第百七十二譚 内部侵入
アザレアの魔法によって開けられた穴を通り、俺たちは魔王城の内部に侵入する。
中は全体的に暗く、壁に飾られた燭台に灯る火だけが道を照らしている。
「立ち止まらずに走れ! 中に入ればこっちのもんだ!」
魔王城を囲む魔物たちが後方から追いかけてくるはず。
だけど、まだ距離があるし内部で戦うとなると敵側も一斉にはかかってこれないだろう。
城の内部にどれだけの魔物が残っているかはわからないけど、外で戦うよりは遥かにマシだ。
「駄目押しにトラップ仕掛けておくね!」
「ああ、頼む!」
シャッティは魔矢を後方に射る。
煙が出るような音。恐らくは武闘大会で使った睡眠作用を持つ催涙煙だろう。
あの罠なら多少は時間を稼げる。
風もほとんど吹いていないから煙が散る心配もない。
「ジオ、道は憶えてるか!」
「大丈夫、僕に任せるんだ!」
そう言ったジオは、自ら先頭に立って道を進んでいく。
だが、少し進んだところでムルモアが俺たちを引き留める。
「待つのだ」
「どうされたのですか? 早く進まなければ魔物たちに――」
「この道を真っ直ぐ進むよりも、左の扉から進んでいく方が玉座の間に近づけるはずだ。我の知る魔王城であるならばな」
「……? でも、僕の記憶だと左の扉の先は罠があったような気がするんだけど」
ジオの記憶は正しい。
俺も左の扉の先には罠があると憶えている。
なのに、ムルモアはどうして左の扉の方が近いと言ったんだろうか。
「であろうな。だが、罠はダミーにしか過ぎぬ」
「どういうことよ?」
「向かえばわかるであろうよ」
「アンタねえ、いい加減にしなさいよ! もっとハッキリ言ったらどうなの!」
アザレアとムルモアの間に険悪な空気が流れる。
俺はその光景を尻目に、左の扉を勢いよく開けた。
俺がとった行動に、アザレアが驚いたような声を上げた。
「ちょ、ちょっとリヴァ! アンタ正気!?」
「正気だよ馬鹿。今は揉めてる場合じゃないだろ、少しは状況を考えろよ」
「な……! わ、悪かったわよ……」
左の扉の先――長く続いている通路に足を踏み入れ、ムルモアに声をかけた。
「この先が近道なんだな?」
「左様」
ムルモアの返事を聞いた俺は小さく笑い、一歩。また一歩と足を進めていく。
俺たちの記憶に残っていた通り、罠の跡がそこら中に確認できる。
踏めば鉄球が転がってくるいかにもな罠だったり、何かが通ると毒の矢が飛んでくる罠だったり。
どれも五十年前に見たものと変わらない。
「妙だ。さっきから罠を踏んでいるが全く発動しない」
「それはアタシも思ってたわ。これでもかっていうぐらい罠踏んでたのに作動しないからおかしい、って」
「メリアはわかる。ただしアザレアお前だけは赦さん」
「なんでよ!?」
「お前の場合自覚がないから恐ろしいんだよ!!」
アザレアは根からの脳筋だ。
罠があろうがなかろうが構わず突き進むのがこの女。
頼りにはなるけど、こういった場面においては動いてほしくないぐらい頼りにならない。
「……しかし、罠が作動しないのも事実。誰かがこの場所を通った形跡は見られませんし、誤作動で罠が作動しないというのも考えにくいです」
「これだけ多くの罠が作動しないとなるとね……。何か意図があるとしか思えないよ」
「……魔王に招かれてるってことか」
俺たちが魔王城に侵入したのは既に知っているだろうし、何かしらの策を講じてきてもいいはず。
それなのに、罠は作動しない。迎撃に来る魔物は一匹もいない。それどころか、魔物の気配すら感じない。
これはまんまとハメられた可能性があるな。
「まあ、まだ何もしてこないと決まったわけじゃない。充分に注意して進もう。あとアザレア、お前は俺の隣を歩いてくれ」
「は、はあっ……!?」
「何だよその反応は? 早く来い」
暗くて表情が見えない。
どうしてそんなに驚いているのかはわからないけど、これ以上アザレアを野放しにしておくのは危険すぎるからな。近くに置いた方が安心できる。
「し、仕方ないわね。そこまで言うんだったら隣を歩いてあげるわ」
「おう、そうしてくれると助かるよ。精神的に」
心なしか隣から楽し気なオーラが感じられるんだけど……気のせいか。
「……ねえリヴァ。この罠、今までのと違うわよ? まあ、どうせ作動しないんでしょうけど――」
「――ちょっと待て! なんでもかんでも触るのは――!」
刹那、アザレアの身体が青白い光に包まれる。
「ウソッ!?」
「アザレア――!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、アザレアの腕を掴んだ。
その瞬間、視界が青白い光に包まれ、何かに吸い寄せられるような感覚に見舞われる。
「くそっ、なんだよこれ……!」
「アタシにだって、わかんないわよ……っ!」
「お前あれほど触んなって言ったろ!」
「し、仕方ないでしょ!」
そのやり取りの数秒後、視界を奪っていた青白い光が晴れ、徐々に辺りの光景が映り始める。
先程と同じような通路――だが、根本的に違う部分がある。
目の前は壁。後ろには闇の向こう、暗闇のずっと先まで続いていそうな広い通路。
その通路の両端に一定間隔で並ぶ悪魔の像。
そして、何よりも感じる今までの禍々しさとは比べ物にはならないくらいの強烈な邪念。
「……なあ、アザレア」
「言わなくてもわかってるわよ」
振り返った俺たちは、暗闇の向こうから感じられる禍々しい気配の方を向いた。
「どうやら魔王様は一刻も早く俺たちに会いたいらしいな」
「勘弁してほしいわ……。ただでさえ苛立ってんのに魔王の顔なんて見たらアタシ、何するかわからないし」
「皆と合流してから向かうって手もあるけどどうする?」
「はっ、合流? なめんじゃないわよ、アタシとリヴァが揃えば勝てない相手なんかいないでしょ?」
「既に魔王に負けてんだけどな」
「そ、それは過去の話よ!」
「はいはい……じゃあ、行くとしますか」
変わらないアザレアに思わず笑みが零れながら、俺は通路を進んでいく。
「一応話し合いってことは忘れるなよ?」
「分かってるわ。相手が話し合いに応じなきゃ燃やしていいんでしょ?」
「……まあ、そういう事だな」
互いに笑みを浮かべながら、俺たちは暗闇の向こうに歩き出す。
通路を歩き続け、どのくらい時間が経ったのか。
前に進むたびに強くなる禍々しい気配を肌で感じながら、ようやく大扉の前にまで辿り着いた。
「準備は?」
「いつでもいけるわ」
返事を聞き、俺は頷きながら扉に手をかける。
「……行くぞ」
そう言って、俺は大扉を力いっぱい押してみる。
しかし、大扉はびくともしない。
「やっぱり簡単には開かないか」
「どうする? 一発ぶちかます?」
「穏便にいこうぜ穏便に」
とはいえ、単純な力だけでは開きそうにない。
”実幻”を使ってもいいんだけど、これだけ大きな物を『元から開いていた』と騙し続けるには魔力消費が大きすぎる。
この先何があるかわからない以上、下手に魔力を使って魔力切れを起こすのだけは何としてでも避けたい。
「……やっぱりぶちかましたほうがいいんじゃない?」
「どうしてお前は穏便に事を運ぼうとしない」
その時、ピクリとも動かなかった大扉が重い音を上げて開き始め、隙間からローブを着た魔術師のような男が近づいてきた。
俺たちはその魔術師のような男を警戒しながら、相手の出方を待つ。
「いやはや遠いところまでご苦労様ですねえ! 随分とお待ちしておりましたのでねえ!」
魔術師のような男は軽い感じで言葉を発すると、目深に被っていたフードを外した。
骸骨。その魔術師のような男は、髑髏頭が特徴的な魔物だった。
「お出迎えどうも。魔王様は中にいらっしゃる?」
「勿論ですねえ、新たな勇者である貴方をお待ちしていたのですねえ!」
俺は髑髏の魔物に違和感を感じながらも、招かれるように大扉の中へと入っていく。
そこで目にしたのは、五十年前と変わらないあの風景だった。
禍々しい造形物に豪華な玉座。
そして、その玉座に座る異様なまでの威圧感を放つ者――。
「ようこそ、勇者。我こそが魔王、ルカティオスである」
「ご丁寧にどうも。俺はアルヴェリオだ」
五十年の時を経て、ようやくこの場所に辿り着いた。
かつて目指した時とは違う目的をもって、ここに。
「――唐突で悪いんだけど、俺と手を組まないか?」
その言葉は、静寂に包まれた部屋によく響いた。
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