The banshee mourns and cry. ―嘆きの妖精は憂い、泣く―

「幸せは必ず訪れる」

 私が好きな、カキツバタの花言葉。

 見惚れていると、隣のプランターから感じる視線。

 仄かに赤みを帯びた一輪のガーベラが、私を勇気付けるように微笑みかけてくれていた。

「ありがとう……」

 偶然による産物なのか、或いは底知れぬ悪意の表れなのか、はたまた死神が私に取り憑いたのか。

 生まれ付き呪いを受けた私にとって、花は、神様が語りかける事を許してくれた存在。


 ガーデニング部に入って正解だった。こんなに素敵な出会いがあるだなんて。


 今は周りに人が居ないから、こうして穏やかな時間を過ごせている。

 勿論、役目は果たしているし、何よりも大切な用事がある。私は彼等と「会話」を楽しむ傍ら、友人の訪問を待っていた。


 作業を続けていると瞬く間に時間は過ぎ去り、庭園に射し込む陽光が次第に赤みを増していく。

 相変わらず、彼女から返事のメッセージは無い。庭園には私一人。音信不通になってから一週間以上は経つ。心配し過ぎだろうか……。


「こんにちは、シナトさん」

「……!」

 揺れ動く花弁を眺めていると、背後から私を呼びかける声が聞こえてくる。


[こんにちは、アンダーソンさん]

「やあ、シナトさん。悪いね、ニッタさんじゃなくて」


 彼はリサク・アンダーソン。米国本土の有名私立大学から、去年カントウ中央大学に転入して以来、美術部の活動を通して様々な賞を受賞している。

 アンダーソンさんは眉目秀麗で天才だと専らの評判だけど、彼は功績を鼻にかける事もなく、私みたいな変わり者にも、こうして気兼ねなく接してくれる。


[そんなことないですよ。今日もお花の観察ですか?]

「いいや、スケッチブックとキャンバスは置いてきた。何を隠そう、君と話がしたくてね。実は、マコト・ニッタさんについて、少し調べて来たんだ」

[本当ですか?]

「ああ……。写真部にも顔を出していないようだし、講義にすら参加していないらしい。連絡が途絶えているのは君だけじゃないそうだ……」


 スムーズに会話が出来ない私に代わって、彼はマコトさんの知り合いを自ら進んで尋ねてきてくれたという。

 なんて紳士的で素敵な御厚意だろうか。


[すみません、お気遣いありがとうございます]

 こういう時、機会音声ってどうしても無機質な雰囲気になってしまうから、私は感謝の気持ちを笑顔に込めた。


 視線が交じり合い、目と目が合う。


 彼と? そうかもしれない。でも違う。見つめ合っているのは、私と私。

 波一つ立たない碧眼の水面に、私が反射していた。鮮麗せんれいな色合いと澄み切った瞳はまるで湖のようで、本当に美しい……。


 ふと、我に返って気が付く。

 彼に見惚れていた自分に、二人きりの庭園で、私がアンダーソンさんと見つめ合っていたということに。

「礼には及ばないよ。そ、それじゃ、僕は作業に戻るね」

 顔を赤くしながら、アンダーソンさんは踵を返す。私は彼の背中に向けて小さく手を振った。

 何だか、私の顔も赤くなっている気がする。


「……」


 ぼんやりとした思考を切り替える為に私はかぶりを振った。そのかたわらで、お花達が何やら色めき立っている気がするけれど、それは多分気のせい……。


 今日の帰り、マコトさんに会いに行こう。確証は無いけど、嫌な胸騒ぎがする。


 マコトさんとの交友関係はまだ日が浅いものの、彼女は私の境遇に理解を示してくれる数少ない友人だった。

 どんな些細な事でもいい。困っている事があるならば、彼女の力になりたい。


 マコトさんは兄弟とのルームシェアをやめて、一人暮らしを始めたと言っていた。住所は聞いていたけれど、馴染みのない場所だ。


 私は普段と違う駅で乗り換えを行い、迷路のような地下鉄を抜けて見慣れぬ大通りを横断した。

 喧騒が少しずつ遠のき、やがて網目状に張り巡らされた住宅地に差し掛かる。

 そこで何気なく踏み入れた細道は風の通り道だった。向かい風が初夏とコンクリートの臭いを運び込んでくる。


 細道から三角形の日陰を脱すると、見えてきたのは黄色と青を基調にデザインされた新築アパート……の筈だけど、真っ赤な夕陽が壁面を変色させているものだから、遠目からだとイマイチ自信が沸いてこない。


 思い切って部屋番号を一つ一つ確認してみる。

(105号室……あった)

 二階の階段側から二つ目、105号室の表札は[Nitta]。間違いない。


 マコトさんの新しい自宅を訪れたのは初めて。

 理由は分からないけど、微かな緊張と躊躇いがインターホンに添えた指先に宿る。

 

 押し込んでから暫くしても反応は無い。沈黙が夕暮れの木漏れ日に霧消し、居ても立っても居られない感覚が足元をすくう。兎に角、彼女の部屋から生気が感じられなかった。

 もう一度、インターホンに向かって指先を伸ばす。


「……マニカ、さん?」


 ボタンと人差し指が接したその時、マイクからか細い声が聞こえて来た。

 

 私は咄嗟に手を止めて、道中買ってきたエクレアを鞄から取り出す。

 「一緒に食べよう」という意味を込めて、それをカメラに向かって掲げて見せた。

 一拍の間を置いてからチェーンの外れる音が聞こえ、まるで怯えるような挙動で扉は動き出す。

 僅かに開いた隙間から、赤黒く汚れた指先が生えた。


 不審に思い、意を決して中を覗き込むと、見慣れた虹彩が一室の暗闇を掻き分け、こちらの視線と焦点が合う。


 扉の前に立っていたのは、別人のようにやつれた姿のマコトさんだった。

 寧ろ、一目で彼女だと判別出来たことに、私は友人として安堵を覚える。

 一方で、私の心中を満たすものは再会の喜びなどでは無く、胸の奥をきつく締め付けるような哀しみと憐憫だった。


 どんな言葉を掛けるべきかも思い浮かばず、端末に手を伸ばす事もできず

、気がつくと私は、彼女を優しく抱き締めていた。


 言葉にならない声を漏らし、目尻に涙を溜め込む彼女の姿を見れば、とてつもない災厄が降りかかったのだろうという事は想像に難くない。

 しかし、彼女の口から発せられた事件の詳細は、私の想像を大きく上回っていた。


「今でも、鳴り響いているの……あの携帯」

 私は寝室に案内され、マコトさんから一連の出来事について話を聞いた。

 死者からの電話、仮面を付けた殺人鬼、そして黒い怪物、助けを求めるメッセージ……。

 彼女は浴室の方を指差しながら、「彼がまだ助けを求めている」と言う。困惑した末に、携帯端末を浴槽に沈めたらしい。


「怖くて誰にも言えなくて、閉じこもってた……。頭がおかしいと思われるだろうって……。携帯を壊したり、他に捨てる方法もあったかもしれない。でも、もし、本当に電話主がブレントだったらと思うと……出来なかった。けど、他にどうする事もできなくて……」

 私は頷きながら彼女の話を聞く。驚く事はあっても、訝しむ事はなかった。私にも、経験があるから。それも一度や二度じゃなく、辟易する程だ。


 エクレアを一つマコトさんに差し出して、私は携帯端末に励ましの言葉を入力する。

[安心して。私が正体を突き止める。電話だってどうにかする。アテがあるの]

「……! ほんと……?」

[ホントのホント。約束する]

 マコトさんは唖然とした様子で私を見つめ返すと、そっとエクレアを受け取った。

[おいしい?]

「ん……美味しい……」

 小さな動きでゆっくりと噛み締めながら、彼女の口元が次第に緩む。

 久方ぶりの素朴な笑顔に安心し、漸く空気が和んだ。気が付くと、私も釣られて笑顔になっていた。


――――――――――――――――


「……それで、僕らに頼みって?」

 翌日、私はリバー・サイド・レジデンシャルに赴いた。

 トウキョウの一角に存在する自然公園と一体化した居住区。私のお気に入りの場所。

 オランダの首都、アムステルダムを彷彿とさせる水路に、煉瓦造りの建造物。そして辺りを彩る緑豊かな植物。

 ここは都会の喧騒から私を遠ざけてくれる。

 

[一緒に探して欲しい人がいるの。いや、もしかすると、人じゃないかもしれない]

「……詳しく聞かせて」

「お姉ちゃん、今日は何持って来てくれたの?」

「バーニーが話してるのよ。割り込んじゃダメ。それに、この前お土産貰ったばかりじゃない」

「そうだよ、マニカお姉ちゃんが、困ってるよ……」

 噴水の水音に紛れて話し声が聞こえる。でも姿は見えない。

 何処に居るのかは分かっている。

 私の足元、ベンチと一体化した私の陰影に、四人の小さな人影がある。

 背もたれの上に腰をかけた彼等の姿は、影の一部として明白に存在を証明していた。

 当然、ベンチに座っているのは私一人。今は何処にも実体が無い。


[大丈夫。今日もお土産持って来たから]

 私は端末に入力した文章を彼等に見せる。怪しまれる事がないよう、音声を出すのは極力避けていた。

「やったー!トランク・ピッツァだ!」

 影の中から伸びた腕が我先にと紙袋を漁り始めた。恐らくベンによるものだろう。彼は食べ物に関する事なら誰よりも早い。

「もー、ベンったら!みんなで分けなきゃ!あ、マニカお姉ちゃんありがとー!」

 そしてベティが彼を諌める。彼女は末っ子だがしっかり者だ。

「また、お返ししなくちゃね。今日は頼みごともあるんでしょう?」

 穏やかな口調で話すのは次男のベイジル。彼は控えめで大人しく、そして誰よりも心優しい。

「……いつもありがとう、マニカお姉さん。本当に助かるよ」

 落ち着いた口調で話すのは長男のバーニー。彼は年不相応な程に冷静沈着で、個性豊かな兄弟達を常に先導している。


 これが、『ノーム』と呼ばれる四ツ子の日常風景。

 彼等は私の友人であり、頼もしい協力者でもある。


「ところで話を戻すけど、人を……いや、怪物を探しているんだってね」

[怪物かどうかもよく分からない。でも、友達の知り合いで、大切な人なの。それは確かなこと]

「そっか……。ねぇ、お姉さん。こんな噂は知ってる? トウキョウには、海底から這い出した怨霊が彷徨っているって」

 私は首を横に振った。

 バーニーが間を置いて続ける。

「これはね、噂なんかじゃなくて、真実なんだ。僕ら四人は、街中を徘徊する怪物をこの目で見ている」

[本当に?]

「うん。初めは人間のようにも見えた……突然姿を変えたんだ。蛇みたいな、トカゲみたいな姿に。マニカお姉さんが探している人なのかどうか、まだ定かじゃない。でも、今思い立ったのは真っ先にアレだった」

[もしかして、黒かった?]

「暗かったから、ハッキリとは分からなかった。でも、黒かったと思うよ。見た限りはね」

 私は眉根を寄せた。不確定要素は多いけれど、多くの特徴が一致している。

 家族旅行の帰路で行方不明となったブレントさん。彼は海上で死亡したと考えられていた。

 そして、人の姿から変貌した黒い怪物。偶然とは思えない。理屈は分からないけど、可能性は大いにある。

[本当に、そうかもしれない。協力してくれる?]

「勿論。僕等はマニカお姉さんの味方だ。例えどんなに危険な事が起きても、僕達ノームはマニカお姉さんの為に何だってする」

「任せて!」

「手伝ったら、またお土産頂戴ね!」

「僕も、お兄さんと、同じ気持ちだよ」

[ありがとう、バーニー。みんな]

 こうして、私とノームは『黒い怪物』及び、ブレントさんの捜索を始めた。

 彼等は路地裏の暗闇に姿を移し、私に別れの挨拶を告げる。


 その瞬間、ふと、脳裏に浮かび上がったのは『仮面の殺人鬼』の存在。

 そうだ……ブレントさんの捜索で頭が一杯だった。

 本当に、マコトさんが偶々居合わせただけなのか。それとも、目的が共通していた?

 マコトさんはブレントさんを、殺人鬼は黒い怪物を。

 仮に、森林の中でグリズリーに出くわすような、偶発的な遭遇ではなく、それが明確な敵対存在だったとしたら……。


 ノーム達の後を追ったものの、既に彼等の痕跡はなかった。

 私の推論は憶測でしかないし、彼等が人並外れて用心深い事は良く知っている。考え過ぎだろうか……?

 この不安が単なる杞憂である事を願い、私は夕陽で照らされた日常と混ざり合った。


//to be continued……

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