Drought ―干魃―

 目の前に広がる現実は、想定しうる最悪の状況そのものだった。

 

 何故だろうか、恐怖はあれど驚嘆と言うべきものはなく、不気味な程に冷静な自分がいる。

 私は、心のどこかで理解していたのかもしれない。

 既に境界を踏み越えているのだから、何が起きても不思議ではないということ、だからこそ、罪を背負う覚悟が必要だということを。


「興味深い。実に、興味深い」

 

 滑らかな挙動で振り払われた西洋剣は宙空に残像を形成しつつ、刀刃にこびり付いた鮮血を飛散させる。

 血飛沫は私を避けるように舞い散り、その一滴すらも体に触れる事は無かった。

 一連の動作を終え、舞い戻った切っ先が腹部と再び接触する。


「奴のようにはらわたを曝け出したく無ければ、両手を挙げ、質問に答えよ」


 彼が貫かれた時と同じ感触が先刻の光景を想起させた。その瞬間、横たわる黒い身体に焦点が合う。


 私は、無意識の内に目を逸らしていたのだろう。自らにとって、それが最善だと理解していた筈なのに。


 全身から血の気が引いていくのが分かる。

 頭の中に霞がかかった。

 だめだ。今、思考を止めてはいけない。

 これまでもそうだった。天運に身を任せて、救われる事なんて無い。

 既に学んだ筈だ。奮い立つ勇気は行動を起こし、冷静さは賢明な判断をもたらす。吹き荒ぶ嵐の中に行き先を見出すには、これらが必要不可欠なのだと。

「マニカお姉さん……!」

 私の中で波を立てていた水面が、バーニーの呼び声によって鎮まった。


 彼には考えがあるらしく、囁き声で作戦を伝えてくれる。


 僅かに顎を落として了解の意思を伝えると、耳元から気配が遠退いていく。

 バーニーの言う通り、仕掛けるなら今しかない。


 バーニー達を巻き込んだのは他でもない私なんだ。怯んでどうする。

 例えこの身が引き裂かれようと、せめて彼等だけでも無事に逃して見せる。

 

「結界の中を迷う事なく通過し、変異体と接触しても冷静さを欠かないとは……一体何者だ」

「……」

 今の私に声は出せず、下手に手を動かす事ははばかれる。

 私は、返答の代わりに首を横に振った。


「寛容さに自信はあるが、私をあまり試さない方が良い。これは忠告だ」

「脅しているつもり?」

「……」

「貴方のほうこそ、何者なの?」

 声には出していない。これはあくまでも動きだけ。


「……?」

「どうして彼を殺したの?」

「……」

「どうして……私のことは彼みたいに殺さないの?」

「……」

「ねぇ、私が何を言っているのか分かるなら……答えてよ。どうして彼を殺したの?」

「……何を言おうとしている?」

 内容が伝わったのかどうか定かでは無いけど、重要なのはそこじゃ無い。

 足下に残されているのは、携帯端末だけ。

 注意を引き付ける事には成功した。


「いや……待て。もう一度口を開けろ」

「……?」

「舌に模様が見えた。それはなんだ」

「……!」

「……術印か……?」

「……」

「早く口を開けろ‼︎」


 今までになく強い口調だった。この感じ、抵抗すべきじゃない。


 指示に従った途端、私の顎は鷲掴みにされた。ほんの一瞬の内に、目の前が白い仮面で一杯になる。


「……想定以上の高等術式。舌に留まらず、喉の奥まで続いている。しかしこれは……」

「……っ」

「間違いない。聖者の刻印」

「……?」

「聖母と……接触したというのか」


 聖母……?

 こいつは一体、何を言ってるの……?


「ふふ……やはり、この街は良い。歪んでいる。故に引き寄せられるのか、誘蛾灯の如く」

「……!」

 今、目が合った。

 揺らぐ視界の端で、金色の虹彩が仄かに煌めいている。

 バーニーだ。


 奴は舌の模様に気を取られて、首筋の影から出現したバーニーに気が付いていない。

 伸ばされた彼の手に握られているのは、私が落とした高電圧スタンガンだ。


「ぐおおお!」

 青白い閃光と共に叫び声が散った。手の力が緩まり、仮面の男が体制を崩す。

「マニカお姉さん、逃げて! 外で弟達が待ってる! 僕は影を伝って追いかけるから!」

 頷いた私は一目散に走り出した。


 道は分からないけど、下の階層へ降りれば良い。階段を見つけさえすれば……。


「み つ け た」

「……!」


 声がした。女の子の声だった。

 無意識の内に私の足は止まっていた。

 

 視界の中に違和感が生じる。

 窓から差し込んだ街明かりが一つ、潰されていた。何かが蓋をするように、壁面に沿って覆い被さっている。

 それは廊下の曲がり角へと続き、伸びた先から二つの巨大な眼球が私を睨んでいた。

 

 よく見ると、伸びているのは筋繊維のようで……壁面にあるものは手。角から覗くそれは、顔だった。人の顔に見えた。


 半分が赤っぽくて、もう半分が青みがかっていて、筋肉が剥き出しになっているような……。


「つ か ま え て」

 また女の子の声だ。一体どこから……。

 いや、考えている暇はない。手が迫ってきている……!


「こっちに来て、マニカお姉さん!」


 後ろからバーニーの声が聞こえた。

 後方へ咄嗟に飛び退いた途端、風圧が足を撫でる。

 空を切った巨大な指先が、勢い余って壁面に突き刺さっていくのが見えた。


「Ooooh……!」


 これは呻き声だろうか。

 よく見ると、巨大な顔は片手で覆われ、悶えるように震えていた。いや、覆っているというより、何かを振り払おうとしている。

 

「あいつの目を潰した! 今のうちに逃げよう!」


 私の影から這い出たバーニーが廊下の奥を指差した。光を浴びた彼の顔には、生々しい返り血の跡。

「……!」

 胸の奥に突き刺さった感傷を噛み殺し、私は指差す方向へ走り出した。


「これ、携帯持って来たよ。それと、アイツの正体を探ろうとしたけど、全然仮面が剥がれなかった。代わりと言っちゃ何だけど……」

 バーニーはそう言うと足下に潜り、肩に形成された影から右手を出す。

 小さな握り拳にぶら下がっているのは、艶やかで高級感溢れる革靴だった。

「最初は剣を待っていこうとしたけど、重くて引き摺り込めなかったから、靴にした。何か手掛かりになるといいんだけど」

 切迫した状況下でも、バーニーは冷静さを崩さず、抜け目ない。


 頼もしいと感じる程に後悔の念が大きくなっていく。どれだけ親しい仲であっても、善意からくる行動であったとしても、危険な事に巻き込んでいい理由はない。此処には、一人で来るべきだった。


 私の思いを知ってか知らずか、状況は更に悪くなる。

 逃げた先の階段を駆け降り、漸く一階の廊下が見えてきた矢先、新たな障害が行手を阻んだ。


 天井が崩壊し、液体が飛び散るような不快音が轟音に紛れ込む。

 携帯端末の光をかざすと、何らかの光沢がそれを反射した。

 砂煙が晴れた頃、私はそれが、既視感のある黒いたてがみだと気付いた。


「マニカお姉さん、これって……」


 バーニーが言いたい事は理解出来る。落下してきたのは、ブレントさんだ。でも様子がおかしい。さっき顔を合わせた時、敵意は感じなかった。

 何より彼は、殺された筈では……?


 赤く染まった瞳や、血管が浮き上がった皮膚、にじり寄る足取り。牙を剥き出しにする口元。先ほどの理性は感じない。

 足下に水が溜まって来た。どんどん水位が上がっている。

 もう迷っている暇はない。


[バーニーなら、二階の窓から逃げられる?]

「大丈夫だけど、どうしてそんな……お姉さんを、見捨てろってこと?」

[違うよ。彼を退ける方法を思い付いたのだけど、バーニーにも危険が及ぶから。巻き込みたくないの]

「本当に? 僕、嘘は嫌だよ。そんな嘘、絶対嫌だ」

[大丈夫。この前ベティが、遊園地に行きたいって話してたでしょ。実は内緒で準備してたの]

 お金を稼ぐために色々とバイト先を探した。少し大変だったけど、彼ら四人兄妹の苦労に比べたら大したことは無い。

 影に潜んだノームとしてじゃなく、普通の姿で、四人と楽しい思い出を作りたい。

[みんなで行くの、楽しみにしてたんだ]

 バーニーの目を見つめながら私は微笑んだ。彼は不安げな表情をしながらも頷いてくれる。

「……わかった。絶対、約束だよ。僕は信じてるから……みんなで待ってる」

 私の肩から壁面の影を伝う事で、バーニーは二階へと上がっていった。

 直後に海中へと引き摺り込まれ、私は再びブレントさんと対峙する。


 かつて私を飲み込んだあの砂漠が怪鳥の飢餓を顕現したものならば、彼の作り出す海底は何を意味するものなのだろう。

 穏やかだった海面が、今ではうねり暴れる大蛇のように荒れ狂っていた。

 まるで、今まさに襲い掛かろうとするブレント・ビーンランドの姿そのものだ。


 マコトさんを想い、私に警告をする事で逃がそうとした面影はない。

 思い返してみると、二階へ上がった時からの記憶は殆どなく、気が付くと私は沈んでいた。

 今は一度目と違って、景色の変化を明確に認識出来ている。

 この急変の原因は何か。

 考えられるのは、あの男の仕業か。


 無抵抗のまま思考を巡らす合間に、彼の尾が私を囲うように動き出す。

 逃げ場は既になく、瞬く間に私は締め付けられた。

 元より、私はその場から動くつもりなど無かった。


「Grrrrr……」


 ブレントさんは唸り声を上げながら口を開け、異様なほど鋭利に尖った歯を剥き出しにする。目と鼻の先まで彼の口内が迫ってくる。


 私は、目を閉じた。

 

 危機的状況に反して、私を包み込む世界が想像以上に静かな事に驚く。

 鼓膜を打つ波の音色が、急かすように私の背中を押した。


 静かに深呼吸を済まし、私は喉の奥から息を吐く。


 神様、どうかお許し下さい。

 

「……安心して、ブレントさん。指輪は私が届けます。マコトさんには、私から伝えておきます」

「……」

「彼女は今も元気です。だから、もう苦しまないで」

「……!」

「おやすみなさい」


//to be continued……

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