第9話 平和は終わる
バンッっと大きな音を立てて、シンジロウさんの店の扉が開け放たれる。
「シンジロウさんっ!」
星也が切羽詰まった声でシンジロウさんを呼ぶと、店の奥にいたと思われるシンジロウさんが驚いた顔で出てきた。
「なんだなんだ。どうした? 畑仕事は明日からって話じゃなかったか?」
「それどころじゃないんだ! というかごめん! 畑仕事は多分できないや! あのね……」
「星也、ちょっと待って」
勢いに任せてさっき見た光景をシンジロウさんに話そうとした星也を慌てて引き留める。
「シンジロウさん、トイレ借りても?」
「お、おう。コーヒー淹れて待ってっからよ。ゆっくり落ち着いてこい」
「ありがとう」
星也を連れて店の奥にあるトイレへ入っていく。
2人で1つの個室に入って扉を閉めると、星也が少し不機嫌そうな声で言ってきた。
「何? 春樹君」
俺は一度深呼吸をすると、冷静を装って口を開く。
「さっきのこと、シンジロウさんに話していいの?」
「なんで?」
星也はあからさまにイライラした声で、すぐに言葉を返してくる。
「シンジロウさん、俺らを殺すかもしれない……」
「はあ? 春樹君、君何言って……」
「ごめん。でもその可能性がないとは言い切れない」
星也は小さく息を吐くと、無理やりいつもの笑顔を作ってこう言った。
「春樹君、シンジロウさんはそんなん人じゃないよ。だって考えてみて。殺ってたのは刑務所の出のやつだ」
「……!」
「春樹君、気づいてなかったでしょ? 大丈夫だから。シンジロウさんに話して一緒に打開策を考えてもらおう」
「うん……」
俺はまだ心に小さな不安を抱えていたが、今の星也の言い分に反論する材料もなかったのでおとなしく引き下がることにした。
俺らがトイレから戻ると、シンジロウさんはもうすでにコーヒーを淹れて椅子に座っていた。
椅子に座るシンジロウさんが少し慌てていたように見えたのは、気のせいなのだろう。
「2人とも、落ち着いたか?」
「うん。ごめんね。今日はシンジロウさんに話があるんだ」
「話か。まあ座れ」
「うん」
俺らは椅子に座ると、コーヒーを一口啜った。
シンジロウさんが淹れたコーヒーは、星也がいつも淹れてくれるコーヒーよりも少し苦みが強かった。
「あのねシンジロウさん」
「おう」
「さっき、人の存在が消えた」
シンジロウさんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに大きな声で笑いだした。
「あっはっはっは、人の存在が消えたってか? んなもんあるわきゃねえだろ」
そこで声を低くして、
「笑えねえ冗談はよしな」
真顔でそう言った。
「シンジロウさん、僕がこんな冗談を言うと思う?」
「思わねえ。が、話に現実味がねえ」
「現実味があるかないかは、話を最後まで聞いてから判断してよ」
「そうかよ。じゃ、聞いてやるよ」
シンジロウさんはまだ星也の話を信じてはいないようだが、一応話は聞いてくれるみたいだ。
星也はさっき俺たちが見てきた光景の全てをシンジロウさんに話した。
シンジロウさんは初め全く本気にしていない様子だったが、話が進むにつれて信じ始めたようだ。
「それ、マジか」
「うん。もう一回言うけど、僕はこんな冗談は言わない」
「でもなあ。やっぱり信じられない話だよなあ。しかしまあ、お前らが入ってきたときの表情を思い出すと、嘘って感じもしねえな」
「だって嘘じゃないからね。それに……ちょっと静かにしてみて」
星也がそう言って、俺らは話すのをやめた。
カチ、カチという時計の音だけが鳴り響く時間が少し続いた。
焦れたシンジロウさんが何かを言おうとした、ちょうどその時だった。
「うわああああああああ!」
男の人の大きな悲鳴が聞こえてきた。
それに続けて、犯人である男のゲスい笑い声が聞こえた。
「ほらね。全部、本当のことだよ」
「……そう、みたいだな」
シンジロウさんが今の一連を信じると、また沈黙の時間が始まった。
シンジロウさんは何かを真剣に考えているようだったから、俺も星也もシンジロウさんに話しかけることができない。
ただ、すこしばかり苦いコーヒーを飲んだ。
そうして10分ほどたっただろうか。シンジロウさんがようやく口を開いた。
「決めた。俺がお前らを守ってやる。俺ァこれでも前回の生き残りだからな。最近出てきた人殺しからお前らを守ることぐらいはできる」
それはとても嬉しい。だけど。
「それじゃあ、シンジロウさんの負担になるんじゃない?」
「あ? 春樹は俺を心配してるのか。てっきり信用されてないのかと思ってたが」
「心配するのと信用するのは違う。あと心配したわけじゃない」
「そうか。だがなあ、お前は俺の心配より自分の心配をしろ」
「……」
「春樹君、シンジロウさんの言うとおりだよ。ここはシンジロウさんに甘えさせてもらおう」
「そう、だね。シンジロウさん、よろしくお願いします」
「おう。じゃあ、今外に出るのは危ねえだろうから、とりあえずこの店でゆっくりしていけ」
「うん」
「コーヒーのおかわり、いるか?」
「もらう」
「よし。次はもう少し甘くしてやる。顔に出てたからな」
「え」
はっはっは、とシンジロウさんが笑って席を立つ。
それと同時に、店のドアが開いた。
俺たちと同じようにこの店に逃げてきた人だろうか。
そう思って扉の方を見やると、そこにはさっきの殺人犯がたっていた。
「シンジロウさんっ! この人!」
「な」
殺人犯はにやりと口角を持ち上げると、バカでかい声で話し始めた。
「てめぇら、ここにいたのか! さっき逃げていくのが見えたからなあ! おいおい、じじいもいんじゃねえか。ちょうどいい、3人まとめて消してやるよ!」
殺人犯はそういうと、手の中に力をため始めた。
「2人とも、隠れてろ!」
「んな、シンジロウさんは⁉」
「俺は強いから心配すんな! とにかく隠れてろ! 消されるぞ!」
いわれるがまま、俺たちはみせの店の奥の方へと逃げ込んだ。
カタカタと肩を震わせながら待つ。
ときおりガッシャーンという大きな音が聞こえたが、耳をふさいでそれも聞こえないようにした。
それから数分がたち、俺たちの前に1つの影が現れた。
顔を見上げると、そこに立っていたのは凶悪な顔をした殺人犯……ではなく、少し傷を負ったシンジロウさんだった。
「シンジロウさん! 大丈夫ですか⁉ あいつは⁉」
「俺は何とか大丈夫だ。あいつは……消しちまった。悪い、俺は人を殺した」
申し訳なさそうにシンジロウさんは言うが、俺たちはシンジロウさんが無事でいればそれでよかった。
「それから、悪い知らせがある。殺人犯はあいつだけじゃねえ。一応店のカギはかけてきたが、外はもう殺し合いだ」
困ったな、とシンジロウさんは肩をすくめた。
「一番は安全な聖大公堂に戻ることだが、今はそれはできそうにねえ。しばらくはこの店で待機だな」
俺たちはこくこうとうなずいた。
───殺人が生まれてしまったこの世界に、また平和が訪れることはもう無い。
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