第58話 舞台裏

 現実はどうしようもなく悲しい。

 嫌だと思っても、それをどうにかするのは難しいのだ。

「母さん」

 俺の呼びかけに母さんはまるで動じない。

 久しぶりに入った母さんの部屋には、まるで神聖さは感じられなかった。

「母さん」

 もう一度、呼び掛けてみる。

「母さん」

 ここまで無反応を通されると、分かっていたこととはいえさすがに悲しくなる。

 俺は小さく息をついて、母さんの名前を口にする。

「ヒストリア」

 ようやく、母さんがこちらに振り替える。

 その目には少量の疲労が見て取れた。

「どうしたんですか? 神堂への立ち入りは禁じたはずですが」

「一応俺は神の子なんだ。受付のやつらは俺が入るのをとがめることはできない」

「親子の縁も、切ったはずなんですけどね」

 母さんが呆れたように微笑んだ。

「フェイトディザスタアが始まったのは分かっているでしょう? 私は忙しいのです。邪魔はしないでほしいのですが」

「まさにそのフェイトディザスタアについての話があるんだよ」

 外は大騒ぎだというのに、この建物の、いや、この部屋の中は驚くほどに静まり返っていた。

 や、静まり返っては、いない。

 人の声はまるで聞こえないが、壁中にかけられた時計と砂時計が時を刻む音が、うるさいほどに響いている。

「……あなたは幹部でしょう。皆さんの誘導に徹しなさい」

「そうもできねえんだよな。さっきの、生贄。あれはどういうことだ」

 俺の問いかけに、母さんは一瞬目を泳がせるも、すぐに俺の目を見据えて告げた。

「分かるでしょう。理不尽に生存確率を下げることはできない。ただ1人生贄として捧げれば、生存確率は例年通りかそれ以上になる」

「生贄となる人と、その人の周りにとっては理不尽なんだよ」

「多くの犠牲と、少ない犠牲、どちらをとるかなんて一目瞭然でしょう」

「でも」

「でもじゃない。でもじゃないの。貴方は春樹君が悲しむのが嫌なだけなのでしょう。こんな選択肢、誰もが生贄を選ぶにきまっているのですから」

「それは……」

「仕方のない、事なのです」

「じゃあなんで、なんでその生贄が加恋なんだ⁉ どういう基準で選んでるんだよ、それ」

「現時点でこん睡状態にあるのは加恋さんだけです。普通に生きている人より、昏睡状態にある人の方が楽に逝くことができますから」

「んなっ……」

 理不尽だろ、という言葉は、今度は出てこなかった。

 代わりに両目から涙が出てきた。

 俺は無力だ。

 神の子供のくせに普通の死人に性能で劣って。

 平等を貫くべき立場にあるのに、特定の人を気に入って。

 その人すらも、守ることができない。

 本当に、俺は無力だ。

 床に両ひざをついて泣きじゃくる俺を、この世界で一番長く生きている神であるところの母さんは、ただただ困ったように見つめていた。

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