交錯

 一升瓶の有機純米酢をもらったって、こんなに酸っぱい想いをすることはない。こんな真っ直ぐ、恥ずかしさ以外の何物でもない言い回しを使うほどなのだ。重さはそれ以上にあって、重量がどんな意味へ変成して自分の心情にぶつかってくるのか。育ちの良い、恵まれた家庭環境の小さな男の子が期待するクリスマスプレゼントよりも強い明白な約束として、愛情へ昇華されていない若い新鮮そのものの初めての体験として待ち受けられていたものは、ピザかホームベースでも収まっている白い正方形の化粧箱としてやってきて、貰った瞬間の嬉しさといったら、事を成す為にいく通りも仮想をして、事の初めまで実行を移すのだが、最初の一歩からまったく予期せぬ外れた筆致をするしかできない内気な人間の自分自身に対する不信感を、数十年かけて挑戦して初めて逆上がりに成功するちっぽけな成果を得たことで、不信こそまさしく不信でしかないと取り違えた認識を手に入れた瞬間の喜悦により、全身が周囲の空気を取り込んで爛爛とする程の人生体験をもたらす程だったからこそ、とある依怙地なプロレスラーのフィニッシュホールドよりも定まった形式のものとしてカーネーションに並ぶチョコレートは、若気の突っ走った恋の灼熱により備前焼よりも長い時間で焼成され、偏屈な作家による凝りに凝った意匠により臍を曲げた作品として形成されて、一つの森を飲み込んだ火災にあたっても灰にならずには済んだが、炭化した牛のレバーのような固まりとして成った黒いハートのプレゼントは、二月二十四日の人人の頑迷の集いの儀式にふさわしい形で自分の眼前に登場した。見た目と味は調和していて、裏切りを期待した自分こそ、その存在になったようだ。恥ずかしいもの、性に関する人間の生理現象に近い、何らかの物が場所柄をわきまえずにぽっと自分から生まれてしまい、冷や汗ときまりの悪さに溺れながら何とか隠し通す気分で必死に胃袋にその物をすべて詰めこみ、脂っこくてどうにも食べきれない大量の鶏の皮を持て余したように、皺だらけのビニール袋に入れて近くのコンビニエンスストアの可燃用のごみ箱へ向かい、ありもしない周囲の視線をとあるアニメーションに登場する百もある眼の妖怪に見張られた気分で、法に触れない犯罪者としてこそこそとくしゃくしゃにした白い箱を放り捨てた。ルイ・ヴィトンの財布、キーケース、ポロ・ラルフローレンの黒いカシミアのカーディガン、彼女の手作りによるチョコレートケーキは不細工だったが、既製品のプレゼントはスマートだった。そんな彼女は三人の男の子を育てている。もうあんなケーキは食べられない。


 ヴェンガーの腕時計が送られてきたのは別れてからだ。前の彼氏は社長だと言っていたから、洗練された物に精通していて、男の特徴をただちにつかんでしまい、操作するよりも持ち上げて喜ばそうとする善人に見受けられる気質で、旅行する自分にビクトリノックスの十徳ナイフを渡してきた。ありがちな言葉を写真につけてまとめた二人で遠出した思い出のアルバムは情感を揺する力を持っているからこそ手元に残しておかず、無口で役に立つ物こそ身の回りで長生きしている。そんな彼女に渡したものといえば、ラオスの民芸品として籐のような材質で編まれた小さな髪留めだが、はたしてどんな顔をしたのだろうか。彼女の価値基準を作り上げている製品図録の中に投じられたラオスの髪留めは、悪しき、憎き物としてすぐに除外されたのか、それとも様様なアイコンから作りあげられたブランドの概念の中で、思い出を薄水色の皮膜に守り、ページのうしろに小さく特殊な例として、何とか生き延びているのだろうか。


 あれはきなこ味の二十円のチョコだっただろうか。コンビニエンスストアでたいしことのない物を買う時、ふとレジカウンターの端に置かれた小さい編みかご(百円すとあデ大量ニ売ラレテイルヨウナ、ちょこガ五個集マッテ同ジ値札ニナル代物)に無造作に詰め込まれた、推し量られた意図ではなく、穴の空いた空間に空気が入り込むような自然の流れで、店員の気まぐれな商売意欲によって配置された仕掛けに引っかかり、思わず手に入れた物をちょうど礼儀の品として、それともいつも可愛がってくれる年上の同僚から、日常の中の購買意欲につられて得たものを愛玩する小鳥に与えるような、同様の根源から湧いた欲の反作用によってフィナンシェやマカロンを一つ与えられるようにもらったダイスのチョコを、家になんとなく飼っているハムスターに間違った餌としてピンクマウスを与える不注意と配慮の行き届いていない散漫な愛情として、恥辱と屈辱を合わせても香ることのない臭みの瞬間(一生人ヲ憎ミカネナイ)をまとわせて、臆することのない見開いた大きな眼で──当然デショウ──渡してきたチョコは忘れ去りたい記憶として朦朧としているのではなく、あげた本人の気持ちの表れと同じ程度の存在感で記憶を鋭く、素早く刺しただけなので、えぐり、かき混ぜるような傷跡ではなく、鋭利な刃物で切り落とした指が縫合せずにつながるように、先鋭な針(毒ハ持ッテイナイラシイ)による傷跡はどこにも見あたらないのだろう……、もらい物はただそれだけだ。自分はいったいどれほどの量の物をその相手に与えたのだろうか。愛情からの贈り物ではなく、生活に対しての憐憫によって仕向けられた強制力を持った義務は愛を学ぶ以前の若造に打算させて、憎しみを抱かせ、悪者という短絡的な商標を貼り付けて自分を可哀想にと慰めていた。聖人と思い違いしていた自分こそ悪人だったのだ。


 ある時、ふとした瞬間に見せてくれた笑顔が心に取り憑いたことがあった。ある年齢に達すると遠くから見る多くの女性達が可愛らしく映るのは、単に目が悪くなっただけか、それとも小さい頃になんとなくでしか味わえていなかった音楽や絵が、誰しもが体験する変哲のない人生を経ると、メロディーの効果、歌詞の意味、言語としての色彩、描線に注がれた意図などを感じとることができるように、狭い範囲での好みしか見ることのできなかった女性達が、各自の特質を発揮して現れているからか、もしくは老人が若い女性をたやすく区別できなくなるのと同じ老化現象によるものなのか、とにかく姿形が少しでも良い女性全員を無差別に好むような趣味の枠内に存在していた一人の同僚の女性とカレー屋の話をしている時に「美味しいカレー屋さんがあったら教えてくださいね」と微笑んだその瞬間に、大多数の候補の中から選別されて、同じ立ち位置にいた彼女達はエンドロールの流れる画面の中で遠近法にのっとり後景へと絞られて消えてしまい、特別な想いを抱く対象から一時的に閉ざされた。カレー屋の情報を交換券として得られるものとはっきりしているのならば、どんなカレーだって食べてやると意気込み、たとえ生物でない鉱物などを具材にしたカレーでも、何度でも反芻して胃腸に消化して笑顔の材料としてやる。広くない都市にマッチ針を刺し続けていれば、移ろいゆく季節と同じようにカレーはそのスパイスと同じような儚さで香気を失い、話題は他の特定されない食べ物へ。そして求めるものはいったい何だったのだろうか。手順は人それぞれであろうと、進んで行く先はそう変わらないだろう。カルダモンだったか、アーモンドプードルだっただろうか、職場の事務の女性達へのお返しのついでという理由など自分だって一切信じていない。目的をわきまえずに行う人間などいるものか。仕事帰り、明日の為にフランス菓子屋へ自転車を走らせて、求めているものが売り切れていたから、何かを買い、家に戻る前にスーパーマーケットへ寄り誰かへのもみじ饅頭を二つ手に取ってすぐにレジへ向かうと、片時も探すことを忘れない輪郭に当てはまる丸みを持った後ろ髪の姿がすっぽりと合わさり、二つ隣のレジに迫れと自分の並ぶレジを見ると、前に並ぶ数人は冬籠りでもする量の食材をカゴに詰めてデモを封鎖するバリケードとして無慈悲に立ち塞がっているので、見つけたその姿は小さな買い物袋を提げて、入口付近にある切り花のグロリオーサに少し目を留め、外へ出ていくから、列を壊し、もみじ饅頭をのど飴の上に投げ、機会を狙う死の執拗さで外へ出て、自転車に乗ろうと両手をハンドルにかけるその人に声をかけると、受身の人間に特有のアドリブの悪い言葉が口に出てしまうが、それ以上に驚きわななく人はかたくなに受取を拒否するから……、すべてが噛み合ったオルゴールと共に動く機械人形のように調和した瞬間のかけがえのない最高のプレゼントは下降して戸惑い煩悶する為の高みの記念碑として聳え立ち決して戻れない頂上として自分を過酷な下山へと向かわせるものとなったのだ。

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