The calm before the storm ―嵐の前の静けさ―

 痛みは程なくして無くなり、身体は自由を取り戻していた。

 尻尾を振り解いても彼が動く事はなく、海の流れに乗って、ブレントさんの溶け出した体が崩れ去っていく。


 思いもよらなかった。こんなに穏やかな最期だとは。


 悲痛な慟哭は脳裏にこびりついている。今までも、これからも忘れる事は無い。

 犠牲者は一様に体温の上昇を訴え始め、溶け出す体と激痛に恐怖し、悶え苦しみながら骨もろとも気化してしまう。肉体は跡形も残らなかった。

 

 消えて行く最中、ブレント・ビーンランド本来の姿が垣間見えた。

 彼はとても、優愛に満ちた表情をしていた。

 

 やがて浮遊感が消え失せ、元いた場所に足を着く。

 残された物は変色した布の塊と携帯端末の残骸、そして単純明快な事実が一つ。


 私が彼を殺したのだ。


 気持ちの整理が付かないものの、建物の外から聞こえてくる話声は私に十分な危機感を与えた。

 そうか、崩落した時の音を聞いて、異変に気付いたのか。工事関係者か、あるいは警察か。それは分からないけど、兎に角姿を隠さないと。


 身を屈めながら廊下を歩き始めると、聞き覚えのある声が私を呼び止める。


「マニカお姉さん! 無事で良かった……!」

 

 声を発する壁面には、私を見つめる金色の眼差しがあった。

 

「弟達は皆上手く隠れてる。ここから早く離れよう。こっちに来て」


 当然ながら再会を喜ぶ時間は無い。バーニーが冷静な様子に切り替わり、私は必死で彼の後に続く。

 脱出経路については工事関係者が様子見に来ることを想定していたそうで、裏手の金網に予め穴が開けられていた。


 敷地を出て足を着いた途端に、ずっと浮ついていた感覚が体中を迸る。

 先程まで私が観ていたもの、立っていた場所がまるで幻のようで、背後に聳え立つ廃墟が実体として捉えられない。


 改めて思う。この街の有り様は異常であると。

 辺り一帯には舗装された道路が敷かれ、さほど遠くない場所に住宅地や商業施設だって立ち並んでいる。

 境界線はたった数メートルの距離しかない。絶対的な隔壁などは無く、向こう側の裁量によっては幾らでも一線を超える事だって出来る。

 人々が平穏な日常を過ごす傍で、私達は命をかけた逃走劇を演じていたのだ。

 私が見たものは、トウキョウに潜む闇の一端。恐らく、マコトさんも同じものを目にしている。

 

 兎に角、ここからもっと離れなければ。未だ命の保証はない。

 

 三人と合流した私達は近辺の駅を目指し、一先ず人気ひとけのある方向へ移動を始めた。


――――――――――――――――


「に げ ら れ た」

 シモタニ小学校の二階からマニカを見送る人間が一人。驚くべき事に、そのなりは極普通の一般的な服装、そして体格。何の変哲もない普通の少女である。

 否、見送るというよりは、捕らえ損ねた獲物を名残惜しく眺めているといった表現が正しい。

 腰まで伸びた焦茶色のウェーブヘア

を靡かせ、少女は背後に座り込む青年を見やった。

 青年は手元の端末を通して少女と会話を始める。


「今は追跡すべきじゃない。彼女の身体には、聖母と接触した痕跡があった。セオドリックの眷族も彼女に殺されている。影に潜む存在も侮れん。最悪の場合、僕は死んでいたかもしれない。傷を負った状態で深追いするのは避けた方がいい」

 頷く少女に対し、青年は頭を下げながら続けた。

「すまない、シンディー……。ブレント・ビーンランドを捕捉出来たのは君のお陰だというのに、肝心な所で僕が足を引っ張ってしまった」

 心疚しい様子で謝罪を行う青年に対し、シンディーは首を横に振る。

「時間と共に癒えるとはいえ、君の御両親にも傷が付いた。要因は全て僕の不手際にある。君は、僕を責め立てるべきだ」

 それでも尚、シンディーは同じ様に首を振った。

 青年の口からはそれ以上の言葉が出ない。

「も く て き」

「……」

「たっ せ い し て る」

 単語を繋げただけの不自然な話し言葉でありながらも、歪な声調の中にはシンディーの優しさが込められていた。

 青年が返事をしようとした矢先、シンディーは何かに気付いたような素振りを見せる。

 彼女は耳に備え付けられた知覚能力補強機器を調整し、辺り一帯をくまなく見回した。

「……ね こ?」

「どうした」

「こっ ち を み て る」

「透過しているのか……位置を示してくれ」

「あっ ち」

 青年は顔を上げず、肩に力を加えることも無く、体を揺らしながらゆっくりと立ち上がる。シンディーが指を差した瞬間、彼の左半身が筋肉によって膨れ上がり、別人の様に逞しい体格を形成した。

 筋骨隆々と化した左脚は身の丈程もある西洋剣を軽々しく蹴り上げる。

 青年はそれを左手で掴み取り、姿の見えない標的に向けて容赦の無い投擲を行う。


 槍投げの要領で放たれた刀刃は回転しながら空を切り、深々と壁面に突き刺さった。

 切っ先に浴びた返り血が、純銀の刀身に染み入っていく。


「浅い……まだ機能している。僕はセオドリックから嗅覚を借りて後を追う。シンディーは此処で待っていてくれ。それと、ブレント・ビーンランドの死体が消えた件に関しては……彼女に、直接聞いておくよ」

「りょ う か い」


 青年は身なりを整えると、薄ら笑いを浮かべた残像と共に闇の中へ消えていった。


//to be continued……

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