One good turn deserves another.―情けは人の為ならず―EP3
(黒い……腕? 見覚えがある……変異体の女に浮き上がっていた。皮膚の下に、幾つも……)
脳裏をよぎる懸念を振り払い、ジュンイチはヘルメットのタッチパネルを通してバイクを自動運転モードに切り替える。
二両の行先に見えるのは赤信号の交差点。極彩色の発光体が道路上を行き交う光景はさながら荒れ狂う河川のようである。
トラックは既に、郊外から都市的地域に入りつつあった。
ひた走る車輌は例外無く日常の一端を通過しているに過ぎず、迫り来る異形に対し何ら興味関心を示していない。故に流れが止まる事はない。
交差点手前でバイクは急加速を行い、トラックと併走。
しかし横付けはせず、逆に距離を開ける。
歩道側へ向かったバイクは前輪を持ち上げ小さく跳ねた。
AI制御がなせる緻密な操作によって、安定した走行姿勢を保ちつつ防護柵の上に乗る。
このまま河川を飛び越す算段である。
対してトラックは変わらず直進。強行突破を図ろうとしている。
互いに衝突寸前間際、ジュンイチはハンドルを強く握りしめ、防護柵で稼いだ高度を活用し跳躍した。
トラックは荷台の穴から伸ばした物体で車輌を掻き分け、河川に突っ込む。
無数のクラクションが喚きたち、辺り一帯は喧騒の嵐に包まれた。
異形の存在は走行速度を維持しつつも、掴んだ車輌を持ち上げジュンイチに投げ付ける。
飛来する二台の車輌を前に、ジュンイチはハンドルから手を離した。背面に巣喰う巨人の心臓筋が蠢き、彼の四肢は筋繊維の鎧に包まれていく。
ジュンイチは息を止め、全身に力を込める。
発揮されるのは人ならざる膂力。
ジュンイチは一台目のボンネットに右手を叩き付け全身を持ち上げると、勢いと反動を利用しつつ二台目に向かって飛び移った。
続けて二台目車輌のルーフを踏み台にし、トラックの荷台へ更なる跳躍。
荷台への強襲を阻止すべく、異形から伸びた黒い物体は不気味に蠢き、より攻撃的な形状へと変化した。
槍の如く先端を尖らせた五本の肢体でもって、異形の存在はジュンイチ目掛けて刺突を行う。
迎撃を警戒していたジュンイチは即座に上半身を捻り、空中で身体を一回転させる。
振り払われた白刃は正円状の残像を形成し、襲いくる物体をまとめて斬り払った。
回転した勢いを乗せた高周波ブレードを、ジュンイチは着地と同時に荷台に突き刺す。
一方、バイクは投げ飛ばされた車輌の真下を通過し、無事向こう岸に着地する。
深々と刺しこまれた一撃は致命傷に至らずとも、荷台に潜む異形に対し痛ましい傷を負わせていた。
異形の存在は躍起になり、車体を揺らしながら荷台上のジュンイチに掴みかかろうとする。
攻撃の予兆を瞬く間に察知したジュンイチは、車体左側から襲い来る物体を荷台ごと切り裂き、反対方向からの攻撃を返しの刃で切り落とす。
四肢を一時的に失ったトラックは必然的に減速していく。しかし、残されたタイヤの勢いは緩まない。進行方向は車道から大きく逸れていった。
トラックは為されるがまま再度左方向へ急カーブを行い、風俗店が立ち並ぶ広い歩道に侵入していく。既に不安定な状態に陥っていたトラックは、遠心力も相まって大きく傾いた。
ジュンイチは荷台から離れようとするが、トラックが横転する寸前、彼のヘルメットに人影が反射する。
ジュンイチの目は確かに捉える。
パーカーのフードを目深に被った人物が、大通りの中央に立ち尽くしている姿を。
「……!」
このままでは確実に巻き込まれる。にも関わらず、逃げる素振りのない仁王立ち。冷静さすら感じる佇まい。
ジュンイチが想起するのはおよそ二年前、彼の全てを狂わせたあの日、少女を目の当たりした刹那。
たった今ジュンイチの脳裏をよぎった感覚は、あの時感じた違和感と全く同じものだった。
「……っ!」
ジュンイチは高周波ブレードを逆手で持ち直し、荷台右側の穴に深々と突き刺す。瞬時にブレードの振動をOFFに切り替え、身体を支える為の杭として利用。そのまま車体の右側に身体を投げ出す。
ジュンイチは、両脚を屈曲させ全身全霊の力を込めた。腕に巻き付いていた心臓筋も脚部に集中させる。
レザーパンツの上からでも分かる肥大化、浮き上がる血管と早まる脈拍。最早人間のそれではない。
豪速かつ瞬間的に伸ばされた両脚は爆発するような衝撃を生み出し、横転寸前のトラックを反対方向に蹴り飛ばした。
トラックの軌道は逸れ、反動でジュンイチも吹き飛んでいく。
路上を転がるトラックは『オモワセブリ』と掲げられたネオンサインを破壊する。舞い散るガラス片と火花に彩られ、赤黒い液体に塗れたトラックはセクシャルアンドロイド専門店に衝突した。
店舗の奥から肉声によく似た悲鳴が湧き立っている。
受け身に失敗したジュンイチも路上を転がり続けていたが、うつ伏せになった瞬間に腕を地面に叩きつけ、強引に勢いを殺した。
鈍重な動作で彼は立ち上がる。
その身に重くのしかかるのは痛みではなく、深刻な疲弊。
急激な消耗の原因は、一時的な呼吸困難による酸欠である。
巨人の心臓筋は人智を超越した身体能力を齎すが、これには相応の代償が伴う。
特に先刻のような酷使は負荷が凄まじい。強力な膂力を得ようとすればするほど、身体の内側に侵蝕した筋繊維が肺を圧迫してしまう。
ジュンイチはぼやけた視界の中でトラックに焦点を合わし、目を凝らした。
「……!」
やがて信じ難い光景を目の当たりにする。
身を挺して助けた筈の人物が、トラックの荷台に手を掛け封を解いていた。
荷台から這い出したのは、一人の人間だった。影から覗く極一部は間違いなく人間であった。
だが、肩から下が露わとなった瞬間、それが名伏し難い異形の一部に過ぎないとジュンイチは理解した。
胴体は円筒系に変形し、黒く変色している。呼吸に合わせて伸縮を行う様子は前進する芋虫の挙動に近い。また、多足類の如く生え出た肢体がバランスの維持と歩行を可能としている。
胴体に備わった器官はそれに留まらず、無数の人間の顔が合間を縫うように浮き上がり、蠢いていた。これらが本体の視覚と嗅覚を補っている。
荷台が開けられてから響き渡る呻き声は、トラックの巻き添えになった通行人のものではない。胴体に存在する無数の顔から発せられたものだ。
顔にはそれぞれ自我があり、各々が独自の意思を持って呪詛を唱え続けている。
パーカーを着た人物は動じるどころか、それに接近。顔を近づけていく。
やがて何らかの所作を終えたのち、ポケットから取り出した何かを顔に装着した。
「やぁ、初めまして……会いたかったよ。ブギーマン」
フードの奥から発せられた声は、この場に似つかわしくない程爽やかで、清涼なものだった。
相対するジュンイチは未だに性別が識別できていない。
ヘルメットの奥で精悍な表情を浮かべ、ジュンイチは睨む。瞬間的に溢れ出した彼の集中力は瞬きすら惜しませる。
「……何者だ」
「では、名乗らせて貰おう。私の名はエドワード……エドワード・アンダーソンだ」
踵の向きを変え、振り向いた目線が合致した瞬間、通りを照らす薄紅色のライトによってフードの中身が照らされる。
顔面を覆う陰りは消える。
奥底からジュンイチを覗いていたのは、薄ら笑いを浮かべた白い仮面だった。
//to be continued……
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