第58話 おやすみなさい
「あの……おかしくないですか?」
大浴場で汗を流して、あとは歯磨いて寝るだけだ……と思っていた。和式部屋に敷いてある一組だけしかない寝具を見るまでは。
「何故に一組しかないの? 何故に枕も一つしかないの?」
一人部屋ならいざ知れず、ここは俺たち沢田兄妹が使う二人部屋なのだ。本当なら、寝具は二組必要になるはず。
なのに、一組分の寝具しか用意されていないのは何故だ?
「出し忘れた? しっかりしてくれよ」
全くもってけしからん。
こんなもの、
「ふにゃああ〜、さっぱりしたー」
………ま、そうなるか。
そうだよな、こういう時の流れって大体決まってるんだよな。漫画じゃねーんだから、こういうのやめてほしいな。
「んにゃ? お兄ちゃん何して………あ! もしかして二人で一組なの!」
「いやいや、単に間違えたんだろう。うん、だから押入れの中から引っ張り出そう」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。このまま一緒のお布団で寝ようね」
「嫌だよ。なんで旅行先でまで……」
やっぱりこうなった。
もうお決まり過ぎて、ツッコミすら面倒になってしまった。
莉音は心なしか瞳が輝いているようだ。説得なんて聞く耳持たないんだろうな。
「旅行の思い出になるかも?」
「どんな思い出だ! どんな!」
兄妹が一緒の布団に入って寝たとして、それ以上の発展性はない筈だ。つか、あったらマズイだろうよ。
莉音、お前は何を求めてんの?
「とにかく、もう一組出すぞ」
「お兄ちゃん。敢えて綺麗なお布団やシーツを汚す意味がある?」
「は?」
「私たちは普段から一緒に寝てるでしょ?」
お前が勝手に、俺のベッドに潜り込んでんだろうが。俺は一度だって許したことはないんだけどな?
「──つまりだよ? 一組の布団やシーツ、そして枕を共有出来るでしょ?」
「………だから、なに?」
その「もう、これだけ言っても分からないのー?」みたいな視線やめろ。
「それなら、敢えて二組出す必要はないと思うの。旅館だけじゃない、全ての宿泊施設ではお客の使ったと思しき物は、全て綺麗に洗うのは知ってるよね?」
「…………続けて」
「で、今のこの状況。一組しかないお布団を二人で使えば、必然的に洗い物は一組のお布団でしょ。でも、お兄ちゃんが二組目を敷いた瞬間、そのお布団は『使用済み』判定されて、無駄に洗濯物が増えてしまって、只でさえ多忙な旅館の職員を苦しませる結果に繋がる………」
「大袈裟っ!? それくらい、仕事なんだから仕方がないことだろう!?」
つか、どんだけ一緒に寝たいんだ!
ブラコンなのは知っているが、もう踏み込んではいけない所まで来てんじゃ……。
「でも事実でしょ? お兄ちゃんがもう一組のお布団を押入れから出したら、寝不足の体に鞭打って洗濯することに………ああ、従業員さん可哀想だなぁ……」
「ぐっ………」
こ、こいつ俺に妙な罪悪感を抱かせようと……ッ! しかも、微妙に申し訳ない気持ちにさせられてしまった……。
俺の妹……底意地悪すぎだよマジで。
「お兄ちゃんの優しさだけが、従業員さんたちの負担を減らして救うことが出来ると、私は思うよ?」
「………単に、お前が一緒に寝たいだけだろ」
「三割くらいは労ってるよ?」
三割の慈愛と七割の自愛。
殆ど自分のことしか考えてないじゃないか。
「……いいから、さっさと出すぞ」
「むっ………そんなに嫌なの?」
「狭い、暑苦しい、寝苦しい。ほら、デメリットしかないだろう?」
「今日は疲れたね。そんなこと気にすら間もなく爆睡するよ。きっと」
諦めが悪い。もっと別なことに真剣になってくれたらどんなに良いか……。
天才だからか、本気も本気の姿をあんまり見たことがないな。最近だとあのゲームセンターの時くらいか?
「しつこい。俺は一人でゆっくり疲れを取りたいから、今回は譲らん」
「………はあ。お兄ちゃん、今日は諦め悪過ぎるよ」
「お前が言うな。お前が」
本当にようやく、もう一組の布団を出すことが出来た。これでゆっくり寝れる。
「歯磨いて寝るぞ」
「はーい」
洗面台の前で、莉音と一緒に歯を磨く。
さっき莉音が言った通り、確かに今日はよく眠れそうな気がする。珍しく、莉音は歯を磨きながらも目が虚だ。
「ほら、寝るなら布団に入れ」
「んんぅ、分かってるよー……」
莉音の体を支えて布団に誘導。ついでに優しく丁寧に寝かせてやる。
俺は電気を消してから、隣の布団に横になって目を瞑った。
「おやす……おにぃ………ちゃ…」
「おう。おやすみ莉音」
よっぽど疲れてたんだろう。一分も経たずに安らかは寝息が聞こえてくる。
まぁ、仕方ないよな。
「なんだかんだ楽しかったもんな」
……莉音に向けられた男の視線が非常にウザかったがな。
それでも、久々に楽しい夏休みだった。
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