第17話 音無花音の秘密
見てはいけないものを見た時、人は思考する能力を失う生き物だ。
いつか誰かが言っていた言葉だが、本当にそうなるとは思いもしなかった。
「な……ぁ……」
「…………」
言葉が出なかった。
頭の回転が元に戻るも、何をしているのか、分かっているけど訊きたかった。何かの間違いであって欲しいと言う願いと、それは叶わないだろうという思い。
いくつもの気持ちがぐちゃぐちゃに絡み合い、一体なにを訊きたいのかも分からなくなってしまう。
そんな俺の状態とは裏腹に、音無は抱えた体操着で顔の下を隠しすと、片手にスマホを取り出し何かを打ち込む仕草を見せる。
──ピロリン♪
「……っ!?」
あまりにもタイミング良く、俺のスマホが着信音とともに震える。
誰かは見なくても想像できたが、けれどそんな場合じゃない。なのに、俺は半ば無意識にスマホを手に取ると、画面に表示された知らないアドレスの新着メールを開く。
『見つかっちゃった……ね♪』
「な……ぁ……」
──ゾクっと、体から力が抜ける。
少しだけよろめきながらも、何とか足に力を込めて踏み止まる。
差出人不明のメール。
けれど文面から、これは音無が送信したメールであることは嫌でも分かってしまう。
まるで悪びれた様子はない、いつもみたいに逃げてくれればまだ救われた。今日に限っては、そうしてくれた方が整理もついた。
恐る恐るスマホから視線を上げると、音無は体操着を胸の辺りにまで下ろして、朱色に染まった顔で申し訳なさそうに微笑っている。
彼女はただ俺に目を見つめるばかり。
いつもとは真逆の行為に困惑する俺を置いて、音無は一度たりとも視線を逸らさない。
「どう……して……」
やっと出た言葉がそれだった。
──ピロリン♪
またもメールを受信する。
『好き』
「…………」
ストレートな告白。
普通なら喜ぶべき所だろう。音無のような美少女に告白されたのだから、小躍りして喜びそうなものだ。
──が、今はその言葉に反応は出来ない。
ストーカー行為は、ある意味では愛情が暴走した結果ともいえる自然現象。
誰にでもその可能性はあるだろうし、この人はそんなことをしない、とは決して言えないだろう。
そして音無はずっと、俺という男にそれを行なっていたのだから、意外な点など一つもない。
──ピロリン♪
二度目のメールが届く。
『好き。匂いが好き』
「……へっ?」
我ながら何とも間の抜けた声が出たもんだ。
けれどそれも仕方ない、最初の好きが俺個人を指しているのかと思った。
だが、匂いがというのは一体──。
「──あっ、そう……か」
「うん……」
初めて声を出した音無を見て、音無の返信は妥当であったと理解した。
俺は『どうして』としか訊いていない。そして、体操着を顔に埋めていた状況での答えとしては、最も妥当な回答であった。
匂いを嗅いでた理由を回答した。それが今の二通が意味する事だった。
俺は息を飲んで、ゆっくりと詳細な質問をする。
「どうして……俺の匂いなんだ?」
──ピロリン♪
と、すぐに新たなメールを受信する。
『好きだから』
「……?」
またも同じ文面。
これも単に『沢田陽太の匂い』の事を言っているのか?
「えーと……それって匂いだけか? この『好き』も俺の匂いのことで、俺という人間個人を示したものじゃないのか?」
後もう普通に話したいんだが、と言ってみたが、それだけは恥ずかしそうな顔で首をぶんぶんと横に振った。
そしてまた着信音が聞こえた。
『両方だよ。私は、陽ちゃんも匂いも大好きだよ。それから……口ではまだ恥ずかしいから、ごめんね』
「よ、陽ちゃん!?」
内容よりも呼び方に驚愕した。
今まで会話すらしたことのない相手をそんな風に呼ぶなんて、そっちの方が恥ずかしいんじゃないですかね!?
「そ、そうか……。つまり俺が好きだからストーキングしていたと?」
今度はメールではなく、頭で頷いた。
「そして匂いが好きだから、その体操着に顔を埋めていた、と……」
またも、こくんと頷く。
もうこれ以上は聞くことがない。
このミステリアスと謳われた銀髪少女は、俺の匂いが好きな匂いフェチで、ちょっとばかり重そうな愛情を向けてくる恥ずかしがり屋の可愛い女の子であった──。
「音無……」
──ピロリン♪
何度目かのメール。内容は──。
『かのちゃんって、呼んで』
「え゛っ──」
──ピロリン♪
『呼んで、陽ちゃん』
──ピロリン♪
『呼んで呼んで。かのちゃんだよ?』
──ピロリン♪
『お願い。その方が嬉しいの、音無じゃ嫌』
──ピロリン♪ ピロリン♪ ピロリン♪
『呼んで』『呼んで』『呼んで』
怖い怖い怖いって!!
絶賛放心中の俺のスマホに送られてくるメールの数々が恐ろしくてならない!
これ呼ばなきゃダメ? 呼ぶべきなの!?
何件も何件も着信音が鳴り続ける。
もう三十件は超えたかもしれない所で、ようやく俺は──。
「か、かの……ちゃん」
「──っ!! う、うん!」
そう呼ぶ事を選択した。
選択せざるを得なかった……。
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