第四章 兄の交友

第45話 二人だけの勉強会

「お兄ちゃん。そこ、間違えてる」

「ん? どこ?」

「だからここだって。もう、しっかりしてよね! 私のお兄ちゃんが酷い点なんて許されないんだからね?」


 期末試験が間近に迫っていた。

 その時期に入ると、莉音とは決まって二人だけで勉強会をする事が習慣となっていた。

 もちろん俺の部屋で……。


「つか、なんで莉音の方が解ってるわけ? ここは二年の範囲なんだけど」

「数学なんて、基本の公式さえ分かってれば後は応用だけでしょ? こんなの誰だって出来て当然なんだから。そもそも出来ない人の気が知れないっていうか?」

「全国の苦労人に謝れ」


 ナチュラルに暴言を吐く莉音を軽く叱りつけ、間違えたところを直す。


「そもそも、その理屈で言ったらお前。数学で間違えることはない。と、言ってるように聞こえるんだが?」

「中学からずっと満点ですが何か?」

「……恐れ入ったよ」


 莉音は学力優秀なので、俺ら凡人が反論する余地など与えまい……。

 分かってはいるが少し悔しい。

 それが表情に出ていたのか、莉音はニヤニヤと人の悪い笑みを見せる。


「まぁ大丈夫だよ、お兄ちゃん。例えお兄ちゃんがおバカになっても、私が一生養ってあげるからね?」

「俺は別に、勉強が苦手って訳じゃない。だから、その誘いは気持ち半分程度で受け取っておく」

「あ、つまり養ってほしい気持ちはあるんだ」

「そりゃ誰だって一度くらいは、ヒモ生活に憧れを抱くことってあるだろ?」

「それはお兄ちゃんだけだと思うけど……」


 呆れたような声音の莉音。

 けれどどうだろう。一度くらいは、学業や就業を気にせずに生活したい……と、思わないだろうか?


「それよりほら、早く勉強するの! お兄ちゃんの成績が悪かったら、私が赤っ恥なんだからしっかりして!」

「いやいや。それはおかしいから……」


 とは言いつつ、真面目に取り組むことに異論などある筈がない。

 複数人で勉強する時の方が、集中することが出来る者。逆に、勉強をそっちのけ遊んでしまう輩もいるだろう。

 俺たち兄妹は前者の人種である。それこそ、サボれば莉音が黙ってない。

 なので、否が応でも勉強せざるを得ないのだが、そのお陰もあって成績は常に上位をキープしている。


「ほら、お兄ちゃん。そこはこの公式を当てはめて──」

「──ああ。なるほど、そっちだったか」


 なにせ、超優秀な家庭教師(妹)がいるのだから、心強いどころの話ではない。

 特に数学や科学の問題に関しては、先程言ってたように、公式さえ知っていれば二年の範囲だろうと解けるとの事だ。

 だから俺の教科書の中身を確認して、ちょっと例題と応用を試すだけで覚えてしまう。


(兄としては誇らしいけど……。同時に劣等感まで感じんだよなぁ……)


 兄が平凡で妹が優秀という構図は、使い古されたテンプレ展開だ。

 創作物の中では、そういう事を気にしていないキャラクターは多いが、実際に味わうと結構しんどかったりする。


「むっ……。お兄ちゃん、全然集中できてないじゃん! もっとしっかりしてよね!」

「へいへい……」

「『へいへい』じゃなくて『はい!』って、言いなさいお兄ちゃんっ!」


 少し怒り気味に捲し立てる莉音は、どこか顔に赤みがさしているように見える。本気で怒っているようには見えないが、見た目以上に怒っているのかも知れない。


「分かった、分かったって! そうカリカリすると老けちまうぞ」

「なっ……お、女の子に向かってそれは失礼過ぎだからね。お兄ちゃんッ!」


 こうして、今日も喧嘩腰な莉音とのお勉強は続いた。


 ◆◇◆◇◆


(ああ、お兄ちゃんが……。お兄ちゃんが近いよぉ……。うぅぅ……き、キスしたい! 早くお兄ちゃんとキスしたいよぉぉ……)


 実は私の方が集中出来ていない。

 もっともそんなに集中しなくても、勉強は片手間で出来るので問題ない。


 いつものことだから、もう慣れっこ。

 寧ろ今みたいな衝動を抑える事に集中しないといけないから、勉強なんかに心を傾けている場合ではない。


(はぁ……いい匂い。お兄ちゃんも……私の汗の匂い感じてくれてる?)


 夏を迎え、日中の気温は高くなりつつある。

 各部屋にエアコン……なんて贅沢な物はないため、扇風機を回している。けれど、そんなものは気休め程度にしか働かない。

 その証拠に、お兄ちゃんの額には薄っすらと汗の跡が見えている。もちろん、私の背中も若干汗ばんでいるのが分かる。


 そんな劣悪な環境の中で、私たちは期末試験に向けた勉強をしている。

 どちらかと言えば、お兄ちゃんの勉強を見てあげているという表現が正しい。私は既に準備を整え万全の状態だから、これ以上やる意味がない。

 だというのに、こうして勉強会を開く事には意味がある。


(すんすん……はぁ、はぁ……。お兄ちゃんの匂い……好きだよぉ)


 合法的にお兄ちゃんの近くに寄れて、且つ肉体接触を図る絶好の機会を、わざわざ見逃すような私ではない。

 好きな人との時間は何よりも大切。例え、普通なら苦になる勉強であっても、好きな相手となら気持ちの良い時間となる。


(お兄ちゃんに頼られるも嬉しい。もっと頼っていいからね? 頼って頼って……。もっと、もーっと依存してね?)


 必要とされている。無くてはならない存在となる感覚がとても心地いい。

 いや、そもそもお兄ちゃんには私が必要不可欠なのだけど、それを強く感じるのはこの時が一番だと言っていい。


(あっ、そうだ! 脚が痺れたフリして、お兄ちゃんを押し倒せば……♪)


 突如閃いたアイデアを、すぐに採用する。

 この前の出来事で、まだ少し晴れなかった気分を回復するにも良い効果となるだろう。


「あ、お兄ちゃん」

「んぅ?」

「私、飲み物取って来ようか?」

「あー、それなら俺が……」

「いいから座って──わわっ!?」

「──っ!?」


 自然な形で、お兄ちゃんを押し倒した。

 思い付いたのなら、すぐにでも行動に移す。それが私のやり方。


「いたた……」

「つぅ……。だ、大丈夫か?」

「う、うん……」


 起き上がろうとして、またバランスを崩したフリをして、今度は隙間なく抱きつくように密着する。

 流石にこうなると、お兄ちゃんは顔を真っ赤に染めて慌て出す。


「ちょっ……り、おん。早く、どいて……」

「ご、ごめんね。脚が……」


 適当な嘘をついて、そのまま息を思い切り吸い込んで──。


(ハァァァ……。うっ……やば。ちょ、ちょっとむ、ムラムラしてきちゃった……)


 流石にマズイ。そう思って、今度こそ離れようとしたのだけど。


(うぅぅぅぅ……。や、やっぱりまだ離れたくないよぉ……♡)


 もう少しだけ……。

 そう思い、もう一度だけ鼻いっぱいに匂いを吸い込んで……そのままゆっくりと吐く。


「んっ……。ふぅ……」

「ほ、本当に大丈夫か?」

「あっ……お兄ちゃん……。うん、もう満足したから……」

「は? なんで満足?」

「う、ううん! なんでもない……よ?」


 誤魔化せたとは思えないけど、追求しないうちに起き上がる。


「じゃ、じゃあ……飲み物取ってくるね?」

「お、おう……」


 そして何事もなかったかのように、お兄ちゃんの部屋を出て行った。


「はぁ……。危なかったなぁ。もう少しで、お兄ちゃんを……」


 ドアの前で反省して、今度こそ飲み物を取りに一階へと駆けて行った。

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