Ask, and it shall be given you. ―求めよ、さらば与えられん―

 掬い上げた水面を眺め、反射する光に目を焦がしてみる。

 募る焦燥感は拭えない。

 得もいえぬ不安が背中を摩り、時間は刻一刻と進む。


 帰宅するまでの道中はこれと言って何事もなく、自室に続くマンションの廊下はいつも通りの静けさだった。

 それが寧ろ不気味だった。


 追跡を振り切ったから?

 それとも、既に住居を特定されている?

 奴等は好機を伺っているだけ?

 

 ノーム達の提案を受け入れて、暫く一緒に行動するべきだった……?

 

 いや、それは違う。私が招いた事だから、もう彼等を巻き込むべきじゃない。

 

 でも、私に出来ることってなに?


 潔く手を引いて、身の丈に合った選択をするべきなのかもしれない……無事に明日を迎える事が出来たら、最善を尽くした素振りで、私はマコトさんにこう告げる。

 ブレントさんは、助けられなかったって。

 

 自分で手に掛けておいて、そんな残酷なこと、私に出来る……?


 本当に助けられなかったのか、確証なんてない。あの時、本当に私を殺そうとしていたのか、誰にも分からない。

 

 でも彼は死んだ。

 私が生きようとしたから。


 悪者になる度胸なんて、端から持ち合わせていないくせに……。


 まるで、水車のような思考の繰り返し。これで何度目だろう。この結論に至るのは。

 分かってる。答えなんて出てこない。巡り巡る考えは、自分を慰める為の呪文。

 だって、貴女はいつだって無力だった。

 自分だけはいつも助かるくせに、誰かを助けた事なんて一度も無い。


 ねえ、マニカ。そうでしょ。


〈plop〉


 揺れる水面が頬を撫でる。

 息は続いていた筈なのに、急に胸が苦しくなった。


 湯船から待ち上げた顔を伝って、黒い水滴が落ちていく。

 何故か、お湯が黒く濁ってた。


 途端に吸い込まれそうになった。

 肩まで浸かっているにも関わらず、不気味な既視感が悪寒を植え付けていく。


 脳裏によぎる。

 服に付着した瞬間が。

 倒れ伏す彼の身体から、湧き出る泉のように床を浸す光景が。


 これは、血……?


 私の体にこれといった傷はない。少なくとも入浴前までは。


 波が鎮まり始めた頃、映り込んだ自分の姿を見て、異変に気が付く。


 右肩にあざが出来ていた。

 蛇の鱗みたいな模様だ。


 私は無意識の内に、ブレントさんの変わり果てた姿を想起していた。

 上半身は黒い体毛の獅子、下半身は海蛇のような……。


 呆然としていると、一つの水滴が私の腕で弾けた。

 肌を伝う液体は独りでに蠢き、やがて慣れ親しんだ文字を象る。


 Sig npo st


「……道標……」


――――――――――――――――


 赤、青、黄色、紫、ピンク。

 外部電源のコードに施された装飾が悪戯に明滅を繰り返し、鮮やかな閃光が室内に弾け飛ぶ。

 規則性に意味はない。部屋の主人あるじが華やかさを追求した結果がこの有様である。

 彼女の切迫した状況下を知る由もなく、マシーンは煽り立てるように唸り声と光を発し、女の虹彩は極彩色の光を反射し続けていた。


 水晶体を行き交っていた映像が唐突に乱れ、前傾姿勢でモニターを凝視していた女は反射的に背筋を伸ばす。

 次いで鳴り響く、悍しい金属音。

 それは室内を飛び交うノイズを押し潰し、突き刺すような痛みでもって女の脳裏を掻き毟った。

 滾る集中力が理性と論理的思考を辛うじて形成するものの、目頭は炙られたかのような熱を帯び、浮き彫りになった血管が結膜を覆い尽くしていく。

 目を離す訳には行かず、女は下唇を噛み締めた。


[……我々は常に隣人である。もし、後世に残すべき言葉があるなら、これから日記をつけるといい……誰も、貴様の眠りを妨げはしない]


 荒々しい映像から男の声が流れ出す。

 骨の折れる音、肉を切り開く生々しい切断音、鮮血が散布される音が随伴し、通信はそこで途絶えた。


「うぅっ!」


 麻縄で締め付けられたかのような激痛が彼女の心臓を抉った。

 相反して、喉の奥から溢れ出したのは悲鳴や叫び声ではなく、不敵な笑い声だった。

「私の勝ち……」

 女は折り曲がった身体を元に戻し、部屋の隅に座り込む『キャットタワー』を見やる。

 すると、側にある小窓が独りでに開閉を始め、猫とビデオカメラを接合させたかのような生物がCPU筐体の上に出現した。

 『キャットタワー』から伸びた逞しい手足を伝い、三匹の猫はそそくさと巣穴の中へ戻っていく。


(他の個体は回収成功……直ぐに別の仕事場に移動しないと。ここは危険過ぎる……取り敢えず、必要なバックアップを取って……)


〈Zii……zyy……Bzzz〉


 歪な電子音を響かせながら、黒く染まった筈のモニターが唐突に復活を遂げた。


「……?」


 加えて、別のモニターにも映し出されたのは全く同じ映像。

 いずれも場所はこの街の何処か。

 路地裏、人目につかない住宅地、立体駐車場の一角、薄暗い店内。

 場面が次々と切り替わる。

 表示される時刻は常に丑満時。


 飛び交うノイズと砂嵐が一時的に鳴りを潜め、人間と思しき後ろ姿と周囲の状況が視認可能になる。


 複数の死体が血の海に沈む中、たった一人、立ち尽くす者がいた。


「…………?」


 頭部はフルフェイスヘルメットに覆われていたが、やがて人間はそれを外し、一瞬だが素顔を露わにする。

 

 特徴的な頭髪、鋭い目付きの男だった。


 男の黒い虹彩によってモニターは埋め尽くされ、そこで映像は止まる。

 女は吸い込まれていった。

 釘付けになっていたのだ。


 自律行動を可能とする分離個体は、時折使用者の意図を無視した映像を自動的に撮影し、保存する。

 例に漏れず、今回も同様のケースである。


「今の…………」


 自身の記憶と照合した結果、女は確信を得た。

 携帯端末に保存したデータから必要な情報に目星をつけ、彼女は次の行動方針を決める。


「………案外、楽しくなりそう」


 光を失った液晶画面に、笑みを浮かべる女の顔が反射した。


//to be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る