There's no use crying over spilled milk. ―後悔先に立たず―EP2
「……ッ!」
「やぁ……リサク・アンダーソン。名前を聞いて思い出したよ。展示されていたアンタの作品は今でもよく覚えている」
「随分と、見違えたね……」
リサクは、コニーと思しき怪物と目を合わせながら扉を閉じた。
人間だった筈の生物は上半身を起こし、壁に寄りかかった姿勢で手元の端末を操作している。
「まあ……世の中、何が起こるか分からないもんだな」
「あの時、君を通報しておくべきだったかな」
言葉を返す間際に、コニーは残された左目でリサクを見返す。
コニーの側頭部は膨張しており、右目には眼球が無かった。
変形した頭部によって顔面の皮膚が後方に引き伸ばされている為、目蓋を完全に閉じる事すら出来ていない。
表情から意図を読み取ろうとするリサクであったが、それは到底不可能であると悟る。
「今では俺もそう思う。ま、その場凌ぎの嘘を突いてでも逃げ延びようとするだろうさ。関与している証拠はないって具合にさ」
「一体、何があったんだい」
「うまく説明出来る自信が無いな。はっきり言って、アンタとは大して親しくも無い。話したところで……信憑性ってやつは皆無じゃないか」
「それは僕が判断する事だ」
「……なるほど。初めて会った時もそうだ。俺は、アンタが怖かった。今はより一層不気味に思える」
「なぜ……?」
「今の俺なんかよりよっぽどさ。だって、さっきからアンタ、異様に冷静だぜ」
「……何を言う。今にも逃げ出したくて堪らない。もし、君が襲い掛かるような素振りを見せたなら、僕は悲鳴を上げながら部屋を飛び出していただろう」
「そうかい……?」
左目に掛かった頭髪の隙間から、コニーは思わせぶりな視線をリサクに投げかけた。
目線が合致したその時、コニーの背後で黒く細長い物体が蠢く。
リサクは即座に臨戦体制を取る。
彼の目付きは標的を飛び穿つ矢尻の如く、凛々しくも鋭利な眼差しへと変貌した。
〈Shyylylylyly……〉
不気味な音を立てながら、触手の全貌が徐々に露わとなる。
触手、と言うよりは寧ろ人骨に近い。構造も腕の骨と酷似している。
しかしながら、不自然極まりない挙動は体の一部というよりも、飼い慣らされた蛇のように独立した意思を感じさせる。
触手は唐突に動きを止め、一瞬の内に伸縮を行った。
コニーは新たな腕に向かって「見せつけてやれ」と指示を出したのだ。
〈crisp……crisp〉
リサクの頭上から異音が響き渡り、黒いビニールのような物体が降り注いだ。察し得たリサクはゆっくりと天井を見上げる。
先ず目に入ったのものは、人間の顔面だった。
瞳孔が見開いている様子からして、既に息はないとリサクは判別する。
そして、天井一面に張り巡らされた黒いゴムのような皮膜。それが遺体を固定していた。
コニーによって膜の一部が引き剥がされた為、遺体は無造作に転がり落ちてくる。
「君が、殺したのか?」
落ち着き払った口調でリサクは問い掛けた。
部屋の中央に落下した看護師の遺体を一瞥し、コニーは歪な顔面を不適に歪めた。不相応に整った白い前歯を剥き出しにし、彼は冷淡な声音で返答する。
「ああ、そうさ。殺した。俺が殺したんだ。このババアはな、羽虫だ。鬱陶しいから、黙らせた」
言葉の節々に自嘲的な笑みが含まれる。コニーは間髪入れずに続ける。
「なあ、リサク。今の俺に人権なんてない。なら、法は俺を裁くことだって出来ない……俺は罪には問われない。そうだろ?」
「……何故、僕は殺そうとしない」
明確な答えは口に出さず、リサクは質問に質問で応じた。
「馬鹿言うな。見舞いに来た知り合いを普通殺すか? それに、この部屋には監視カメラが無い。お前がいても別に問題ないんだよ。端末はこの女が持ってたやつで、解錠も通話も、外部への連絡もこいつで出来る。ま、気付かれるまで長くはないだろうが……必要な時間はまだ残されてる」
「ならば、手短に要件を済ませよう。君は一体、何者に、何をされたんだ」
「……なあ、リサク。知りたくて堪らないって感じだな」
「……」
「まあいいや。俺はありのままを話すぞ。先ず何者かだが……ブギーマンって知ってるか?」
「噂を耳にした事はある」
ブギーマンは、巷を騒がす正義の執行人、若しくは見境なく人を襲う通り魔、闇夜に紛れ、トウキョウを徘徊する怪人。全てが一つの存在を指している。
多くの者がブギーマンを語った。しかし、言及された外見的特徴も、行動原理も何一つ一致していない。だが確実に存在はしている。被害者が後を立たないからだ。
「マスクじゃなかった。俺が見た奴は、フルフェイスヘルメットだった。目的は分からないが、何故か、俺だけは喋れる状態で逃してくれたんだ」
「他の被害者は?」
「クリフは脳をやられたらしい。植物状態だってさ……。なあ、リサクはどう思う? 俺だけが、どうして……なんでだ」
「存在を知らしめるために、敢えて一人残したとか。君は偶然選ばれた」
「そうかもな。何にせよ俺は、贖罪の機会を得たんだ。法に背いた罰を甘んじて受けようと、覚悟していたんだよ。だってのにこの有様だ。俺は、俺はな、もう人間じゃない。人間扱いされていないんだ。この姿じゃ当然だ。被験体のモルモットに同情する馬鹿はいないだろ? 俺も、同じさ。遂には、正式な裁きすら俺には贅沢なんだと、国は俺にそう言ったんだ」
「同情する」
「口だけだっ!! 澄ました顔しやがって!」
「落ち着いてくれコニー。冷静になるんだ。何故そうなったのか、必ず何処かに答えはある」
「思い当たる節ならある。最後の客だよ。俺がこうなったのは、多分あの女のせいだ。それしか考えられない」
「女……?」
「多分、あの薬をやってた。クソッタレのジャンキーさ。俺に、薬をよこせと脅してきやがった。俺は……売ってねぇっての! しょうがねぇからクリフのとこまで案内したんだが……クリフだけじゃなくて、既に奴が居たんだよ。ブギーマンがよ」
「……修羅場だな」
「そん時だ。女に
リサクの返答を待たず、コニーは新たな腕を用いて上着を破り捨てる。
「……一体、それは」
形容し難い光景を前に、リサクは口を閉じた。
コニーの首筋から背面にかけて、人間の顔が、背骨を押し上げるように隆起している。
皮膚下に潜んだ顔は、言葉を発していた。聞こえはせずとも、口元が動いていたのだ。
肩の皮膚を貫く黒い人骨は、この異形の頭部と繋がっているように見える。
鬱血と変色により、コニーの背面全体は黒く、腫れ上がった皮膚のように凹凸が形成されている。
(無数の縫合跡は担当医が工夫を凝らした証拠だろう。現実は残酷にも、努力に適った結果をもたらさなかったという事か)
リサクは片手で口元を抑えた。
気分の悪化に伴う行動ではない。それらしい表情や感性を取り繕う為の、いわば演技の一環である。
「気付いたかい? 四六時中聞こえるんだぜ、女の声が」
「よく耐えてきたね」
「ま、それも今日までさ。丁度いい。手伝ってくれよ、リサク」
「何をだ」
「簡単な事さ。死体を退けて、ベッドを窓際まで寄せてくれないか。鍵も開けてくれると助かる。この腕は、細かい動きが出来なくてね」
「投身自殺でもするのか。その手伝いをしろと?」
「ははは、ご名答さ。初めて会った時もそうだったな。何でもお見通しじゃないか」
「そんな事はないさ。今も一つ、君に尋ねようとしていたところだ。君は恐らく、いとも容易く人を殺せる。躊躇いもなく、たとえ女子供だろうと。何故ここで命を断とうとする? 自由を得るために殺し、逃げればいい……まあ、それでも手伝えと言うなら構わないが」
「……なあリサク。お前が一体何者なのかよく知らないが、俺はな、生きるなら、普通の生活がしたかったんだよ。まあ、自業自得だよな、分かってる。だから自分でケリをつけたいんだ。このままじゃ俺は、実験動物として一生を終えちまう。親と顔を合わせる事すらできない。ならせめて、最後は自分の愚かさと共に、コニー・オルコットの名を世界に知らしめて死んでやりたい」
「……そうか」
リサクは笑った。屈託のない、温かみのある笑みだった。
あまりにも意外な表情に、コニーは暫し呆気に取られる。
「君の決意に、異議を唱えるつもりはない。だが、もう一つ、新たな選択肢を君に与えたい」
コニーの指示に従い、ベッドごと窓際まで動かしたリサクは、コニーの肩に手を置いてそう言った。
「なんだよ、新たな選択肢って……」
「敢えて分かりやすく表現するなら、生きる意味……かな」
* * *
「オイ誰か! 警察を呼べ!」
「窓から人が落ちたんだ……」
「あの格好、入院している患者じゃないのか」
「一体どうして」
「どうなってるんだよ、あの背中」
「なんの病気だったんだ……」
「例の患者じゃないのか⁈ 拘束具は? それに監視していた筈だろ!」
「FBIに連絡しますか」
「その前に警察を……いや、野次馬をどうにかしないと!」
混沌の最中、線の細い男性が自動ドアを通過する。
「退いて下さい!」
歩道に足を乗せた途端、病院関係者が切迫した様子で通りがかった。
男性は鮮やかな足取りで身を交わし、道を譲る。
敷地の外へ向かう途中、男性は騒動の渦中に目線を配る。
人集りの隙間から、垣間見えたのは倒れ込んだ人間の姿。そして生々しい血飛沫の跡。
落下地点の周囲に生えている
端麗な容姿と可憐な面持ちを崩す事なく、彼は意味深な笑みを浮かべた。
喧騒は彼の笑い声を包み込み、水泡の如く消し去っていく。
瞬く間に表情を捨て去った男性は、冷徹な面持ちでその場を後にした。
騒ぎは遠のき、普遍的に存在する生活音が日常と共に戻りつつある。
歩道を前にして車が一台通過し、着信が走行音に紛れた。
気が付いた男性は徐に携帯端末を取り出す。
「もしもし……。そうか、補足したか。分かった。セオドリックと合流したら直ぐに向かう。私に任せてくれ……」
//to be continued……
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