Encounter―邂逅―

 沈んでいく。

 奥へ、上へ、水泡が離れ行く。

 私は、沈んでいる。


 平衡感覚が浮遊感に酔う。目蓋が上手く持ち上がらない。手を伸ばしても、頭上を明るむ光源は遠のくばかり。

 ああ、足が着いた。爪先が海底に触れているのが分かる。 


 此処が何処で、どうして此処に居るのか。思い出す事が出来ない。

 相反して体の奥底から溢れ出す懐かしさ、そして恐怖。私はこの現象を知っていた。

 体が覚えていたんだ。砂漠を彷徨ったあの時の感覚を。


 とにかく今は歩くしかない。きっと解決の糸口となるものが見つかる。

 そう意を決して一歩踏み出した途端、私は人とすれ違ってしまった。


 見覚えのある後ろ姿だと思ったけれど、この人は、マコトさんだ。間違いない。


 更に、彼女と向かい合うように暗がりから出てきたのは、眼鏡をかけた白人男性。

 彼は確か……そうだ、彼こそがブレント・ビーンランド。


 二人は何らかの言葉を交わして笑う。内容は分からないけど、楽しげな仕草や口の動きを見ていると、何故だか私も釣られそうになる。


 そんな二人を囲い込む舞台背景は既視感のあるものばかり。恐らく大学の敷地内と思われる。

 これは彼の記憶が呼び起こした光景なのか。彼の大切な思い出なのだろうか。

 会話の最後は必ず、マコトさんの笑顔で終わっていた。


 しかし、遥か彼方から不気味なサイレンが押し寄せ、平穏な空気は瞬く間に掻き乱される。

 混じる悲鳴、助けを呼ぶ声。発しているのは主に女性だ。気味が悪い。


「現場にはブレント・ビーンランドと、あなたの名前が……」

 警察からの取り調べに対し、彼のアリバイを証明したのはマコトさんだったらしい。


 ふと、悪い噂が脳裏をよぎる。

「女を孕ませた挙句殺した。ブレントは狂ってる。あの爽やかな笑顔の裏で何を考えているんだか」

 私は陰口を真に受けない主義だが、凄惨な内容だったからか、これだけは耳の奥底にこびり付いて離れなかった。


 下げた視線を元に戻すと、眩い光線が海中を横切った。私の視界は白く染まる。

 白濁する視界の中、ぼんやりと浮かび上がったシルエットの中に骨董品のカメラが混じっていた。

 それを首から下げているのはブレントさんだ。


 当然ながら、撮影対象は私ではない。

 彼がシャッターを切るたび、泡にマコトさんの笑顔が反射した。

 幾度と無くフラッシュは焚かれ、私の周りは彼女の笑顔で溢れた。


「噂を知ってか知らずか、マコトの笑顔はいつも変わらない。可憐で、純粋で、無邪気で……僕の救いだった」


 囁き声は海中を厳かに渡り歩く。

 無情にも、彼の言葉は地響きによって押し潰されてしまう。

 海溝が二人と私を隔て、谷底から這い出た陰影がマコトさんに迫った。

「……!」

 恐怖が体を突き動かそうとした。しかし、私が走り出すよりも早く、辺り一帯は暗がりに埋め尽くされる。

 頭上の光源が遮られたと気付いた時には既に、私は陰りの中に捕らわれていた。


 巨大な物体が一つ、目の前に落下する。更に続いてもう一つ。

 その時初めて、私は頭上から迫る物体を認知する。

 

 しかし、降り注いだ鉄塊は体を掠める事すらなく、蹲った私を轟音で包み込むに留まった。


 奇跡的な回避。若しくは、鉄塊そのものが私を避けたのか。

 静寂が支配していた海底は変貌を遂げる。

 周辺を見渡すと、切り絵のように浮き彫りになった物体が一つ。


 扉だ。

 客船の一部と思われる断片に、不自然な存在感を醸し出す両開き扉がある。

 生い茂る植物に侵され、水滴一つ吸い込もうとしない乾いた木目。海中という舞台には余りにも不相応な状態だった。


 私は、迷うこと無く扉を押し開けた。


 空気が前後に入れ替わったことを肌で感じる。そこは海水に満たされた空間では無く、劣化したアスファルトと蔦植物に囲まれた空間。

 手を伸ばせば届く距離に月明かりが差し込んでいて、辛うじて状況を把握する事は出来る。


 まるで縁取りされたみたいに、そこから先はコールタールのような暗黒。指先が触れれば、第一関節から先が消えて無くなる。

 寧ろコールタールの方がマシだったかもしれない。そう思わせる程に、鼻につく異臭が集中力を削ぎ取っていく。


 そうだ……私はノームと共に、怪物の住処へと足を踏み入れた筈だ。


 建物内で姿を目撃していたノームですら、明確に位置を特定出来なかった理由が分かる。


 海中に誘い込む事で、通過出来る人間を選別しているのだろうか。

 だとすると、私は少なからず彼と面識があったから?

 或いは、マコトさんの携帯を持っていたからか……?


 何よりも、私の影に同化していたバーニーはどうなったのだろう。


 足元を見やると、私の影から小さな腕が新たに生えて、先端がサムズアップの形に変わった。

 良かった、彼も健在だ。


 抜け出した先がこの部屋だったという事は、間違いなくここに何かがある。調べなくては。

 予め、鞄の中からスタンガンと共に心構えを取り出しておく。


 深く息を吸って、私は携帯端末の光を前方にかざした。


「……ッッ!」

「…………Huuuu」


 暗闇を押しのけると、目の前には金色の眼光。そこに映り込むボブカットヘアーの女性。

 私の姿だ。

 続け様に見える、白くて、無数に並ぶ鋭利な刃。そこに付着した赤黒い液体。


 心の底からゾッとした。


 口元を両手で抑え込み、私は溢れそうになった叫声を必死に押し留める。


 これは……一体……。


「……wooo」


 私は反射的に後退した。

 一定の距離を保つように、怪物も月明かりの中へ侵入してくる。


 足元を一瞬確認して、少しほっとする。爪先にぶつかったのは、手から落ちた端末とスタンガンだ。決して怪物の脚などでは無かった。


 しかし、身を守る武装は手元から離れ、無防備な状態に変わりはない。

 今襲われれば、ひとたまりもない。


 瞬きもせず睨み合う私と怪物。

 両者共に膠着状態を崩そうとしないまま、暫し沈黙が続く。

 寧ろ、怪物が私の事を観察しているような気さえしてきた。

 敵意は無いということ……?

 この怪物がブレントさんなのか……?


「……マニカ……シナト……」


 鋸が微かに上下した。

 確かに今、名前を呟いたような……。


 呆然とする私の前に、ゆっくりと手が差し伸べられる。

 それが怪物の口から伸びてきたものだと気が付くまで、それなりに時間を要した。

 

 握り締められた青白い拳を見て、私はマコトさんとのやり取りを思い出す。

 ブレント・ビーンランドは、彼女に渡したい物があったと。

 

 恐る恐る片手を差し出すと、掌の上に綺麗な指輪が転がった。


 宝石に月明かりが染み込んで、蒼みを帯びた光が辺りに散らばる。

 宝石もそうだが、リングに刻まれた文字といい、細かな装飾といい、非常に美しい状態を保っている。

 

 これが……身を挺し、命を賭してまで、彼女に渡したかった物。

 金色の瞳を見返すと、彼は何処か憂いに満ちた眼差しを向けてくる。


 「頼んだよ」と言われた気がして、私は頷いた。

 すると、彼の手が角度を変えて、黒い液体が手の甲に滴り落ちる。


 Hand over


 液体はなんと、ローマ字を象った。

 見間違いとか、それらしい形とかではなく、明確に文字を表している。マコトさんが話していた現象と同じだ。

 

 何故、姿が変わってしまったのか、この指輪には、贈り物の他にどんな意味があったのか、もしマコトさんがこの場に居たら、彼は何を伝えただろうか……積もりに積もった想いを掻き消すように、液体は更に形を変えた。

 

 Run away


「……!」

 驚きのあまり目が見開く。

 次いで、湧き出す恐怖と焦燥感。

 腹部に感じる違和感がそれらに勝った。


 ぬ、濡れてる……。

 

 それだけじゃない。

 まるで、中世の騎士が腰から下げているような、鋭い切っ先が彼の体を貫いて、私の腹部に触れていた。


「創世結界の生成に加え、侵入前後の記憶障害まで引き起こすとは驚いた。ごく僅かとはいえ、神物の恩恵たるや実に侮り難い……」

 

 アスファルトに反射する男性の声は、不気味な程に穏やかで、強かで、凛然としている。

 何故か、えも言われぬ安心感が心中を満たそうとする。


「結界を解いたのは……君か」


 幕を上げるように黒いたてがみはなびき、横たわる肢体は月影に道を譲った。


 照らし出された白い仮面は、笑っていた。

 薄ら笑いを浮かべていた。


//to be continued……

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