第205話 秋の気配(1)

「あ! 斯波さん、どこ行ってたんですかあ、もうさっきからレックスの専務から電話何回もあって!」


事業部に戻ると八神から勢いよく言われた。


「・・ごめん。 すぐに電話するから。」


斯波はいつもどおりに仕事を始めた。



誰も


彼の変化に気づくものはいなかった。




「そっかあ。 良かったね~。 これで一安心やな、」


みんなに父の病状を説明すると南が明るい声で言った。


「まあ・・まだまだ治療は続くらしいけど。 とりあえず第一関門を突破したってことで、」


斯波は照れ隠しに表情を隠して冷静を装った。


「ま、おまえの気持ちが伝わったんやな、」


志藤は斯波の肩を叩いた。



「え・・いや、おれは。」


斯波は少しおろおろしたように言った。


萌香もホッとしたように笑顔を浮かべた。




また仕事に戻った時に


隣の萌香に斯波はポツリと


「・・今日・・この後出かけないか。」


と言った。


「え?」


この日は土曜日で斯波は早めに仕事を上がろうと思っていた。


「・・ええ、」


珍しいことに萌香は小さく頷いた。




二人は一度帰宅して、車に乗って出かけた。


「どこ、行くの?」


もう日も傾きかけていた。



彼女の問いかけに


斯波は何も答えなかった。


それもいつものことだったが


何となくいつもと違う彼を少しだけ感じていた。




湘南の海までやってきた。


海岸が見える道の傍らに車を停めた。



「・・夕陽が、きれい。」


萌香は海風に乱れそうな髪を押さえながら笑顔で言った。


「うん、」



秋になった海には人気もなく。


しずかに波の音だけが聞こえる。



オレンジ色に染まった彼女の横顔が


とても


キレイだった。



「萌、」


彼の声に


「え?」


何気なく振り向いた。




「・・結婚、しよう。」




その海風に飛ばされそうなほど


小さな声だった。



「・・・え、」



時間が止まったかのように


萌香は髪を押さえていた手を


だらりとおろした。



「・・結婚、しよう。」



斯波はもう一度、今度は少し大きな声で彼女を見つめてそう言った。



「・・なに?」



萌香はぼんやりとしていく自分がわかりながらも


言葉が先に出た。



斯波はだんだんと赤面してきて、



「何度も、言わせるな・・」


ちょっとプイっと横を向いた。



萌香は彼のジャケットの袖口をぎゅっと握って


「・・何回でも・・言って・・」


もう片方の手で顔を押さえた。




涙が


止まらなかった



斯波はそっと彼女を抱きしめた。


「・・おれの家族に、なってくれ。」



斯波はポツリとつぶやいた。



家族・・。



その言葉で萌香の胸はいっぱいになった。

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