第九十譚 アクリゥディヌ神徒


 雲に覆われ、すっかりと薄暗くなった空の下で、俺とシャッティは状況を理解できずにいた。


「この者たちは即刻反則とみなすべきです」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ! パプリアとピアヌスが死んだって本当なのか!?」

「本当の事だ。さらに治療していた魔術師も一名遺体で見つかっている」


 俺の頭は酷く混乱していた。

 もし、ここで本当に俺が殺してしまったなんて事になったら、折角の名声が――シャッティの夢が叶わなくなってしまう。


 あれほど威勢の良い事を言っておきながら、優勝取り止めになってしまえばシャッティに何て謝ればいいんだ。

 それ以前に会わせる顔がない。


 本当に俺の一撃が致命的だったのだろうか。

 これでも俺は適当に斬っているわけじゃない。

 場所を狙って、死なずに気絶させられるような箇所を狙ったつもりだ。


 いや、当たりどころが悪かったのかもしれない。

 運悪く俺の一撃が外れてしまい、運悪く致命的な部分に当たってしまった。

 そう言われてしまえば終わりだ。何も反論が出来ない。


「お待ち下さい」


 その時、若い男の声が響いた。


「うむ? お前は……」

「私の名はエネレス。獣王バルドロフ様、少々お時間を頂きます事、お許し下さい」


 エネレスは丁寧にそう言うと、俺の隣に並び立った。


「彼は無罪だと思われます」

「エネレス、お前……」

「何故そう思う?」

「ピアヌスたちの手の甲にはある証が刻まれています。それは、三大神教が一つ――アクリゥディヌ神教の神徒である証です」


 その言葉に、舞台に立つ者たちの表情が一瞬で変わった。


 驚き、そして疑問。

 この二つの感情が顔に表れていた。


 アクリゥディヌ神教――それは確か、遥か昔に人間族によって開かれたものだろう。

 俺も詳しいわけではないが、この世界に生きる人ならば名前ぐらいは聞いたことがあるはず。

 そのぐらい有名な神教であるのだ。


 だけど、ピアヌスたちの死とアクリゥディヌ神教徒である事に何の関係があるというのだろうか。


「それが何か問題でもあると言うのか!」


 運営の者がエネレスに向かって声を荒げる。

 エネレスはその声を無視し、淡々と言葉を紡いでいく。


「アクリゥディヌ神教には、絶対とされる決まりごとが存在すると聞きます。それは「失敗は許されない」というものです」

「ふむ、失敗は許されないと。つまり――」

「はい、絶対の死を意味するでしょう」


 失敗は絶対の死を意味する?

 随分と恐ろしい神教だな、アクリゥディヌ神教とやらは。

 本当にそれは神教なのだろうか。


「……それで、一体どういう事なんだ?」


 俺の言葉に、エネレスは「待て」と言いたげに首を振った。


「ピアヌスたちは恐らく、この大会で果たさなければならない目的があった――故にそれを果たせなかった彼らは殺されたのでしょう。アクリゥディヌ神教の者に……」

「陛下、これは出任せです! さては貴様たち、アクリゥディヌ神教の所為にして助かろうと裏で組んでいるのだろう!? 私は騙されんぞ!」

「……いえ、出任せなどではありませんよ。なぜなら、目の前に重要な証拠が立っているのですから。そうでしょう、アクリゥディヌ神徒の方?」


 エネレスが言葉を投げかけたのは、先程から獣王の隣に立っている運営の者だった。


「なっ、なにを根拠にそんなことを!」


 運営の者の怒声が舞台に響く。

 

「根拠……と言える根拠はありませんが、左手のそれ、外していただけませんか?」


 そう言ってエネレスが指さしたのは、運営の者の左手にはめられていた手袋。

 運営の者は、手袋を指摘されてから急に表情に焦りを感じられるようになった。


「……こ、これは……その」


 運営の者の目が泳ぐ。

 その行為に確信したのか、エネレスが一気に詰め寄り手袋を無理やり外した。


「やはり、正解だったようですね」

「くそっ!」


 エネレスの手を振り払った運営の者が少しだけ距離を取った。


 その時、俺の目に映ったのは左手の甲に刻まれている紋章のようなもの。

 どこかで見た事があるようなマークだ。


「計画は完璧だった! この大会で負ける要素ナド一つもなかった、我らガ母の予言は絶対ダッタ!!」


 突如として狂ったように叫び出した運営の者に、舞台に上がっている者たちは警戒を強める。


 俺はシャッティの前に立ち、長剣の柄に手をかけた。

 様子がおかしい。ピアヌスたちの異変と少し似ているような。


「そう、絶対だ! 母の予言ハ絶対! それなのに、なぜ貴様らがここにイル!? 本来出るはずモない、生きてイルはずがナイ貴様らがナゼこの大会に出場しタ!? 貴様らさえいなければ目的は達成されていたノニ!」


 何を言っているのだろうか。

 母の予言? 出るはずがない、生きているはずがない?

 誰の事を言っているんだ?


「……アア、そうダ。ここで貴様らをミナゴロシにすればいいんダ。キヒ、キヒヒヒヒヒ!」


 気持ちが悪い笑い声を上げた運営の者は、自らの体をかきむしる。

 直後、辺りの空気が一瞬で気分が悪いものに変わる。


 この感じ、どこかで……。

 一言で言えば邪悪。心地よくもない、気分の悪いような空気。

 それに勝るほどの、妙な感覚にみまわれる。


「アクリゥディヌ神教、貴方たちはここまでに……!」


 エネレスが悔しそうな口調で言葉を発する。

 次の瞬間、運営の者の体に異変が生じ始めた。


 左半身が黒いどろどろとしたものに覆われ、異形な物へと姿を変えていく。

 それは魔物でもなければ、人間でもない。

 この世の生物ではないようなバケモノ。


「母ヨ! 神ヨ! この私ガ目的を達成シマス!」


 異形な物に形を変えたバケモノは、自らの首を一回転させて俺――その背後のシャッティに視線を合わせた。


「――っ!?」


 俺は咄嗟に長剣を引き抜く。

 だが、その時には既にバケモノは目前に迫っていた。


 間に合わない。


 その時だった。


 バケモノが突然に俺の視界から消える。

 代わりに視界に入ってきたのは、獅子のような体を持つ男の姿だった。


「ガッハハハハ! 中々に面白いな、これは!」


 獣王バルドロフ。

 ビストラテア第十二代国王にして、武闘大会の歴代優勝者の中で最も強いと言われた獣人族最強の王だ。

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