One good turn deserves another.―情けは人の為ならず―EP2

 寝静まる妻と娘に向けて男は囁く。

「おやすみ。私の天使達」

 甘美な声音に運ばれた男の言葉は、天使達の息遣いと混ざり合い空気中で溶け合った。

 男の唇から漏れ出す吐息が内に秘めた名残惜しさを代弁する。


 寝室を後にした男は物音一つ立てずに扉を閉じる。彼は一連の動作の中で自らの前髪をかきあげると、首を回しながらゆっくりと後頭部に撫で付けた。


 クールな仕事をこなす男にはオールバックが一番似合う。これは森羅万象に通ずる自明の理なのだ。少なくとも彼にとってはそうだ。


 時刻は既に日を跨ごうとしているが、仕事はいつ何時舞い込んでくるか分からない。男は常に準備を済ましている。

 通達があったのは数分前。発信人の名はアーヴァイン・コーウェン。

 彼は信頼に足るビジネスパートナーであり、警戒すべき監視対象でもある。

「VAL、折り返してくれ」

 男の呼び掛けに対し、携帯端末は機会音声を用いて返答を行う。

[了解致しました、Mr.アロルド・ベルニーニ様]

「よしよし、いい子だ……あれ、もう繋がってるよな、これ」

「……夜分遅くにすみません、ベルニーニさん」

「気を遣う必要はない。これが私の役割だ。バックアップが必要だという事は、つまりそういう事だな」

「はい、お察しの通りです。車輌の使用許可を下さい。恐らく鷹の目も必要になります」

「問題ないが、標的について教えてくれないか。それ相応の相手なのだろう」

 ネクタイを締め、ストライプスーツを羽織り、アロルドは携帯端末を手に取った。通話を繋げたまま部屋を出ると、アロルドは軽やかな足取りで地下室に増設されたガレージに向かう。

「今日の深夜ニュースは観ましたか?」

「いいや、観ていない。娘と風呂に入っていたものでね」

「そうですか……実を言うと、俺にも正体は分かっていません。ただ、何らかの方法で車輌を乗っ取り、暴走しています。既に刑事組織が動き始めていますが、所在はまだ掴めていないようです……出し抜くなら、今が好機かと」

「なるほど。やる気と自身に満ち溢れた口振りだな。もしかして、車輌の居所はもう掴んでるとか?」

「厳密に言うと、俺ではなくチェシアの子猫が」

「例の情報屋か……流石の敏腕ぶりだね。頼もしい限りだが、今回の一件に関して、どこまで彼女は味方だと言える?」

「あくまでも車輌の特定に関してのみです。もしものことがあれば、契約違反を起こしてでも俺が責任を取ります」

「命を賭してまで利用するという訳かい……スヴェンさんが見込んだ男は、やはり一味違うね」

 ジュンイチはケアリーとの取引を指して契約という言葉を用いたわけではない。

 文字通り血を伴った魔術により、彼の身体には枷がはめられていた。


 トウキョウ内に繁殖する鴉に外見的差異は見られないが、その内の数匹、専門家の高等魔術によって視界共有と肉体操作の術が施されている。

 それら鴉の人為的コントロールと視界情報の取得を行えるのは術者本人と、訓練を施されたアロルド・ベルニーニのみ。


 そしてジュンイチの肉体に直接彫り込まれた術式はいわば発信器の役割を果たす。

 鴉は常にジュンイチの居場所を把握しており、契約に背くような犯罪行為、魔具の悪用、情報漏洩を行い、尚且つ情状酌量の余地が無く、有効な弁明も成されなかった場合、ジュンイチは身体の自由を奪われ、瞬きすら出来なくなった彼の下に鴉が群がりだす。

 最期には白骨と白い糞便となってジュンイチは一生を終えることだろう。

 目的を果たすため、そして信頼を築く為に設けられた酷く合理的な契約内容だ。

 彼の命は現在、契約者であるスヴェン・シジマが権利を一時的に譲渡したビジネスパートナー、アロルド・ベルニーニの裁量に掛かっている。


「この話はここまでにしよう。私の準備は万全だ。直ぐにでも眼を飛ばせるから、正確な座標を特定したら教えてくれ。上空から周辺一帯を監視する」

「ありがとうございます。情報屋と繋ぐので、一度切ります」


 ジュンイチは端末を操作しながら、白銀の塗装が施されたバイクに跨った。


「ケアリー。許可が下りた。俺は直ぐに出せる。座標を教えろ」

「待ってたよ。正直ハラハラしてた。圏外に出られるとオジャンだったからさ。今ね、山林を掻き分けてトウキョウ中央都市近辺の無人ガソリンスタンドにいる。今送信した」

 ジュンイチは端末に送られてきた情報をアロルドに転送。起動したままの端末をレザージャケットの胸ポケットに仕舞い込み、無線型分離マイクを右耳に装着。

 魔術によって高い防弾性能を得るまで硬化されたヘルメットを被り、バイクのハンドルを握る。無論、たった今身に付けている装備は全て魔術による強化が施されている。

「なんか、機器をこじ開けて無理矢理充電してるみたい……案外知能があるのね……うわ、気色悪っ。コレが自分と同じ生き物だったとか、思いたくないんだけど……」

「考える必要はない。俺が隅々までバラす。目を逸らすな」

「ヒュ〜頼もしいねぇ」

 ジュンイチはヘルメットの側面にあるタッチパネルに指をかざした。

 彼の繊細かつ滑らかな操作によって、ヘルメットの液晶内臓型シールドにステルス・ドライビング開始の合図が表示される。

[You are free]

 電子音声がヘルメット内部で囁いた。


 使用者であるジュンイチの頭頂部を中心とした半径3m以内の空間に光の粒子が放出され、彼と車体を囲う。粒子は互いに重なり合い、立方体の辺を描き出す。

 この瞬間、ジュンイチの全身、そして彼が跨るバイクは他者の視界から消え失せた。厳密に言えば、光を屈折させることで透過したかのように見せかけている。

 役目を終えた光の粒子は溶解する雪氷と等しく、美しい残光を散らしながら音もなく弾け飛んだ。

 

 やがて一帯に立ち込める静寂がほどけ、時の流れすら忘失していた住宅地に変化が生じる。

 使用されていない、否、所有すらされていないはずのガレージが人知れず道を開けたのだ。


 息づく有機生命体は陰影の一端すら侵入を許されない、そう感じさせる程に閑散とした一帯を、無機質な駆動音だけが独りでに走り去っていく。

 それはネオンサインの樹海と雑踏の只中へ向かって消えた。


――――――――――――――――

 

 暗黒をこじ開ける。裂け目から俺は覗く。

 

 見えたのは、あれは、母さんだ。

 見送りに来てくれたのか……?


 何か受け取っている。

 あぁ……あれは、チップペイ。金だ。額は分からない。でも笑っている。

 

 そうか、そこで背を向けるのか。

 まあ当然だよな。俺は失敗したんだし。

 俺からせしめるより、俺を売った方が儲かるだろうさ、そりゃそうさ。


 は……ははは……はは。


 また暗黒が口を開ける。裂け目から俺は覗いている。


 金を手渡すとき、男はスーツからカード型の身分証明端末を取り出していた。

 見ていた筈だ。よく思い出せ、そしてよく見ろ。

 

 カードの端に……うっすらと浮かび上がっていた。米国政府直属機関のマークが。

 俺が飛び降りる前、あいつが、エドワードが俺に教えてくれたんだ。

 特徴は、ギリシャ文字の13、太陽を表す惑星記号、五つの星。


 これが見えたら……全部殺して、全部奪えって。



 ダメだ、ここから記憶が曖昧だ。


 でも全部じゃない……これだけは思い出せる。

 

 味。


 今もそう。喉の奥が錆びっぽくて、生臭い。粘ついてやがる。

 これ……多分、血だ。


「なんてことを……してくれる」

「ば……化物……」

「返せ……ジェス……ジェスを返せ……」

「腕が……」


 知らない声だ。


「大いなる母は、潜伏と帰結を臨んでいる……従え」


 誰だお前は。指図するな。


 いや待て、なんだ、この感じ。

 まるで……溶けていくような。自分の中の自分が、溶けていって、かき混ぜられて……い、意識が……思考が、記憶が、なんか曖昧に……ああぁ、注がれてる。別の何かが注がれてる。


 やめろ、やめてくれ。吐き気がする!


「安心しなさい。思い出すのは、一つだけでいい。案内します。ついて来なさい」

「え……あ……」

 急に鮮明になる。気分の悪さはない。今ははっきりと、自分を認識出来ている。

 何が起きた……?

「思い出す? 何を。ていうか、あんた誰」

「私はセオドリックと呼ばれている。問いの答えは、アンダーソン。君の友を」

 ああ、なるほど……。

 これは、この響きは、心地よい。

 友か。そうだ、俺にも友がいた。

 足を踏み外したばっかりに、俺はぐちゃぐちゃになって、母さんにも迷惑かけた。

 俺の存在価値なんて、0を一個つけるだけでも高すぎる。未満の未満だ。小数点だってつけるべきじゃない。いいとこ消しカスだよ。

 だってのに、こんな自分にも、友がいたんだ。帰りを待つ友が―。


――――――――――――――――


「あ……アンダー……ソン……」


 不気味な不快音、不潔な液体を撒き散らしながら、小型トラックは車道を進む。進行方向に迷いは無い。

 追跡者はいない。時刻、地域からして車通りも少ない。遮るものは何もない。


 筈だった。


 街道に差し掛かったその時、異変が起きる。


〈Clash……Clash〉


 異形の存在は知覚する。

 車体の傾き、それに伴う攻撃を。


 何かがすれ違っていたのだ。


 タイヤを囲うフェンダーと呼ばれるパーツが道路と擦れ、辺りに飛び散る火花が夜闇を照らした。


 刹那、バックミラーに映っていた。

 トラックの後方、車線の境目にある白線上に、照らされた白刃とそれを握る腕が浮いていた。

 異形の存在が有する視覚には、そう映り込んでいた。


「……!」


 座席後方から確保していた異形の視界は、寸前まで平地だった筈の坂に焦点を移す。右側が登り、左側が下りである。

 ハンドルは効かず、トラックは坂を下り始める。直進出来ない。


 荷台の穴から飛び出した黒い物体が道路に突き刺さると、トラックは道路の白線と垂直に交わったところで動きを停めた。


 伸ばされた物体の内一つが引っ込み、代わりに人間の眼球と同じ球体が飛び出す。

 まじまじと眺めるのは転がる二つのタイヤ。次に、姿を隠した敵対存在。

 

 宙に浮く白刃は慎しげな走行音と共にトラックへの接近を図っている。

 対して、異形の存在はアクセルペダルを限界まで押し込んだ。


 突き刺さった物体を軸にトラックは270度回転。勢いと速度を維持しつつ、伸ばした黒い物体を地面から引き抜き脚と同じ要領で動かす。

 多足類を想起させる不気味な動作は、失った二つのタイヤと同等の推進力を発揮した。

 トラックは再び直進を始める。

 白刃はその後を追う。


 状況を複合的に判断し、白刃の持ち主はベールを脱いだ。

 屈折範囲からして攻撃時に目視されるケースは想定内であった。

 不意打ちが既に通用しない以上、相応の電力消費を抑えて追跡に専念しなくてはならない。


 立方体状に歪む景色を突き破り、現れたのは白銀塗装のバイクに跨る漆黒のライダー。


 ブギーマンだ。


//to be continued……

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