かってもなお操縦桿とフットペダルを動かし続けていた。しかし機体が動くことはない。
自分があの戦いに加わったところで何かができるという訳ではない。けれど何もせずここでじっとしていることは絶対に嫌だった。何か嫌な予感がした。
クレイドルで機体と繋がっているのに、頭の中に戦域情報が入ってこない。今未宙が生きているのかも分からない。焦りと嗚咽と縋るような叫びが混じった声でノルンは『先輩』の名を呼び続ける。何度目だろう。掠れ、最早声にならない声でその名を叫んだ時。
未宙が、自分を追い越していくのを感じた。
それはどこか夢のような、超能力が使えたらこんな風なんだろうな、というような、ぼやけたビジョンだった。しかしノルンにはそれが今起こっている、紛れもない事実であることを確信できた。
届かなくなってしまう。見失ってしまう。
あの温もりが、自分の唯一の居場所が、いなくなってしまう。きっと、一番大切な人と一緒に。
ノルンは叫べ、と自分の中にあるすべての自分が言っているのを感じた。
止めなければならない。手が届かなくても、声ならきっと。
未宙のためではなく、自分自身のために。
「行っちゃだめだ、先輩!」
声は、届いただろうか。わからない。けれどノルンは一瞬、未宙が振り返ったような、そんな気がした。
これでいい、と未宙は思った。自分という存在が広がって、融けてゆく。輪郭が拡散して、多重にブレて、歪んでゆく。
こういう時、心残りが走馬灯というものになって見えるらしいが何故か未宙には何も見えなかった。
心残り。そういえば、ノルンを一人にしてしまう。
けれどノルンは自分と違って頭がいいし強いから、きっと大丈夫だろうと思う。
未宙自身、ノルンには感謝しているし彼女にとって大切な人の一人だ。リザがいなくなってからふさぎ込んでいた時分に出会った彼女がいなければ、精神的にも成績的にもきっと今ここにいることはなかっただろうと思う。それほどに彼女の少し間の抜けた喋り方や年上なのに自分のことを『先輩』と呼ぶ不思議なところ、しかし本当は思慮深く頭も切れるところ。そういった彼女の在り方、あるいは自分への好意に甘えていた。
それを分かっていて、ノルンの気持ちに気付かないふりをしていた。
ノルンが、自分の名を呼びながら泣いていた。だから一言、彼女に謝ることができなかったことが心残りかもしれない。
消えてゆく感覚。最適化されてゆく意識。確かに握ったリザの手だけが熱い。融け合って、一つになる。永遠が、始まる。
今はただ、その二人の永遠の時間を邪魔する者。目の前の
vmax第三段階起動。安全限界出力を突破。エンジンが甲高い咆哮を上げる。速度が上昇。フェンリルとの距離がじわじわと縮んでゆく。漆黒の装甲が断熱圧縮の高温にさらされ、燃え、融け、白銀の鋼が露になる。コーションマークも、翼を描いたエンブレムも、コクピット横に刻まれたパイロット名も消えてゆく。
それはまるで、紺碧の宙を貫く一条の銀の矢。
フェンリルも加速、反転。一八〇度回頭。まるで壁にぶつかったボールのような鋭敏さで
正面からのフェンリルの斬撃を回避し先程のフェンリルと同様に反転、追撃。前を行くフェンリルはミサイルを発射。五発。天螺は構わず接近。しかしフェンリルは急旋回、
天螺のコクピットを、フェンリルのブレードが貫いた。
振り抜く。ブレードの熱でコクピットが溶断される。それでも尚、天螺は止まらない。アイカメラは炯々と輝き、眼前の敵を見据えている。
天螺は右腕を伸ばし、フェンリルの頭部を掴む。頭部のバイザー型パーツが砕ける。そして両の噴射飛翔翼を展開、爆発的な加速でフェンリルを掴んだまま飛んで行く。その先、空を区切る巨大な尖塔、旧軌道エレベーター。フェンリルはブレードで天螺を引き剥がそうとするが腕が思うように動かない。辛うじて頭部を握りつぶすほど固く掴む天螺の右腕に切先が届こうかという時、フェンリルの全身を途轍もない衝撃が襲う。旧軌道エレベーターの外壁に激突したのだ。
ベイカント襲来より二十年。傷一つつくことのなかった旧軌道エレベーターの外壁に、二十メートルの大穴が空く。
内部は、暗闇ではなかった。電源はまだ生きている。天螺は衝撃で両腕と下半身を失ったフェンリルを離すことなく落下。床を三層貫き、フェンリルを叩き付け、停止。
天螺とフェンリルは数秒互いを見つめ合い、何かの信号を交わす。そして天螺は静かに手を伸ばし、宿敵の頭部に再び触れる。その手は優しく、死者の目を閉じさせるようだった。
右腕前腕下部に搭載されたパイルバンカーが、フェンリルの胸を貫く。頭部のバイザー型の目から、光が消える。
天螺とフェンリルの会敵から、三分五十三秒後のことだった。
フェンリルの骸を残し、天螺は噴射飛翔翼を起動。垂直に上昇してゆく。
旧軌道エレベーター内部はかつて人の作ったものから大きく変化していた。内部の壁面には大量のカプセルが並び、DDLと同じ紫色の液体で満たされている。旧軌道エレベーターはDDLの採掘拠点の一つでもあったため、ベイカントが利用していると考えるべきだろう。
それらの中にはベイカントのようなものがいくつもの管に繋がれ浮いている。さしずめベイカントの工場と言うべきか。上方のカプセルになるほどその形状は異質なものとなっていき、生物的なパーツ――人体の部位――が多く見られるようになっていた。そしてその最上部。ひと際巨大なカプセルの中に、人がいた。赤く、長い髪の幼い少女。天螺はその前で停止する。
数秒の沈黙。
天螺は両手を差し出す。カプセルに外殻はなく手はゆっくりと吸い込まれていき、その少女に添える。途端、カプセルを満たしていたDDLが弾け、形を失う。
その少女をむき出しになったコクピットの座面に乗せ、天螺は再び上昇してゆく。
数分後、各国基地より無人のまま発進したセヴンスが到達。無防備な旧軌道エレベーターの根元で反応弾が炸裂。いくつもの閃光とともにその機体たちは蒸発。爆発の衝撃は海を裂き、熱は軌道エレベーターを融かし海中に埋まっていたあったDDLを気化させる。その瞬間、軌道エレベーター周辺が紫の光に包まれる。DDLが誘爆したのだ。この時、初めてDDLの沸点と、それが可燃性物質であることが判明した。
その光は各地の戦場まで届いていた。
旧軌道エレベーターはある時点まで崩れると、まるで逆再生するかのように修復され、再び崩れてゆく。観測する者全員が目を疑った。以降、旧軌道エレベーターは既存の物理法則が通用しない異界と認識され、接近禁止区域に指定されることとなる。
異様な光景に目を奪われていた戦士たちは、暫くして再び機体が動作するようになったことに気付き、同様に活動を再開したベイカントに照準を合わせる。しかしIFFが故障したのか、ベイカントが友軍機扱いになっていた。その現象は同様に作戦に参加していた全機体に留まらず、世界中の戦術コンピューターで見られた。
ベイカントは踵を返し、セヴンスには目もくれずそれぞれ散ってゆく。帰る場所を失った彼らは指向性を失っていた。
Gleipnir《グレイプニール》、コクピット内。ノルンは俯いていた。
『応答しろ、グレイプニール、ノルン大尉!』
司令室からの何度目かの呼びかけに、ようやくノルンは反応する。
「目標、旧軌道エレベーターの破壊及びベイカント全機の撤退を確認」
涙は、流れなかった。天螺を待つこともなかった。
「作戦終了。これより帰投します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます