第百八十八譚 獣たちは眠らない


 真っ暗な、真っ暗な闇の中。何の音も、誰の声も聞こえない。


 一体いつからここにいたんだろう。

 一体いつからこうなったのだろう。


 わたしが目指したのは、何だったっけ。

 わたしが目指した人は、誰だったっけ。


 ずっとずっと、お父さんを追いかけて精一杯やってきた。お父さんとの約束を果たすために一生懸命頑張ってきた。

 でも、その結果はどうだ。酷いものだったじゃないか。

 仲良くなった友達に怪我を負わせ、次の試合でも相方を半殺しにして。

 味方殺しのトラッパーとまで言われ、お父さんの名声に泥を塗っただけじゃないか。

 それでもまだ、無様に生き続けるつもりなの?


 あれ、でも。

 そんなわたしを救ってくれたのは誰だったっけ。

 味方殺しのトラッパ―と云われ、忌み嫌われたわたしとペアになってまで助けてくれたのは、誰だったっけ。


 そうだ。わたしは彼のおかげで武闘大会を優勝する事が出来た。お父さんとの約束を果たすことが出来たんだ。

 

 彼は一度、心が折れてしまいそうになった事があった。あんなに強い人でも、そうなってしまう事があるんだと思ってた。

 でも、彼は挫けなかった。自分の信念を貫いて、立ち直ってみせた。


 わたしは、そんな彼の姿に励まされていた。そんな彼だったからこそ、ここまで来たんだ。


 ここまで? わたしは一体、何をしているんだろう?


 わたしを救ってくれた彼の為に、まだ見ぬ美しい世界のために、わたしはここまで来たんじゃないの?

 そう、そうだ。その通りだ。わたしがここに居る理由はそれなんだ。


 なら、彼はどこで何をしている?

 戦っているんだろう。いつものように、諦めることを知らない強い信念を以て。


 ズキンと。わたしの右肩と左胸に激痛が走る。

 

 痛い。痛い。

 こんな痛み、生まれて初めてだよ。


 でも、彼が受けた痛みはこんなものじゃない。今まで受けてきた彼の傷はこんなものじゃないんだ。


 美しい世界の為に。彼の為にここに居るのなら、彼の為に一体何ができる?

 

 ドクンと。わたしの心臓が脈打つのがわかる。

 

 聞こえる。感じる。風の音も、みんなの声も。冷たい地面の感触も、体中に走る痛みも。

 まだわたしは生きている。生きているんだ。なら、やるべきことは一つだけ。


 目の前に立ちふさがる強大な敵を倒す。それだけなんだ。


 ああ、何を弱気になっていたんだろう。彼はどんな時も諦めなかった。弱音は吐いたかもしれないけど、いつも最後には笑顔で立っていた。

 わたしは、そんな彼に――勇者に憧れたんだ。


 そう、そうだよ。

 弱気なんてらしくない。彼がこの場にいてもそう思うでしょ。

 

 だって、わたしは――。


  


□■□■□  




 蒼騎士の足元で、無残に転がる二人の姿。それを横目に、彼はその場を後にした。


 土を踏む音に混じって、石ころが転がる音が蒼騎士の耳に入る。

 普段であれば無視するような音だが、ふと気になり音が聴こえた方向に体を向ける。

 

 その方向は、先程まで蒼騎士が立っていた場所。

 目に入ってきたのは、瀕死だったはずの半獣人が立ち上がろうとしている姿だった。


「……おや。息があるうちに殺しておくべきでしたか」


 そう言葉にする蒼騎士の表情から、笑顔が消えていた。


「もう少し寝てたかったけど、そうもいかないんだぁ……。だって、今この瞬間も、アルっちは戦ってるんだよ? それなのに、わたしたちが寝てたら……示しがつかないよ、ね? メリさん――」


 シャールが隣で寝ているプルメリアに声をかける。

 すると、プルメリアの長い耳がぴくりと動き、ゆっくりと体を起こし始めた。


「……同感だ。ここで、眠るのは……お前一人で充分だ、蒼騎士」

「死にぞこない共が」

「……ねえ、蒼騎士の人。知ってる……? 獣ってのはね、追い込まれれば追い込まれる程……力を発揮するんだよ……!」


 二人は同時に立ち上がる。まだどこかふらふらしていて、いつ倒れてもおかしくはない様子だ。

 だが、そんなボロボロの二人は、楽しそうに笑みを浮かべていた。


「そんなボロボロの体で何ができるって言うんです? 二人がかりでかかってきてもその体ではね。力を発揮したところで私には敵いませんよ」

「さて、な。それはどうだろうな?」


 プルメリアは両手に短剣の形状をした雷を作り出すと、何本かに分けて投げつけた。

 雷の短剣は蒼騎士に当たる事無く、弓で弾かれて終わる。だが、短剣は何度も投げつけられ、弓で弾くたびに隙が生まれていた。


 そこを狙い、短剣と共に跳び出す影。

 距離を詰められた蒼騎士は後ろに下がりながら弓を引き、至近距離で矢を放とうと狙い定めた。


 だが、下がった先には、彼女・・の矢が刺さっていた。

 

「分かっているんですよ。こんな単調な仕掛け!」


 魔法陣が発生する瞬間を狙い、身軽な足さばきで横へするりと抜けると、矢を放って魔矢を破壊した。


「残念でしたね! 陽動しようと私が罠にかかる事はあり得ないんですよ!」

「まだ、甘いんじゃないかな?」


 突如、蒼騎士の背後――岩陰から聞こえるシャールの声。


「なっ!」

「ここに来る事は予想済みだよ!」


 岩陰から即座に放ったシャールの矢は蒼騎士の頬を掠め、遠くへ飛んでいった。


「よ、避けられちゃ――」

「死ね小娘!」


 魔力が込もった矢が速射され、岩ごとシャールを穿つ。

 

「あ、あぁッ……!」


 穿たれた岩は爆散し、シャールに当たっていく。

 

「単調……単調なんですよ! だから読みやすい! この程度で私に勝とうなど――」

「だから、甘いと言っただろう!」


 爆散する岩に紛れ、プルメリアが蒼騎士の眼前に現れる。

 両手に込められた雷を思い切り正面へとぶつけ、蒼騎士の鎧が音を立て砕かれる。


 だが、蒼騎士は未だ健在。

 にやりと口角を上げた蒼騎士はプルメリアを掴むと、自らの矢を彼女の胸に突き刺した。


「がっ、ああああッ……!」

「ふっ、あっはっは! 馬鹿、馬鹿ですね! 貴女たちの攻撃は私の鎧を砕いただけで終わってしまいました! でも、鎧を砕いた事は素直に褒めてあげましょう、今までこれを成し遂げたものはいないんですから!」


 ねじ込むように、プルメリアの胸に刺さる矢を弄る蒼騎士は愉悦に浸っていた。


 ――そんな蒼騎士を見て、プルメリアは痛みをこらえながら笑みを浮かべる。


「本当に、馬鹿だ。お前は」


 瞬間、蒼騎士の腹部にちくりと刺されたような感覚が走る。

 

「え?」


 蒼騎士の腹部――肌を守る鎧が砕け無防備になったそこには、見覚えのある矢が刺さっていた。

 その矢は、先程シャールが射った魔矢。蒼騎士の頬を掠めた、あの矢だった。


「ま、まさかあの時、私を狙ったのではなく、背後にいた貴女に渡すために……」

「そう、だ。その後わざわざ正面に来てまで、一芝居打ったわけだが、こうも簡単に引っ掛かるとはな……」


 腹部に魔法陣が現れ、蒼騎士の体を氷漬けにしていく。

 プルメリアは力を振り絞り、腹部に刺さった魔矢を押し込む。


「その手をッ放せええええ!」

「今だ――シャールっ……! お前が、決めろッ!」


 崩れた岩の上に立ったシャールは、構えていた矢を静かに放った。


 その矢は一筋の線を描き、蒼騎士の左胸を正確に捉える。

 蒼騎士は血を吹きだし、そのまま崩れ落ちた。


 魔矢による凍結が終わり、その氷は音を立てて砕け散る。それを見届けた二人はその場に寝転ぶと、安堵の表情を浮かべて空を見上げた。


 目を瞑る事無く、魔界の空を。しっかりと目に焼き付けて。


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