第百六十六譚 創られたもの


 何もない白い空間に、沈黙が流れる。

 キルリアの言葉に、俺たちは誰も言葉を発せなかった。


 全ての元凶は女神アディヌで、今は聖王と手を組んでいる。

 三神大戦には勝者がいて、女神アディヌを崇めるアクリゥディヌ神教だけがその大戦の敗者であり、その女神アディヌは自らを崇める神徒たちの影響で悪に染められた。


 そんなスケールの大きい話に、俺たちはついていけなかった。


「女神アディヌの目的は唯一つ。アクリゥディヌ神教以外の全ての民を、神を滅ぼす事なのです」

「ちょ、ちょっと! それって聖王を倒しても女神アディヌを倒さない限り人類は滅ぼされるってわけ!?」

「その通りです。聖王と女神アディヌ……両方を倒さない限り、真の平和は訪れないでしょう」


 聖王を倒すってだけの話だったのに、随分と話のスケールが大きくなってきた。

 

 神徒が滅びを願ったから、人類を滅ぼそうとしている。

 女神アディヌの目的がこれなら、聖王の目的は一体なんなのだろう。

 聖王も人類を滅ぼすのが目的だったのか?


「一つ、良いであろうか?」


 ムルモアの言葉に、キルリアが小さく頷く。


「神であるならば、聖王と手を組まずとも人類を滅ぼすなど造作もないであろう? 何故女神アディヌはそれを実行しない?」

「女神アディヌは三神大戦で負った傷が未だ癒えていないのです。彼女が全治したその時は、アクリゥディヌ神教の者以外は滅ぼされるでしょう」

「ふむ。つまり、三神大戦には神も介入したということであるな?」


 その瞬間、キルリアの表情に焦りが見えた。

 まるで「しまった」とでも言っているような顔だ。


「三神大戦。神教徒共の争いかと思っていたが、まさか神までもが介入するとは。介入できるのであれば何故女神アディヌを始末しない? 傷が癒えていなかったのなら好機であったろう?」


 確かに、ムルモアの言う通りだ。

 三神大戦に三神が介入していたのなら、その後に女神アディヌを始末できるチャンスなんていくらでもあったはずなんだ。

 なのに、どうして始末しなかったのだろうか。


「それに、話がずれてきてはいないか? 真実を伝えると言って、本質には触れていない――まだ話していない事があるのであろう?」


 その言葉に、キルリアは目を瞑ってため息を吐く。

 

「……いつまでも黙っていては仕方がありませんね。いずれにせよ、後々話すことになっていたので今話そうとも変わりありませんし」

「やはりまだ隠し事があったようであるな」

「ムルモア、でしたね? 貴方の話通り、私たち神は三神大戦に介入し、男神エーテファルリアと共に女神アディヌを討ちました。しかし、女神アディヌは生き延び、身を潜めたのです――この世界に・・・・・

「……この、世界?」

「この世界は、女神アディヌが創り出した幻想の世界。真の世界ではないのです」


 きっと、この場にいる誰もが衝撃を受けた。

 いや、理解が追い付けないのほうが正しいだろう。


 俺たちが今まで過ごしてきた世界が偽物で、本当の世界は別にあるなんて誰が信じられるのか。


「ご、ごめんなさい。女神キルリア様、私にはどういう事なのか理解できません……!」


 セレーネが震えた声でキルリアに問いかけた。

 その問いに、キルリアは申し訳なさそうに視線を逸らして口を開いた。


「信じられないのも無理はないでしょう。ですが、これは事実なのです。今貴方たちの住む世界が創り物で、本当の世界ではないというのは……」

「ま、待ってほしい! なら偽の世界に住む私たちも偽物なのだろうか!? 真の世界での私たちは……!」

「いいえ、この世界が偽物とは言っても基盤は真の世界です。女神アディヌは真の世界を自分が有利になるよう『書き換えた』だけに過ぎませんので、貴方がた人類は偽の存在ではありません」

「……つまり、女神アディヌが本当の世界を今の世界に創り直したから存在自体に変わりはないってことでいいのかい?」

「はい。生命そのものに変わりはありません。女神アディヌが書き換えたのは、世界の理そのものなのです」


 本当の世界に何かが上書きされた世界が今の世界ってことか。

 だから、生きている者は本当の世界の住人でもあると。


 それはいい。ただ、気になる言葉がいくつか聞き取れた。


 創り物。書き換えた。世界の理。

 一体どういう事なんだろうか。


「世界の理って、何なんだ? それに書き換えたって……」

「貴方たちは『天職』というものを知っていますね? あれは女神アディヌが人類を統治しやすいように創り出したものなのです」


 キルリアの言葉を聞いた俺は、ギルヴァンスの話を思い出していた。

 

 この世界が管理されているみたいじゃないか、という話を。

 

「女神アディヌは人類から自由を奪い、誰にも邪魔されないように世界から私と男神の権限を消し、自らの代わりに世界を管理する者たちを創りだしました――」


 そう言って、キルリアは目を瞑る。

 一呼吸置き、目を開けたキルリアは俺の方に体を向けた。


 次の瞬間、女神から伝えられた言葉は衝撃的なものだった。


「この世界で唯一、幻を扱う魔法を使う事の出来る一族――エンデミアン一族を創りだしたのです」

「アル様が、創られた存在……?」


 皆の視線が俺に集まる。

 俺は何も言えずに、ただ黙って立ちつくしていた。


「はい。女神アディヌの魔法……それは全てを創りだす『幻創魔法』。エンデミアン一族はその力を持って生まれたのです。アルヴェリオ、貴方の魔法の名は幻術魔法ではなく、『幻創魔法』です」

「幻創、魔法……」

「長い時を経て、一族の使命や魔法の名を忘れてしまっていたようですが……」


 全てを騙し、全てを創りあげる……そうか。そういう事だったのか。

 幻創魔法の真の力は幻影ミラージュでも苦痛ペインでもない。

 実幻リアライズこそが幻創魔法の力なのか……。


「それなら、リヴァはアタシたちの敵ってわけ?」

「そういう設定だったことに間違いはないでしょうね。女神アディヌはこの世界の未来さえも確立させていましたから」

「それは、一体どういう事なのですか……?」

「この世界に住む全ての者は運命を決められているのです。女神アディヌの筋書き通りに、貴方たちは生きているのです」


 その言葉に、俺は思わず声を上げた。

 運命が決められてる? 女神アディヌが死ぬと決めれば死に、生きると決めれば生きる。そんな世界になってるっていうのか?


 俺は行き場のない怒りを抑えるように唇を噛む。


「わたしたちの、未来は決められてたの……? そんな、そんなの……酷いよ……!」

「ですが、それは七十年程前までの話です!」


 キルリアは声を張り上げ、言葉を発した。


「勇者リヴェリアが生まれた事で少しずつ、この世界に変化が起こり始めたのです。リヴェリアは本来、トゥルニカの一兵士として生涯を終える結末でした。しかし、彼は勇者となった。魔王を倒すために立ち向かう勇者になったのです。それは小さなものでしたが、確かな変化をもたらしました」


 もしかして、それは俺がリヴェリアに転生したからなのだろうか。

 本来生まれてくるはずだったリヴェリアではなく、リヴェリアとして転生した俺が生まれた事で起こった変化なのか。


「そして、アルヴェリオ。貴方が転生したことにより、変化は大きく確かなものになりました。本来出会うはずもなかった者たちが出会い、救われ、絆を紡いでいった……これは、女神アディヌにとって大きな誤算となっているはずです」

「つまり、俺たちの未来は――この世界の未来はまだ決まってないってことか?」

「その通りです。女神アディヌの思い描いた未来は未だ確立されていません。勇者アルヴェリオ、そして彼に導かれた者たち。この世界の命運は、貴方たちの手にかかっています。どうか、どうか世界を救って下さい……」


 そう言って、キルリアは俺たちに頭を下げる。

 その姿を見た俺たちは互いに顔を見合わせて、小さく笑みを浮かべた。


「聖王を倒すついでに女神アディヌも倒せばいいだけの話だろ? 一つ仕事が増えただけで何も変わらないよな」

「はい! 私は元より覚悟の上です。アル様がどこへ向かおうと、それに着いて行くと決めていましたから」

「そうね、今更一人や二人倒す奴が増えても変わらないわ」

「うん、普通に変わると思うんだけどね。でも、聖王を倒すって目的が世界を元の姿に戻すなんて目的に変わるとは思わなかったよ、僕は」

「わたしたちが世界を救うなんて燃えるね! ふっふっふ……! シャッティさんの力を見せる時が来たー!」

「私は主に着いて行くだけだ。聖王だろうと女神だろうと関係ない」

「ふむ、まあ、我が世界を救う為に戦う羽目になるとはな。運命とは面白いものであるな」


 俺たちの話を聞いたキルリアは、優しく微笑んだ。

 

 この世界が偽物だろうと本物だろうと、俺の目的は変わらない。

 支えてくれる人、大事な人たちを守る。ただそれだけだ。


 女神アディヌに定められた運命だとしても、そんなものはぶち壊す。

 誰かに決められた未来、運命なんて俺は嫌だ。

 人の人生を好き勝手に決めやがって。命を何だと思ってるんだ。

 

 定められた筋書きなんて、俺が破ってみせる。

 

「……もう時間がないようです。では、貴方たちに祝福を……。頼みましたよ、勇者たち」


 その言葉と共に、俺たちの足元に穴が空く――はずだった。

 

「……あれ?」


 ただ一人、俺だけを残して皆は底の見えない光に落ちていった。

 どうして俺だけ残されたのか、理解できなかった。


 そう思いながらキルリアを見ると、彼女は真剣な表情を浮かべていた。


「……アルヴェリオ。もう一つ貴方に伝えておきたい事があるの」


 先程までの敬語ではなく、いつもの口調に戻ったキルリア。

 だけど、表情はいつもよりも真剣で、どこか暗かった。


「以前、貴方に話したわね? これ以上戦えば幸せになれない、って」

「ああ、でもそれはもう――」

「違うの、違うのよ……! 貴方は女神アディヌに創られた者……だから、女神アディヌを倒して世界を元に戻せば、貴方は消滅するのよ……。だって、貴方は『本来の世界には存在しない』から……!」


 その言葉に、俺は目の前が真っ暗になった。

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