第百六十一譚 おかえりなさい


 暴虐の限りを尽くしていた国王が、自らの子である王子によって討たれた革命の日。

 その日は朝から晩まで国民たちの歓喜の声が止むことはなかった。


 俺たちもまた、再会に喜び、酒場で盛り上がった。

 

 最初の頃は良かった。

 俺が行方不明になってからの話や、神殿攻略とかの話が聞けたし、皆と久しぶりに話せたのが凄く楽しかったから。


 だが、アザレアが酒を頼み始めてから全ては変わった。

 アザレアが頼むとジオ、ジオが頼むとシャッティ。こういったように、次から次へと酒を頼み始めた。


 そこはまだいい。

 しかし、酔った後の奴らは酷かった。


 狂ったように笑い出すジオに、同じように笑ったままジオを叩き続けるシャッティ。

 アザレアに至っては、俺に絡んでくる率が凄まじかった。


 好きな食べ物だとか好きな物とか嫌いなタイプとか今更過ぎると言うか小学生みたいな質問ばかりぶつけてくる始末。


 メリアとムルモアなんかはどっちが酒に強いかみたいな戦いまで始めるしな。

 

 それから数時間が経ち、現在。

 日が落ちて辺りが暗くなり始めると同時に、机に突っ伏す三人。

 周りで飲んでいた奴らも大半が床に寝ていたり壁に寄っかかりながら寝ている奴もちらほらと目に映る。


「やっと解放されたか……」


 俺はそう呟き、席を立つ。


「どこに行く? 私も着いて行くぞ?」

「いや、少し外の空気吸ってくるだけだからいいよ。それよりほら、まだ酒残ってるから飲んじゃえよ」


 そう言うと、メリアは頷きながら酒の入ったグラスを手に取る。

 メリアとムルモアは未だに酔いつぶれていない。それどころか平然としている。


 まったく、どれだけ飲むんだか。


 床で寝ている人たちを踏まないように気を付けながら、俺は酒場の入り口を出る。


 外は寒く、冷たい風が肌に触れる。

 暗い街道に一人、月明かりに照らされた女性の姿を捉えた。


「やっぱりここにいたのか」

「……アル様」


 俺は長椅子に座るセレーネの隣まで歩き、一言言葉をかけた。


「隣、いいか?」

「ええ、勿論です」


 セレーネの返答を聞き、俺はゆっくりと腰を下ろす。


「何してたんだ?」

「月を見ていました。いつか見た月と違って、今見ている月は特別輝いて見えます……」

「それって、お前がトゥルニカに行く前の話か?」

「はい、全てを捨て逃げ出す前の話です」


 セレーネは少しだけ悲しそうな表情で視線を下に落とした。


「私は以前、この国で裏の仕事をしていました。とはいっても、私は人を殺すことが出来ず役立たずでしたが……」

「……どうして裏の仕事なんてしてたんだ?」

「先日、亡くなられた国王が話していたことを憶えていますか? 私がリリールニス家の力を持っているから連れてきた、と……。私を連れ出すために、両親は殺されました。まだ幼かったのでよくは憶えていないのですが……」

「じゃあ、前に言ってたムルモアが親代わりって言うのは……」

「はい。恐らくただの監視役だったかと思います。私が逃げ出さないようにと、監視の任を受けたのがムルモアさんだったのだと……」


 戦争時に話してくれた両親がいないってのはこういう事だったのか。

 そしてムルモアが親代わりだってのも……。


 セレーネの話を聞き、胸が締め付けられるように痛くなる。

 

 もし、もしも俺がセレーネの立場だったら、恐らく耐えられないだろう。

 両親を殺され、勝手に連れてこられたら監視を付けられて裏仕事をやらされる。

 そんな生活、俺には耐えられそうにない。


「初めは恐かったのです。ムルモアさん、何を考えてるのかわからないし、いつも怒っているような表情だから余計に……。それでも、ムルモアさんは私の事を本当の娘のように扱ってくれて」


 そういう事だったのか。

 ムルモアが言っていた、「娘と呼べる資格がない」って言葉。

 あれはつまり、国王の勝手な都合で両親を殺してまで連れてきた少女に、今更父親面できるわけがないってことなんだろう。


「でも、私は逃げたのです。この国から、全てから」


 急に風が強くなる。

 セレーネの表情は険しくなり、視線をより下へと向けた。


「仕事を捨て、ムルモアさんを裏切り、夢と希望など持たずに王都トゥルニカへと逃げました。もう、罪のない人々が殺されていくことに耐えられなかった。正しい者が殺されていくことに我慢できなかったのです」

「…………」

「全てを捨てた私は、教会のシスターとして日々を生きていました。キテラ王国のエネレスではなく、ただ一人のセレーネとして……。そんなある日のことです、貴方に出会ったのは」


 俺はその日の事をぼんやりと思い浮かべる。

 この身体に転生した日、空腹で倒れたところをセレーネに救われた日の事を。


「あれは結構印象的な出会いだったよな。俺もまさか自分が悪者になってたなんて思いもしなかったしさ」

「ええ、まったくです。まさか聖王と名乗る勇者は偽物で、貴方が本物の勇者だったと知った時は驚きで理解が追い付きませんでしたよ」

「そういえば、俺の話聞いて泣きながらどっか行ったよな」

「……実は、ですね。密かに憧れを抱いていたのですよ? 世界を自由に旅する勇者に。籠の中に囚われていた私に夢と希望を与えてくれたのは貴方なのですから」

「……俺が?」

「私が逃げ出す前まで、あるご老人によく勇者の話を聞かせてもらっていたのです。その冒険譚に、私は憧れを抱きました。今思えば、その冒険譚は全てアル様の物語だったのでしょう」


 セレーネは懐かしむように一言一言丁寧に言葉を発している。

 先程までの険しい表情とは打って変わって、今ではもう笑みがこぼれ始めている。


「あの日からは本当に楽しかった……。貴方と共にいるだけで世界が輝いて見えましたから……。ですが、私はエルフィリム領でキテラ王国の者に見つかり、命令を下されたのです」

「……深夜に出かけてたあの日、か。その命令ってのが、俺を監視する事だったのか?」

「はい、『再誕の勇者』の監視又は抹殺――拒否するならば無差別で関係のない者たちを殺していく、と……。その日から、私はまた灰色の世界を旅する事になったのです」


 俺に言ってくれれば良かったのに、と出かけて俺はグッと堪える。


 言えないからセレーネはあんなにも苦しんでいたんだろう。

 言えたならどれだけ楽だったか、その気持ちを考えただけでも辛い。


「アル様、本当にごめんなさい。何度も、何度も騙して、苦しめてごめんなさい……。皆さんに聞きました。私が姿を消してから、アル様が毎日苦しそうだった、と……」


 セレーネは立ち上がり、俺の目の前で頭を下げた。

 俺はゆっくりと立ち上がり、セレーネの頭を軽く小突いた。


「うっ……ご、ごめんなさい。そう、ですよね。謝っても済む問題ではないとは承知の上です……。寧ろ、今の状況がおかしかったのです……皆さんが普通に接してくれているこの状況が――」

「違う、そうじゃない。頭上げろって」

「し、しかし……」

「いいから。ほら」


 俺の言葉に、セレーネはおずおずと頭を上げて俺の顔を覗く。

 その瞬間、セレーネは小さく驚きの声を発した。


「俺がそんなことで怒る訳ないだろ。いや、少しは怒ってるけどさ。でも、お前の正直な気持ちが知れたから満足だ。無関係の人を人質にされたら俺だってそうしていたと思うしな」


 俺は笑顔でそう言葉にした。

 きっと、セレーネは俺が笑顔である事に驚いたのだろう。


 もっと怒っているのではないかと思っていたのだろうが、俺は全然怒っていない。

 

「だから、もういいんだ。何も気にする事なんかないんだ」

「アル、様……」


 俺はセレーネの肩に手を置き、口を開いた。


「今までよく頑張ったな」

「ぁ、あぁ……」


 その言葉を聞いたセレーネは、箍が外れたように涙を流し始めた。

 まるで子供のように声を上げながら涙を流すセレーネが、俺に寄りかかる。


 俺はそれを黙って受け止め、セレーネの背をさすった。

 いつの間にか風は止み、月の光が俺たちを照らしていた。






□■□■□






 しばらくした後、セレーネは落ち着きを取り戻し、再び長椅子に座った。

 少しばかり気まずい空気が流れている気がするが、そこはそれ。

 

「アル様、一つ……いいですか?」

「どうした? 何かまた隠し事でもあったのか?」


 そう言うと、セレーネはクスリと笑う。


「確かに……隠し事かもしれませんね」

「だから、何がだって?」

「貴方が行方不明になってから、ずっと考えていたのです。私の胸の奥にある、この気持ちが何であるかを……。答えは、とても、とても簡単なものでした」


 セレーネは何故か深呼吸して息を整えると、俺の方に顔を向けた。

 その表情は真剣で、どこかほんのりと赤みを帯びている。


「アル様、私は貴方が好きです。アル様の事を考えただけでも胸が苦しくなるほど、貴方の事が好きなのです……!」

「え……? ほ、本当に……か?」

「私が言う資格などないのも承知の上です! 男性にこのような事を伝えるのは初めてなので、上手く伝えられているかわかりませんが……」


 俺はようやく頭の整理が付き、顔が熱くなっていくのがわかった。

 嬉しいけど恥ずかしい、そんな感情が俺の中で暴れていた。


 正直、告白されたのは初めてでどう答えたらいいのかがわからない。

 確かに、俺はセレーネの事が好きだ。ただ、それが恋愛感情であるかはわからない。

 何せ、今まで恋愛なんてしたことがないからだ。


 だから、俺がセレーネをどう思ってるのかわからないし、ここでどう答えたらいいのかもわからない。


「……俺、今まで誰かに告白された事なんて無いから嬉しいし、セレーネが俺の事をそういう風に想ってくれてるのはそれ以上に嬉しいんだ。だけど、まだ俺はお前の気持ちには答えられない」

「そ、そう、ですよね。ごめんなさい……突然このような――」

「だから、待ってくれないかな? 聖王を倒して、この世界が平和になったその時までに、ちゃんと答えを出しておく。だから、その時は二人で世界を旅しよう。この広い世界を自由に、のんびりと……」

「それは、つまり……」


 キルリアに言われた「これ以上戦えば幸せにはなれない」という言葉。

 もし、それが本当なら、今セレーネの気持ちに応えてしまうのは駄目な気がする。


 だから、聖王を倒すその時までに、答えを決める。


「待ちます。何時までも……貴方が答えを出してくれるその時まで、私は待ち続けます。だから、今この瞬間だけ、我が儘を許してくださいね」


 次の瞬間、俺の頬に柔らかい何かが触れる。

 セレーネの顔がゆっくりと離れ、彼女は優しく微笑んだ。


「おかえりなさい、アル様」


 おかえり。

 その言葉は、とても深く俺の心に突き刺さった。


 そういえば、まだちゃんと言ってなかったっけな――。


「ただいま、セレーネ」


 月明かりの下、俺たちはあの日の約束を果たした。

 もう一度語ろうと誓った、数か月前の約束を――。




 六章 永遠に捧げる愛の詩 終

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