第百四十譚 すれ違い


 ロベルトさんの説明を受けてから数十分。

 俺は婆さんの家で荷物をまとめていた。


 ここに流れ着く前までに持っていた物はほとんど残っていたけど、折れてしまった長剣、通信魔法具に黒いマントだけはどこを探そうが俺のもとには戻ってこない。もう、失くしちゃったからな。


 ボロボロだった服は綺麗に縫われ、小物入れも傷一つなく無事だった。

 これで武器があれば充分なんだけど、折れてしまった長剣はドフタリア大陸に置いて来てしまったし、今使えそうな武器は木の棒くらいだ。


 まあ、戦えない事も無いけど、できるなら魔力を温存して戦っていたいから、ちゃんとした武器が欲しい所だ。


 婆さんが言うには、実際にない物を創り出す魔法は、魔力を大幅に消費且つ膨大な魔力を送り続けなければ形を保っていられないらしい。

 いくら封印されていた魔力を取り戻したからといって、むやみやたらに“実幻”を使っていたらすぐに魔力切れを起こすと言われた。


 だから、ここぞという場面以外では極力魔法は使いたくないんだ。


 婆さんから貰った薬を小物入れに詰め、家の扉を開けて外に出る。

 外には準備を済ませたロベルトさんと婆さん。そして、二人から少し離れた樹の陰にプルメリアさんが立っていた。


 俺はゆっくりとプルメリアさんに近づき、隣の樹の陰に腰を下ろした。


「ごめんな、俺の我が儘に付き合わせちゃって」

「私の意思で決めたまでだ。謝られる筋合いはない」

「そっか」


 その言葉に、俺は小さく頷く。

 プルメリアさんは、「だが」と言葉を紡いで話を続ける。


「人間は嫌いだ。私たち黒妖精に対する非道の数々は決して許せない。お前のせいで黒妖精が危険に晒されたその時は――迷わずお前を殺す。それだけは憶えていろ」


 確かな殺意が、そこにはあった。

 プルメリアさんの言葉一つ一つには、俺たち人間に対する憎悪や殺意が感じられる。

 

「ああ、わかってるよ。でも安心してくれ。俺が絶対にそんなことはさせない。黒妖精を危険に晒すなんて事には絶対にさせないさ」

「……変わった人間だ。お前は」


 黒妖精に――プルメリアさんの過去に何があったかは分からない。

 わからないけど、もし俺が力になれるのなら力になりたい。


 それが命を救われたことに対する恩返しだ。


「ほら、メリア、小僧! さっさとしな、置いてくよ!」

「ああ、今行く!」


 こうして、俺たちはキテラ王国目指して移動を開始した。

 この時、裏で何が行われていたのかを知るのは、もう少し先の話だ。






□――――キテラス大陸:キテラ王国:宿屋【セレーネside】






 ビストラテアを発って早四日。

 キテラ王国に着いた私たちは、宿屋で今後の計画を話し合っていた。


「とりあえず今日は休もうよ! わたしもうくたくただよ……」

「情けないわね。もっと気合いでどうにかしなさいよ」

「脳筋の子は放っておいて、今日はシャールちゃんの言うとおり休もうかい。船旅も疲れただろうし、焦った所で何も変わらないからね」


 その言葉に、アザレアさんは鬼の形相でジオさんの肩を掴む。

 

 この数か月で、こんな光景にも慣れてきた。

 私がまだエネレスとして在った頃、こんな風に楽しく思える日なんて一度もなかった。

 余裕も、気力もなかったからだと思う。


 それでも、アル様が私を救って下さってからは、世界が違って見えた。

――何もかもが別世界のように輝いて見えた。


「セレちゃんもそれでいい?」

「はい、私は構いませんよ」

「決まり! 今日はもうゆっくりしよう! だからアザレア僕の首を絞めるのは止めぐえっ!!」


 見上げて見える青い空も。

 人々で賑わう商店通りも。

 何気ない光景、何気ない会話も。


 あの日から全てが輝いて見えているのです。


「では、今日はここで解散としましょうか。ジオさんは休む時には隣の個室を使って下さいね」

「わ、わかっ、アザレア、降参、降さ――」

「わーっ!! アザレー、ストップ!! グラジー死んじゃうから!!」


 思わず頬が緩む。

 皆さんといると、本当に楽しい。飽きる事など一生ないと思うぐらいに。


 しかし、やはり足りないのです。

 ここには――私たちの居場所にはぽっかりと大きな穴が開いてしまっているのです。


 アル様。

 貴方がいなければ、私は本当の意味での楽しさを味わう事はできません。

 貴方がいないと……、私は……。


 私は……貴方の傍にいるだけで――幸せだったのです。

 気付かないべきだったのかもしれません。でも、もう気付いてしまいました。


 私の胸に宿る、この想いに。


 だから――だから早く、戻ってきてください。アル様……。






□■□■□






 次の日、私たちは瑠璃の神殿を目指すため、馬を借りて大陸の北西部に向かっていた。

 瑠璃の神殿は、キテラ大森林と呼ばれる場所から西に行った所にあるという。


 キテラ王国から瑠璃の神殿まではおよそ九日。

 ジオさんの意見で、途中の集落か村でアル様の情報を集めながら神殿に向かう事になっているが、今のところ集落や村と言った人が住んでいる気配がする場所は見当たらない。


 そんな時、シャールさんが小さく声を上げた。


「……あれ?」

「どうしたんだい?」

「前から大きな男の人が歩いてくるよ! あと小さな女の子もいる!」


 目を凝らして前方に視線を向けるが、私の目には人影すら映らなかった。

 しかし、それから数秒後、シャールさんの言ったとおりに前方から男性と少女が歩いてくるのを確認することが出来た。


 ある程度まで近づくと、ジオさんが馬から降りて男性たちに話を聞きに行く。


「すみません、聞きたい事がありまして――」


 だが、男性たちはジオさんを無視して歩き続ける。

 もう一度ジオさんが声をかけるが、それも無視されてしまった。


 その光景に黙っていられなかったのか、アザレアさんが馬から降りて足早に男性たちの前に立ちふさがった。


「ちょっと、流石に無視は酷いんじゃない?」


 アザレアさんの言葉にも耳を傾けず、男性たちはそのまま歩き続けようとする。

 しかし、アザレアさんが男性の肩を掴み、歩みを無理やり止めさせた。


「聞いてるの? 無視は――え……」


 次の瞬間、アザレアさんが怯えた様子で男性から離れるよう後ずさりする。


「え……嘘でしょ、どうして、なんで、なんでアンタが……」

「アザレア……? 一体どうしたんだい――アザレア!?」


 アザレアさんは見てわかるほど体を震わせ、男性を見ながら頭を抱えた。


「なんで、なんでなんで!? どうして……! どうしてテメエがそんな姿で生きてんだよ!? ――魔王・・!!」


 その言葉と同時に、空は雲に覆われ、ぽつぽつと小さな雨粒が落ちてきた。


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