第二十一譚 旅立ち
辺りはもう既に真っ暗で、賑わいの声も静かになっていた。
宿屋に戻ってきた俺は、セレーネのいる部屋の扉をノックし、コンコンコン、と鈍い音を三回鳴らす。
「はい、今開けますね」
扉がゆっくりと開かれ、俺とセレーネの視線が重なる。
「アル様……ですよね? どうしたのですか、その恰好は……?」
目を丸くしながら俺の姿を凝視する。
黒色のゆったりとした長いフード付きマントを羽織い、紺色のロングベストに白いシャツ。ロングベストと同じ色の長い皮製のズボン。腰には怪しげな男から貰った袋。
「流石にあの装備じゃ心もとないからな。旅立つ前に変えておこうと思って」
「…………」
俺の言葉に反応もせず、セレーネはぼーっとしたまま動かない。
「……何か変か?」
そう問いかけると、ハッとしたようにセレーネの顔が少しだけ赤くなる。
「い、いえ。何でもありません。ただ……」
セレーネは一歩、二歩と後ろに下がり、俺の姿全体を見て「うん」と小さく頷く。
「良く、似合っていますよ」
優し気な表情でそう言ったセレーネの言葉からは、嘘偽りを感じなかった。
いつ以来だろう。お世辞じゃない褒め言葉を貰ったのは。もしかしたら初めてかもしれない。
そう考える度に胸が熱くなる。ありがとう、店主。ありがとう、セレーネ。俺は久しぶりに大きな幸せを噛みしめている……!
「おお……! 良かった良かった! 何て言われるか心配だったんだよなぁ……!」
「私、それほど辛口ではありませんよ?」
「いや、多分俺のセンスで服着てたら誰であろうと罵声を飛ばすと思う」
今までの苦労を思い出しながら、先程の言葉を脳内再生する俺。
似合っている、ああ、なんて良い響きなんだろう。これほどまでに良い響きだとは思ってなかった。
「ところで、一体幾ら使ったのですか?」
俺はその言葉に恐怖と焦りを覚える。
至って普通の表情、普通の声で発せられたのだろうが、今の俺にとっては恐怖でしかない。
この世界の通貨は全世界共通だ。金貨、銀貨、銅貨、翠貨の全四種類が使われている。
俺の故郷――日本で使われていた“円”に換算すると、金貨が一万円。銀貨が千円。銅貨が百円。翠貨が十円。おおよそこんな感じになっている。
テッちゃんに貰った資金は、金貨百に銀貨五十だ。
そして、この装備に使った金額は銀貨五十と――金貨四十だ。
だが、これでもだいぶまけてくれたんだ。最近は物価が高騰していて、景気が悪いにも関わらず、この国の恩人だからと金貨五十もまけてくれた。
そしたらもう買うしかないでしょうよ。優しさを無駄にしちゃいけない。
さらに他の物にも金貨四十五枚は使っている。
つまり、残りは金貨十五枚。かなりマズい。
この事を話せばセレーネはきっと怒る。キーラがそうだったんだ。絶対に怒る。
いや、何でもかんでもキーラと同一視するのは失礼じゃないか? そうだ、きっとそうだ。
ここで潔く謝ったら快く許してくれるんじゃないか?
「……アル様? どうされたのですか?」
「ごめん! 装備品と道具買って金貨十五枚しか残ってない! 本当にすんません!」
俺は地面にひれ伏し、セレーネに土下座をする。
しばらくの沈黙が流れた後、何かが俺の肩に優しく置かれる。
「頭を上げてください」
俺は顔をゆっくりと上げる。
顔を上げて目に映ったのは笑顔のセレーネだった。
だが、俺は瞬時に理解する。
これは本気でキレた時の人間の顔だ、と。
「貴方は一体何をしているのですか! 王様に頂いたばかりの貨幣をそれほど使って!」
「い、いや……。やっぱり準備はちゃんとした方がいいかと……」
「ものには限度があります! 計画的に使うべきです! せめて一言ぐらい相談があってもよかったではありませんか!」
セレーネの豹変ぶりに驚き、俺は口をポカンと開けて説教をくらう。
やはりそうだった。キーラと同じタイプだ。
あいつも怒ると手が付けられなくなるタイプで苦労させられたんだけど、これもまた凄いな……。
そう思いながら説教をくらっていた俺は、とある物を思い出す。
時間が余っていたため、せっかくだからと買ってきた物を。
「大体ですね! 貴方は――!」
「セレーネ! これ!」
「なん……え……?」
俺は大きい道具袋から、買ってきたそれをセレーネの目の前に出す。
「短期間だったけど、俺からの感謝とお礼だ! 受け取ってくれ!」
「えっ……あの……これ、は……?」
それは僧侶用のローブ等の防具一式。白を基調としたデザインで、セレーネの髪と同じような青い色も多く入っている。
シスターでありながら、頭にベールのような物を被っていなかったセレーネ。だから俺は被り物ではなく、銀色の髪飾りを代わりに買っていた。
セレーネが常に着ているのはシスター服だ。あれは戦闘用の装備じゃない。
だから俺は今までの感謝の気持ちとして、防具を買おうと決めていた。俺のセンスと店主のオススメで買ったから、気に入ってくれるかはわからないんだけどな。
「これを……私に、ですか……?」
「あ、ああ! 完全に俺のセンスだから気に入ってくれるかわかんないけど、良かったら……!」
俺は頭を下げ、畳んであるそれをセレーネに向ける。
しばらくして、俺の手からそれが離れていく。
頭を上げて目の前を見ると、そこには本当に嬉しそうに微笑むセレーネの姿があった。
「ありがとう、ございます……。絶対に、絶対に大切にしますね……!」
俺の気のせいか、顔をほんのり紅く染めたセレーネの目は少しだけ潤んでいたように見えた。
セレーネは突然俺に背を向けて言葉を発する。
「……これには幾ら使ったのですか?」
「えっ……! いや、これも合わせて残りが金貨十五枚って事で……!」
「まったく、貴方という人は! 私の装備に貨幣を使うのなら他の物に使うべきです! まったく!」
怒った口調でそう言葉にした後、セレーネが少しだけ笑ったような気がした。
表情は見えないが、「ふふっ」って聞こえたような気がしたし、どことなく身体が震えているように見える。
それから数秒後、セレーネは小さく呟いた。
「まったくもう……。変な人……ふふっ」
その日のセレーネは、いつも以上に上機嫌で、良く笑った。
□■□■□
まだ日が昇り始めたばかりの頃、俺達は北門前で最終準備をしていた。
「……よしっ。俺は大丈夫だけどセレーネは?」
「はい、私も大丈夫です」
大きなリュックを背負って立ち上がった俺は、テッちゃんに歩み寄る。
「じゃあ行ってくるぜ、テッちゃん」
「うむ、頼んだぞ」
テッちゃんは俺に手を差し伸べる。
これは五十年以上前からの、俺達流の挨拶だ。
「別れは言わない」
「共に語らうその日まで」
俺とテッちゃんはお互いの手を弾いて声を出した。
「また会おう」
子供の頃に考え付いたこれは、どこか気恥ずかしい台詞だ。しかし、なぜかこれがしっくりときてしまう。
もう少しマシな挨拶は無かったのか、とか五十年以上前の俺に言ってやりたいんだが、これはこれで良い。
「じゃあ行こうぜ、セレーネ。俺のトラ――エルフィリムに」
俺達はその日、王都トゥルニカを旅立った。
俺にとっては二度目の――冒険の日々が始まったんだ。
一章 異世界、再び 終
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