第207話 秋の気配(3)

ロンドンの斯波は真尋の公演の最終の打ち合わせで、ほとんどホテルにも戻れずに仕事をしっぱなしだった。


ようやく息をついて、カフェでお茶をしていると携帯が鳴った。


「清四郎~?」


いつものトーンで来られて、


「なんだよ・・」


母だと言うことがわかりちょっとしかめ面をした。


「なんだよって、元気~?」


特に用事もなさそうだったので、


「あのさ、おれ今ロンドンなんだけど。」


と言うと、


「えっ!! ろんどん? ロンドンって外国の!?」


「当たり前だろ、」


「ちょっと! 電話代かかっちゃうじゃない! ジョーダンじゃないわよ!」


逆ギレされたので、


「そっちからかけてきたんだろっ、」


思わずムッとしてしまった。



そしてふと思い出し、


「そう言えば。 おれ、萌と結婚すっから。」


いつもの他愛のない会話のようにサラリとそう言った。


「は?」


電話の向こうの母の驚く顔が少し目に浮かんだ。


「だから。 萌と結婚することにした。 日本に帰ったら婚姻届、出すから。」


事務的な報告をする息子に母は


「えっ! って、ついに!?」


驚きの声を上げた。


「そんなに驚いて・・」


「だって! そっかあ・・ついにかあ。 あたし、ほんっとあんたたち一生結婚しないんじゃないかってさあ、心配したわよ!」


「電話代、かかるといけないから切るよ、」


「ちょっと! もっと詳しく話をしなさいよ!」


母はしつこかったが、面倒なのでそのまま電話を切った。




ま、とりあえず


親だしな・・


黙って籍入れるのも、なんだし。



しかし


母の行動は素早かった。


「萌ちゃん!!」


翌日の夜にはもう東京へやって来て萌香を訪ねてきた。


「お、お母さん?」


驚く萌香に斯波の母はいきなり抱きついた。


「も~~~! おめでとー! ついに、ついに清四郎と結婚してくれるんだあ!!」


「・・お母さん、」


萌香は驚きつつ、泣きそうなくらいに喜んでくれている斯波の母親の気持ちが


すごくありがたかった。


「・・私のほうこそ。 お礼を言いたいくらいです、」


声を詰まらせてそう答えた。




「えっ!!! 宗一郎ちゃんが!?」


斯波の母は元夫の病気も彼に骨髄を移植した息子のことも聞かされていなかったので激しく驚いた。


「お母さんには知らせたほうがいいんじゃないかって言ったんですけど。 清四郎さんが、心配をかけるから黙ってろって、」


萌香は母にビールのグラスを持ってきた。


「も~~、ほんっと、水臭いんだから・・。 まあ、宗一郎ちゃんとはさ、もう他人だけど。 でも、そんなことになってるなら教えてくれればいいのに。 で、今はどうなの?」


「なんとか。 いい方向には向かっているようです。」


萌香は微笑んだ。



「そっか。 でも、よくあの子、承知したわね。」


「すごく悩んでいましたけど。 結果的にそのことが彼の長年の鬱積した気持ちを晴らすことになったと言うか。 私との結婚も・・そのことで決心してくれたんだと思うんです。」


二人は缶ビールをお互いのグラスに注ぎあった。


「ほんっと、あたしはあの子に何もしてやれなかったから。 申し訳ない気持ちでいっぱいで。 あとは、幸せになってくれることだけ祈ってたんだけど。 だって、あの子があんなになっちゃったの、あたしたちのせいだし、」


母はしょんぼりとして言った。


「清四郎さんはもう誰も恨んだりしていません。 すごく前向きに考えられるようになったようです、」


「・・萌ちゃんのおかげだね、」


と、母から言われて、


「いえ・・。」


萌香はうつむいた。



そして、少し決心したように


「あの・・清四郎さんから・・私のことは聞いているんでしょうか。」


斯波の母に言った。


「え?」




「私の・・過去のこと、」



母は少し黙った後、


「別に。何も聞いてないけど。 いいじゃない、そんなことどうでも。」


とニッコリと笑った。


「え・・」


「清四郎がわかってるならそれでいいじゃない。 あたしは威張れるような母親じゃなかったし。 あの子の好きなように、好きな人と一緒になってほしい。 清四郎が一番幸せになれる人といっしょになってくれればいい。」



萌香はその言葉に


胸が熱くなる。



「いっぱい苦労をしてきた人のほうが、いろんなことわかってる。 あたしは、そう思う。」


「・・お母さん、」



萌香は少し涙ぐんだ。


母はそんな萌香の頭をくしゃっと撫でて、



「あたし、あの子のこと信じてるから。 だから・・あの子が選んだ萌ちゃんのことも・・信じてる。」



何よりも


嬉しくて


温かい言葉だった。


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