水溶性哺乳類

 ビリヤードキューでもって猫を突いたら、柔らかい彼女をひょいと貫通させてしまい、奥にいる猫も同様に突いてみれば、やはり同じようにだるそうに肉を逸らせて通過させて、これで最後と灰色のそれに同じことをしてみれば、結果は同じ、彼らの柔らかさで作られた三連の団子が出来上がり、あくびと共に頬張る気ままな味こそ、水分含有率九十九パーセントを越えていると想像してしまう具現化された賢者の石なのだ。


 移りげで繊細な彼らは、いや、彼女らは、時には神経質すぎるほどに人間を観察して、こちらのわずかな動きにさえ、夜のシャッターのようにぶれを感知し、なにもそこまでしなくてもと思わずにはいられない野生動物の本能による劇的な逃走をするくせに、人間の子供をはるかに上回る都合の良さで甘えてくる。ふと川に放り投げたくなる可愛らしさは、その婀娜っぽさと同じ効果で性能の高い肉体機能があるからこそなのだろう。見込みのないものを千尋の谷に突き落とさないだろう。野良犬は細長い棒で容赦なく叩くにかぎる。人間に対して多少愚鈍な彼らは、人間以外の動物には気を緩ませることはないくせに、好んで叩かれているかのような情けない悲鳴をあげて、痩せたみすぼらしい体を外へ逃がす。


 彼女たちは違う。叩こうものなら必ず身を翻して避け、爪を立てて引っ掻く余裕すらあるだろう。人間に近づくくせに、まったくもって弱みを見せずに演技しているのが彼女達なのだ。だからこそ、犬の生首を見ても家畜の屠殺程度の感慨しか湧かないが、猫の生首は何かしら不穏な印象を抱かせる。あんな高度な生物がこうなるとは、このような真似を犯した人間の残虐性の深さを巧みに表しているようで、何か呪術的で、異様で不吉な予感を生み出す。犬は同情、鶏は滑稽、豚はふてぶてしさ、牛はある種の神性を感じさせる。猫は黒さと魔だ。猫自体はひどく気ままなだけに、心中を掴み取れない人間は彼女たちの幅広さを羨ましがり、手に入れられない強大な力として崇め、近く遠い存在として認識しているのかもしれない。操れる犬を西洋人が好み、操れない猫は日本人が好む。まったくあてにならない。猫を思い切り引っ叩いたらどうだろう。すっきりした気分と同時に、痛みを感じ、引っかかれた手に、弱みを見せない誇り高い種族の気品を味わうことになるだろう。そんな小さい彼女達は何よりも愛くるしい。

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