第206話 秋の気配(2)

自分には


一生無縁なものだと思っていた。



『家族』



を知らずに育った自分は


誰かとそんな風に生きることなんか想像ができずに。


萌香は涙が止まらなかった。



「・・ほんまに・・私で・・いいの?」



しゃくりあげながら斯波の胸で言った。



「萌しか、いねえだろ。 おれには萌しかいない。 こうやって・・全てに優しい気持ちになれるのは萌がいたからだ、」


斯波はもっともっと強く彼女を抱きしめた。



「萌となら・・『家族』として、ずうっと生きていける、」




もう


それ以上言わないで




あんまり


嬉しくて


ウソになりそうだから。




肉親との縁が薄くて


幸せになる方法も


わからなくて。



でも


おれたちは、二人でたくさんのことを乗り越えてきた。




彼女の生い立ちのことも


彼女の母のことも


自分の母親も


ようやく幸せを見つけ、


父の苦しみも


理解できるようになって。




いろんなことがあって。



おれは今まで


何が怖かったんだろうか。



それさえも思い出せないほど


斯波は今


幸せになりたくて仕方がない自分に気づく。






その夜は


何度も何度も


抱き合った。



「・・萌の返事、聞いてなかった、」



彼女を抱きしめながら斯波は言った。



「え・・」


「プロポーズの、返事。」


斯波はニヤっと笑う。


「え・・したやん。」


萌香は少し恥ずかしそうに言った。


「してないよ。 おれだって一生分の勇気を振り絞って言ったのに、」


「・・もう、嬉しくて。 何も言われへんかった、」


萌香は彼の上に自分の身体を乗せて、いたずらっぽく笑った。



「婚姻届、貰ってきて。 明後日から、おれ真尋のロンドン公演のことで1週間ほど出張に行くから。 その後に出しに行こう、」


彼女の髪を優しく撫でた。


「・・うん、」


萌香はそっと彼の頬にキスをした。




夢じゃありませんように



そっと目を閉じて


彼にぎゅっとだきついた。





「萌ちゃん、おっはよ~~! なんか急に秋っぽくなってきたよね~。」


朝、エレベーターで南と会った。


「おはようございます。」


萌香は爽やかに微笑んだ。




この嬉しいことを


みんなに言いたいけど。



照れ屋な彼は入籍を済ませてからみんなに言おうと、提案し。



「そっか、明日から斯波ちゃんロンドンかあ・・ロンドンはもう寒いんやろなあ。」



「ええ、」




いつもと変わりない日々を


萌香は過ごしていた。


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