There's no use crying over spilled milk. ―後悔先に立たず―EP1

(誰しも一度は経験した事があるんじゃないか? 後悔する暇も無い状況ってやつ。必要なのは現状を打破する為に頭を回転させることなんだ、分かってる……ああ、もう、何もかもおしまいだ)


 コニーはぼやけた視界を掻き分けるように目を凝らす。

 地面が左に、空が右にあり、前方の壁面には蠢く巨大な人影。


 人型を成したシルエットが縮み、そして伸びる。

 更に陰影が縮む。全体が緩急を付けてしなり、そしてまた伸びる。


 誰かが誰かを殴打している、ように見える。ならば、左前方に鎮座する物体は何か。

 弾力性を感じさせる質感からして、これは山積みになったソーセージだろうとコニーは考える。一方で、此処は路地裏なのでそんな筈は無いと理性が否定する。


 記憶を辿ることで自ずと答えは導き出された。異形と化した生物の亡骸、元は人間だったはずだ。


 コニーは悟る。此処はトウキョウではない、地獄であると。

 

「ウゥッ! グフッ!!」


 呻き声を上げているのはコニーの悪友、クリフである。起き上がることができないコニーは、状況を確認すべく体を引きずった。


 体勢を変える過程で頭部を持ち上げると、視界上部から赤い液体が流れ込むと共に、白い球体が突如として姿を現した。

 明確に判別出来ないものの、球体には紐のような物が随伴している。

 得体の知れない物体は更に回転し、コニーはそれと視線を交わす。


 球体の正体は、人間の眼球であった。


 見覚えのある虹彩が、コニーの脳裏に見知った顔を思い起こさせる。

「う、うぁあ……」


 コニーが狼狽している合間に、眼球は視界の外に転がり去って行った。代わりに、何者かの足が空を貫き、上下に視界を分断する。

 徐々にコニーの体が持ち上がり、彼を取り巻く世界には天変地異が生じた。


 空は上に、地面は下に、目の前には、鮮血で赤く染まったフルフェイスヘルメット。

 首根っこを掴み上げられたコニーに抵抗する気力などなく、両腕は糸の切れたマリオネットのように垂れ下がっている。


「な……なんで、こんなこと」

 コニーは精一杯振り絞った声で問いかけた。

 ヘルメットを被った男は、まるで鉈に付着した血錆を削ぎ落とすかのような声で返答する。

「咎を負った俗物から腐敗の芽を摘んでいる……お前も服用者か?」

「ち、違う! ただ、分け前が欲しくて……売るのを手伝ってた。俺は、売人側だ」

「……理解しただろう。生き地獄を味わいたく無ければ手を引け。二度と関わるな」

「っ! ぐっ、うあああ!」

 会話の最中、激痛がコニーを襲う。

 徐々に両腕の感覚が失われていく。あまりの痛みに意識までも失い掛け、コニーは足先から崩れ落ちた。


 頭部がアスファルトに接触するまでの間、コニーは光を放つ白線を目で追う。

 頭部が地面に衝突し、滲み出る激痛と暫しの沈黙を経て、徐々に焦点が合わさっていく。

 やがて、ぼやけた視界の先に発光体が出現した。

 それはコニーの携帯端末だった。

 

「もしも……返事をしてくだ……か?」

 微かに音声が流れ出ている。通話が繋がっていたのだ。

 コニーは、藁にもすがる思いで助けを求めた。


「た……たす……け……」

 

 発した声は体の中で反響を繰り返した。どれだけ振り絞ろうと外には出ない。次第に意識の有無すらあやふやになる。

 相反して聡明に描き出された光景は、悲壮と悔恨の記憶だった。


(違法薬物の集客係を担ったことが誤りだった。単なる小遣い稼ぎの為、たったそれだけの目的だった。ほんの少し得をしようとした。他にこれといった動機はなかった。自分は使わないし、手に取る事も無ければ、実物を見たことすら無かった。自分だけは、安全だと思っていたんだ)


 精神の奥底に吸い込まれ、コニーは深い眠りにつく。



――

―――Three weeks later―――

             ――

              ―



 線の細い男性が軽やかな足取りで自動ドアを通過する。

 足を踏み入れて間も無く、男性は車椅子を押す女性とすれ違う。

 道を譲りながら爽やかに挨拶を交わす姿は、絵に描いたように凛々しくも奥ゆかしい。

 繊美なる一挙一動と端麗な容姿の裏で、男性の思考は行動と相容れぬ方向へ巡る。


 彼は、とある男との会話を思い出していた。この街に根を張る別勢力の情報を収集すべく、関与のある人間と接触を図っていた時の事だ。

 男はこう語っていた。

「快楽に浸る為のものじゃない。可能性の扉を開ける鍵だ。それを手頃な価格で売ってくれる奴を知ってる。みんな、生まれ変われるんだ。なんで知ってるかって? 見てきたからさ」

 この後、男はチェスター・オルコットと名乗った。


「すみません。Mr.オルコットの見舞いに来たのですが」

 トウキョウ病院の受付窓口に、清流のせせらぎと思しき美声が流れた。

 発したのは一人の来院者である。

 受付担当のアラーナは手元のモニターから目線をはずし、そそくさと顔を上げる。

「……」

 胸を透き通すかのような眼差しにアラーナは言葉を詰まらせた。

 両目には宝石、白銀の大地のような肌、艶やかな漆塗りの頭髪、整然とした顔立ち。

 容姿端麗な青年が、アラーナに対し揺るがぬ視線を向けている。

「コニー・オルコット様の、御学友ですか?」

「その通り。彼に会いたいんだが、どうかな?」

「お名前を伺っても?」

「リサク・アンダーソンだ」

「少々お待ち下さい」

 耳に装着した通信用端末を起動し、アラーナは確認を取る。リサクはそれとなく待機する素振りを見せつつ、集中力を高め始めた。

 人間では到底聞き取ることの出来ない微細な空気振動を、リサクは研ぎ澄まされた聴覚によって拾い上げる。

「彼は本土の研究機関に移送する事になっている。昨晩の騒ぎを知らないのか? 悪いが、会わせる事は出来ない。容態が悪化していると伝えて欲しい……」

「わかりました……申し訳ありません、リサク・アンダーソン様。コニー・オルコット様の容態が悪化しておりまして、面会は日を改めて頂けますか?」

 アラーナはリサクに向き直り、神妙な面持ちでそう言った。

「そうですか……」

 リサクは肩を落とし落ち込んだ様子を見せる。

 気の毒に感じるアラーナだったが、これ以上の関与はできないことを彼女は自覚していた。

「本当に、駄目なんですか?」

 リサクは言葉だけでなく、誠実な眼差しでもってアラーナに訴えかけた。

「ええ、申し訳ありません……」

「……どうしても?」

 カウンターに置かれたアラーナの右手に、仄かな温もりと金属物質特有の触感が伝う。

「!」

 反射的に下げた視線の先で、覆い被さっていたのはリサクの左手であった。

 リサクは、左手の中指に指輪をしていた。高尚な光を放つ純銀の指輪だ。


 彼女の焦点が反射光に合わさり、アラーナは自らと顔を見合わせる。


「……っ……あ、あの」

「……部屋の番号を、教えてほしい」

 リサクが囁くように問いかけた。

 アラーナは浮ついた声で要求に応じる。

「あ……え、と……さ、三階の、103号室……です」

 望み通りの返答に満足したリサクは、口角を優しく吊り上げながら、彼女の名札に一瞥をくれた。

「ありがとう、Ms.アラーナ・カルバート」

 妖艶な声音で謝辞を述べ、リサクは滑らかに踵を返す。

 アラーナは瞬きもせず、茫然としたままリサクの後ろ姿を見つめている。


「さ……さんかい、いち、まる……」

 アラーナの眼球が小刻みに脈動し、動悸が加速していく。

 瞳に焼き付いたリサクの面影に向かって、彼女は呪文のように部屋の番号を唱え始めた。

「三階の、103号室……三階の、103号室……三階の、103号室……三階の、103号室……」


 颯爽とエレベーターに乗り込んだリサクは三階へのボタンを押す。

 扉の開閉に合わせて、彼は囁き声で呟く。

「いい手際だったよ、セオドリック」

 労いの言葉を捧げたリサクはそっと瞼を降ろした。

 

 外界との干渉を閉ざし、辺り一帯は無音と化す。目に見えない壁がリサクと現世を隔てる。


 リサクは、目蓋の裏に虚空を浮かべた。仄暗い世界に浮かび上がる言葉は父と等しい恩人の言葉、すなわち、彼にとっての啓示である。

(奴は欲に付け入る猛毒、それでいて用心深く狡猾である。当然だが、逸脱した存在故に下賤の衆には認知されず、本来ならば痕跡は残らない。つまり、此度の案件には、我々ですら未だ特定し得ないイレギュラーが関与しているという事だ。探り出さねばなるまい)

「……」

 持ち上がった瞼の隙間から、常人とは比類にならぬほどの強固な意思が蠢く。

(あのお方は、私に選択の自由を与えて下さった。信頼に応えねばなるまい)


 電子音声が三階への到達を知らせ、温い空気が頬を撫でた。

 廊下に足を踏み入れると、リサクは禍々しい空気の淀みを感じ取る。

 

 ごく僅かな雰囲気の違いでしかないのだが、彼にとっては慣れ親しんだ感覚だった。故に油断は出来ない。


 103号室の前に辿り着いたリサクは

ノックをしようと手を伸ばす。

 しかし、手の甲が扉に触れた瞬間、リサクは動きを止めた。


(微かだが、異臭がする……)


 一歩後退り、視野を広げたところでリサクは更なる異変に気が付く。

 電子ロックが施錠されたままなのだ。

(部屋の入り口には重病患者の表記……病室の施錠は、脱走や徘徊の防止が必要な場合に取られる処置だが、例の暴行事件の被害者は手足を粉砕骨折し、背骨を損傷している。他に理由があるのか)


 一瞬の黙考を経て、再びリサクは腕を伸ばした。彼の所作に躊躇いはなく、恐怖もない。


 荒涼とした音が鳴る。リサクは暫し返答を待つ。

 情報が確かならば、コニーは腕を上げる事すらままならない状態である。

 閉鎖された病室でたった一人、とは考え難い。


〈Vizzy……〉

「……誰だ、お前」


 ノイズを掻き分け、スピーカーから酷く濁った音声が発せられた。


「コニー……なのかい?」

「……だから、誰だよお前」


 リサクは目を細めた。再び発せられた異音に、彼は自身の耳を疑う。もはや人間が発したものと仮定する事すら痴がましい程の不快音だった。

 水気を含んだ発声も酷く耳障りだが、それが言語学に則って聞こえてくるという事実が何よりも受け入れ難い。

(まるで、猛獣が獲物を誘き出す為に人間の声音を真似ているかのような……)

「もし、貴方がコニー・オルコットならば分かるはずだ。僕はリサク・アンダーソン。展覧会で共に語り合った仲じゃないか」

「……」

「今日は見舞いにきた。顔を見て話がしたい」

「……」

「扉を開けてくれないか」

「……」


 返答はなく、浮ついた駆動音が代わって要求に応じる。

「……ありがとう」

 電子ロックの施錠が解かれ、リサクは慎重に扉を開けた。


//to be continue……

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