寄生

 小西隆がアルバイトの面接を受けることになった。場所は実家から歩いて三分とかからない、低価格を売りにするフランチャイズの焼肉屋だ。隆は焼肉よりも豆腐を好む性質であり、中学の時、部の仲間と焼肉の食い放題に行ったところ、肉を除けて野菜ばかり焼いていた。それを見ていた仲間は、ベジタリアン気取りだとからかったが、隆はぼそっと事情を説明して構わず野菜を食べ続ける。肉も野菜も同程度に好きだったが、脂っぽい物に耐えられるほど胃が強くなかった。


 隆が焼肉屋をアルバイトの場として選んだのは、そんなことが関係していたわけではなく、近隣で最も近い飲食店だったからだ。それに店の傍を通ると、たいてい駐車場は二三台しか埋まっておらず、大きな窓から覘ける店内は落ち着いていた。アルバイトに対して仲間や恋人、または仕事の知識や技能を求めるわけでもなく、近くて暇でさえあれば、どんな仕事でも構わなかった。時給が十円二十円変わろうが、特に関心を示さなかった。


 隆が大学の授業を終えて家に帰ると、バイトの面接まで三十分残っていた(チョット時間ガ空クナ)。履歴書は大学で書き終えていた。隆は洗面場で顔を洗い、歯を磨きながら自分の部屋に戻ると、衛星のテレビ放送にチャンネルをまわして、アメリカの音楽専門番組に変える。青いバンダナを巻いた黒人がキャップを逆に被り、光沢のある黄色いアメリカ車を運転しながら、激しく口を動かしている。テレビ台の中のアンプに電源を入れると、高く据えられたスピーカーから、低音に比重のかかる音が流れた。隆は二人がけの柔らかいソファーに腰を下ろして、考えなしに歯を磨き続ける。


 面接十五分前になり、口をゆすいで家を出た。焼肉屋に続く細い道を歩くと、ひんやりとした風が隆の体に吹きつける(ウウ、寒イ)。昼に比べて夕方の冷え込みが募ってきた。沈む陽の時間帯が早くなり、これからの気候はさらに厳しくなる。(ヤッパリ、家カラ近イノガイイ)隆はスタジアムジャンパーのポケットに手を突っ込んだ。


 赤一色の看板には黒い文字の明朝体で、〝煙煙〟と書かれている。隆が店に足を踏み入れると、来店を伝えるチャイムが鳴った(ナンカ安ッポイナ)。その音を聞いて、黒いバンダナに頭が覆われた、中年の女性店員が近づいてきた。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」笑顔を浮かべて丁寧に話しかける。


「あの、アルバイトの面接に来たんですが」隆は手をさすりながら答える。


 女性店員が愛想よく笑い、足早にキッチンに続く通路に戻っていく。隆は自動ドアの脇に立って、きょろきょろと眼を泳がせた(ヤッパリ客ハ少ナイゾ)。テーブル席の上方には、煙を吸う装置が備え付けられて、店内には幾つもぶら下がっていた。


 すぐに書類を抱えた小柄な女性店員が現れて、客と離れた角の席に隆は案内された。席に着くなり、女性店員は書類をテーブル上に広げる。隆はその動きを見つめていた(ナンダガ、アライグマニ似テイル)。


「はじめまして、わたし店長の高嶋といいます。今日は面接に足を運んでいただいて、ありがとうございます。小西さん、さっそくですが、お持ちいただいた履歴書のほうを、拝見させてもらってよろしいでしょうか?」


 隆は返事をして、ベージュの封筒を渡す。


「ありがとうございます。これは当店の就業規則が載っている、アルバイトのマニュアルになりますので、どうぞ、わたしが拝見している間に、眼を通していてください」


 高嶋は薄い冊子を滑らせて、隆の前に差し出す。隆はページを開き(面倒臭イナ)、第一文から黙読を始める。高嶋は忙しげに履歴書をいじりまわす。


「へえ、小西さん○○高校卒業なんですね、わたしの弟も○○高校に通ってましたから、もしかしたら知っているんじゃないですか? ほら、去年卒業したなら、弟と同級生ですよ」


 高嶋は顔を上げて話しかける。


「はい、去年卒業なら同級生ですね。でも、どの高嶋君でしょうか? 同じクラスにも高嶋君がいましたが、隣のクラスにも高嶋君がいまして、三つ離れたクラスにもやはり高嶋君が二人いました。さらに二人高嶋がいたはずですが、その二人は女性でした」


 隆は真面目に答える。


「そんなに高嶋がいたんですか? 佐藤や鈴木ならともかく、高嶋がそんなにいる高校も珍しいですね。それじゃ、ピンとこないでしょう。ほかの高嶋君は知りませんが、弟はサッカー部にいましたよ」


 履歴書に手を添えたまま高嶋は話す。


「サッカー部の高嶋君ですか? それなら知っていますよ、三年の時隣のクラスでしたから覚えています。話したことはありませんが、わりと目立つグループにいましたので、知っていますよ。高嶋君はサッカー上手ですよね」


 隆の声がかすかに高くなる。


「ええ、小さい頃からサッカーばかりやっていましたからね。そうですか、弟と同級生なんですね、家に帰ったら弟に小西さんのことを訊ねてみますよ。そうそう、読んでいるところ、邪魔しちゃってすいませんね、では始めに、簡単に煙煙の就業規則と業務を説明します。小西さんは電話連絡の折の希望通り、キッチンでの労働でよろしいですね?」


 高嶋はマニュアルに書かれた文面どおりに沿って、具体的に、かつしつこく説明を始める。隆はマニュアルと高嶋の顔を何度も往復(相手ノ眼ヲ見ナキャ)することに注意していたので、あまり内容が頭に入らなかった。内容を聞き入るよりも、体面を繕うことばかり気にしていた。


 アルバイトに関する説明が終わり、「以上なわけですが、なにか質問はありますか?」高嶋は広がっていた書類を一纏めにする。「いいえ、特にありません」隆は小さく返事(何カアルカナ?)をする。


 それから高嶋が持つ店に対する思いを、アルバイトの説明よりも長々と聞かされた。採用するか否かの連絡は二三日中にすると聞いて、隆は高嶋と中年の女性店員に丁寧に挨拶して店を出た。すっかり暗くなった夕暮れの道を、隆は薄ら笑いを浮かべながら(採用ノ確定シテイナイ人ニ、店ニ対シテノ情熱ヲ打チ明ケテ、一緒ニ店ヲ盛リアゲマショウハ、変ダロウ。ククク、トスルト、採用トシテ、見ラレタノカモシレナイ)家へ向かって歩いた。


 夕食時に面接の旨を両親に話すと、当たり障りのない事を言われた。隆は部屋に戻り、音楽専門番組を点けて番組欄に切り替えた。二十時から日本語ラップのPV(プロモーションビデオ)特集がある。隆はテレビ台のガラス扉を開いて、積み重なったビデオテープから一つ取って封を切る。ビデオデッキから入っていたテープを取り出すと、新しいテープを差し込んだ。


 すると、部屋の中央に据えられた小テーブルがうるさく震えた。玩具のシンセサイザーらしい薄っぺらい電子音を鳴らせつつ、携帯電話が蝉のようにばたばたと震えている。九十六年を代表する日本語ラップのイントロが、二フレーズごとに繰り返され、色の優れない画面には〝牧野〟と表示されている。隆は間を置いてから電話に出た。


「ヨー、メーン! おれだけどさ、今何やってる?」濁りのない明るい声がする。


「〝ヨー、メーン!〟じゃないよ」隆は苦笑いしつつ(ナンテアホダ)答える。


「おいおい、調子よく合わせてくれよ隆、つれねえやつだな。今さあ、佐々木の家にいて、ウイニングイレブンやってるんだけどよ、遊ぼうぜ」抑揚の利いた声で話す。


「誰がいるの?」隆はソファーにもたれる。


「あと和也がいるぜ、それにがっつりネタがあるぜ」背後からわめいた声が聞こえる。 


「金払うから少し分けて欲しいんだけど、大丈夫かな?」ほんのかすかに声の調子が低い。


「おれのじゃねえけど、大丈夫じゃねえの? まあとにかく来いよ」浮ついた調子で話す。


「わかった、三十分後には行くよ」


 相手が電話を切るのを待ち、隆は携帯電話のボタンを押した。テーブルに置いてあるビデオデッキのリモコンを手に取り、予約録画を設定すると、引き出しから金を取り出して(ネタガ手ニ入ルノハ、丁度良カッタ)外に出た。


 ガレージの脇に置いてある、ホンダ社製の白色の大型スクーターの前に立ち、隆はメットインを開けた。鶏の卵を横から曲線に切ったような、底の浅いヘルメットを取り出して、柔らかな黒いニット帽を放り込んで閉めた。エンジンに火を入れると、規則的な低いマフラー音が吐き出され、スクーターは辛い唸り声をあげて暗い夜道を進んで行った。


 二つ隣の中学校に通っていた佐々木は、十五分も走れば着く場所に住んでいる。隆は青いコンビニエンス・ストアに寄り、スナック菓子と炭酸飲料を買って、大きな札を細かくしようとした。すると、レジの店員が中学の同級生だ。一年時に同じ組にいたふくれ顔の女の子は、冬の間に登校拒否となり、ほとんど見かけることがなかった。


 髪型が変わっていたが、気のない瓢箪のような面輪は変わらず、隆はすぐに気がついた(ゲッ、〝オタフク〟ダ)。相手の女は気づいているのか、気づいていないのか、平然と接客するが、隆は妙に決まり悪く眼のやり場がない。商品を受け取る際に、相手の手に触れないように気をつけて、隆はさっさと店を後にした。


 木犀が生える家の角を曲がりきったところで、隆はスクーターが止まらないうちにエンジンを切り、慣性の続くまま佐々木の家に近づく。白茶色の一軒家の塀の前にオフロード車が停まっている。隆はその真後ろにスクーターを停めた。


 門を開けて家の脇から裏手にまわり、喧しいベース音が響く部屋のガラス戸を叩いた。

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